かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

駅伝の日の再会

2013年01月15日 | Weblog
懐かしい話に弾む道端の
         冷たい風が吹くこと忘れて



            

先日、祝賀駅伝が開催されました。生徒たち、地区の人たち、そして市民ランナーが三光中学校周辺コースを走り抜けていきました。賑やかな応援の中に、一生懸命に走るランナー・・・対照的でしたが、盛り上がりを見せた大会でした。




そんな中で、いろんな人たちと会うことができました。



最初の赴任地の小学校で、かつて担任をしていたSさんのきょうだいたちに久しぶりに会いました。



きょうだい4人のうちの3人は、その小学校に通ってきていました。当時、私は、レクリエーション協会に所属し指導などをしていました。



毎月、ゲーム、クリスマス会、レクダンス、フォークダンスなど楽しみました。Sさん一家も参加するようになりました。また家庭訪問をしたりする中で、Sさんきょうだいともたくさんの思い出ができました。家にも遊びに来てくれました。レクリエーションの指導も公民館活動などで、お母さんと一緒にした記憶も蘇ります。



いろんなところで接点を持たせてもらいました。




それ以来、きょうだい4人と一緒に会うことは、ありませんでした。特に一番上のお姉ちゃんとは、それ以来です。4人がこの駅伝大会の応援に来ていました。子どもたちの応援です。相変わらず、まとまりのある家族です。




みんなが結婚されて、子どもさんも大きく成長しています。しっかりママになっています。きょうだいのお母さんに、
「たくさんの孫に囲まれて幸せですね。」
と言うと、笑顔でうなずいてくれました。




しかし、テンポのいい4人のきょうだいたちのトークは、あの時のままです。口では、勝つことはできません・・・。



4人のきょうだいと会えたうれしさをお母さんに電話をしました。
「みんな、あつかましなってね。」
確かに・・・?!そういう中でも、みんなに温かく包まれているうれしさを感じるお母さんの雰囲気がありました。




駅伝の醍醐味とともに、懐かしい再会もあった一日でした。

成人式の日に

2013年01月14日 | Weblog
雨上がり振り袖の裾をそっと持つ
          母の優しさ笑顔で返し



            

昨日は、中津市成人式でした。今年の全国の成人になった人は、122万人だそうです。1070年が246万人だったので、人口そのものもまた若年層人口は減少の一途をたどっています。



中津市の成人は792人だそうです。成人式を迎え、また社会の第一線で、また学校や家庭の中で新たな気持ちで頑張っていって欲しいです。



すれ違う車の中では、お母さんの車であろう横に振り袖を着た女性がいました。ちょっと緊張しながらも成人式に臨んだのでしょう。夜は、中学校の担任の先生を交えて、同級会をするのが中津の学校では一般的です。きっと、友だち、先生と交流を深めたことでしょう。




昨日、駅伝大会が終わってから、学校のエレベータ工事のことで、用事があったので、学校に立ち寄りました 3月完成に向けて、学校のエレベータ工事も佳境に入っています。
すると、卒業生から、
「せんせい、今、どこにいますか。」
と電話がかかってきました。




学校にいることを伝えると、さっそくお母さんとやってきました。玄関の前で待っていると、振り袖姿で、お母さんが裾を持ってあげていて、いい笑顔でやってきました。いい感じで輝いている卒業生の姿を見るのがなんとも言えないうれしさです。




しっかりと成長している姿を見ることができました。




学校に上がってもらって、いろんな話をしました。今頑張っていること、これから頑張りたいこと・・・。また同じ卒業生の人のことなどに話が盛り上がりました。





つい、この間まで中学生だった彼女たちの学年の生徒たちが成人式を迎えることに過ぎゆく日々の早さを覚えます。中学校を卒業していくのが、15歳。そして成人式を迎えるのが、21歳の年です。そのわずか、あっという間の6年の歳月でも、大人になっていく頼もしさをいろんなところで見ることができます。




いろんなドラマを描きながらも、今は、福祉の道で、自分の目標をもって頑張っています。前向きに歩いている姿を見るととてもうれしく思います。また、こうして成長した姿を節目の時に見せに来てくれることを幸せに感じます。

成人祝賀駅伝大会

2013年01月13日 | Weblog
寒風をついて駈けいくランナーの
           沿道の声援背中に響き



            

明日が成人の日です。今日は、その前日でしたが、中津市ではいろんな行事が催され、中津市は盛り上がっていきました。2回にわたって紹介します。




今日は、「中津市成人の日祝賀駅伝大会」が三光総合グランドを中心に開催されました。




たくさんのチームと多くの応援の方でコース周辺は賑わいました。三光中学校からも参加すること、また教えた生徒のお子さんが出場するから「見に来て。」ということから、開会式には間に合いませんでしたが、スタートから応援することができました。年々参加が増えていっているような気がします。




