かったかくんのホームページ

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「20代の半分を過ごした地」

2020年10月05日 | 大分県
25歳の頃から6年間、西谷小学校という学校に勤務しました。
しかし、近年、東谷小学校、西谷小学校、上津小学校の3つの小学校が統合しました。
 


屋形小学校があり、樋田小学校があり、本耶馬渓町内で5つの学校が存在して、子どもたちのにぎわいがあった頃が懐かしく感じられます。
西谷小学校に勤務していた頃は、学校対抗のソフトボール大会があったり、相撲大会が行われていました。
それに向けて、猛練習を行なっていました。
 


かつて、山国町と日田市との間にあるトンネルから、中津駅まで徹夜で歩く企画がありました。
ほぼ50キロです。星を見ながら、みんなで参加をしました。
しかし、中津駅に着いた足で、そのまま学校対抗のソフトボールに参加をしました。
 


子どもたちも足を動かすと痛い。こちらもノックもできない状態でした。
そんなことも懐かしい思い出です。
 



そんな小さな山あいの学校でも、S介くんやM之くんたちは、マラソンで県チャンピオンとして、全国大会に出場したり、YさんやKくんは、100メートルチャンピオンとして、全国大会で活躍をしました。
いろんなところで活気がありました。
 


小学校から野球チームがあったわけではありませんが、昨日のOB野球大会で、その当時、西谷で受け持った子どもたちとまだ一緒に野球ができたりすることが幸せだなと感じます。
 



こちらのチームには、Yっくん、K太郎くん、Hでちゃん、Z一郎くん、Zじくんたちです。
昨日も書いたように、相手チームには、なるちゃんもいました。
こっちがピッチャーで相手チームのなるちゃんがバッターで、対戦、勝負するとは、何十年前には考えも及ばなかったです。
 



あと、どれくらいできるかわかりませんが、野球を通しての交流も楽しみにしています。
 



今年の夏には、西谷小学校の校舎の取り壊しが行われました。
そのことを機に、HでちゃんやZ一郎くん、K太郎くん、Yっくんたちが企画して、学年の幅を持たせた同窓会をする予定で、取り組みを進めてくれていました。
 



残念ながら、コロナウィルス禍の中で、延期となりました。
それぞれの地で、子どもたちは社会の中核となって、活躍をしています。




20代の半分を西谷で過ごしました。
S介くんやK太郎くんたちは、すぐにいろいろ言いますが???あの頃の思い出を大切にしながら、交流することができたらと思います。