このコースは、丘の上の総合グランドから一気に駆け下りてくる1区とグランドに戻っていく最終区のランナーが見ていてもとても大変だと思います。




三光中学校は、3年生を中心にメンバーが組まれています。県駅伝を戦った選手たちです。中学校生活最後の大会となります。今年一年、選手たちが所属する部活と駅伝に学校を盛り上げました。中津市では、予選2位通過でしたが、それからまた練習を積み重ね、大分県駅伝大会で、男子は、三光中学校歴史始まって以来の入賞を果たしました。女子も過去最高位の9位という順位でゴールしました。





その大会以来、またそれぞれの部に戻ったり、受験勉強で、ほとんど練習をしてはいないのですが、監督とコーチのもとで大会に参加しました。





男子、女子、そして、小学校部門、中学校部門、高校、一般の部と一斉のスタートです。チームも学校あり、職場ありと様々なで、応援も賑やかでした。



1区から、三光中学校男子チームが抜け出しました。1区の選手は、全国都道府県対抗男子駅伝大会の候補選手にもなっていました。最後は惜しくも選手にはなれませんでしたが、最後まで自分で大分まで行き、合宿に参加していました。そして、懐かしの県駅伝のメンバーが続々とたすきをつなぎました。




女子も頑張りました。男子は、優勝。女子は、準優勝と見事な走りを見せました。走り終わり、グランドに戻った生徒たちはとてもいい表情をしていました。




この大会では、中学校の野球チームなども参加していました。トレーニングの一環でしょう。こうして、その種目だけでなくちょっとまた違った角度から、自分のスポーツを見つめたり、そのスポーツとは違ういろんなアスリートと関わりが持てる中で、自分の部活に戻ったときにきっと活かされることがあると思います。





来週は、三光一周駅伝大会が行われます。またこの周辺やそして三光地区に歓声が湧きます。





運動不足の中で、閉会式に出るためにグランドに上がるだけで疲れました。こちらもいいトレーニングができました。
 



すべてが終わり、学校に戻りました。全国都道府県対抗女子駅伝をテレビで見て家路に着きました。今日一日スポーツの素晴らしさをたくさんの場面で感じました。

感謝しています

2013年01月09日 | Weblog
師の姿一線退き悠々と
         感謝の心今も忘れず 





昨日、年賀状が届きました。差出人を見ると、安東先生からでした。喪中であるということで先生の心配りでしょう。正月を過ぎてから葉書が届きました。



安東先生は、整骨院を営んでいます。年賀状を読むと、一線を退き若い人に道を譲ったと書かれています。毎回いろんなところで先生のことについて、書いていますが、どれほどお世話になったかわかりません。




出会いは、部活の野球の監督をしていた時のこと。当時のコーチの方からの紹介でした。いろんな学校のスポーツ選手たちが先生のところで治療を受けていました。




先生のいいところは、よほど状態が悪い生徒でない限り、運動を継続させながら治療をしてくれました。治るのに何回くらい通院すればいいか、だいたいのところを教えてくれました。何と言っても値段です。初診のときだけは、1000円でしたが、あとは、600円でした。




部活でハードな練習を重ねても、ほとんど故障者が出ませんでした。誇ることができます。それは、先生のおかげです。特に投手が肘や肩に違和感があったときには、急いで行かせました。たくさんの投手がいるわけではないので、チームに大きな影響を与えます。




故障した生徒がいたら、早めに治療を受けたので、練習を休ませる生徒がいなかったことが部のまとまりへと繋がっていったと思います。




また大会で、投手がどうしても連投しなければならないときも、肩、肘への負担を考えて一日目が終わってから、施術を受けました。先生のおかげで生徒たちは、野球が思い切りできました。と同時に先生から、故障しないトレーニング法などを教えてもらいました。




自分自身も先生からたくさんの治療を受けました。最初の頃、生徒がバッティングピッチャーをすれば、どこに投げるかわからない時期がありました。時間もかかるし、時間内に何球も打つことができません。そこで自分自身が、バッティングピッチャーを体がぼろぼろになるほど、毎日投げました。



「先生、学校の階段が上がれません。」
生徒と違ってこちらは、体が完全に悪くなってからしか先生のところには、行かないので、「早くこないとね。」と言いながら、先生は、ふぅふぅ言いながら、体のメンテナンスをしてくれました。



年賀状を真剣に読みました。昨年は、退いてから、老人ホームで柔道整復師として機能訓練をおこなったり、中学校武道必修化の中で柔道教師として頑張ったと書かれていました。「温故知新」心機一転、精進と挫折を繰り返したと言います。



70歳を超えて、中学校に出向いて、体育の授業で柔道を教えているということ、前向きな姿勢に改めて先生のすごさを感じます。「死ぬまで柔道 死ぬまで修行」先生らしい生き方です。自家菜園づくり、夫唱婦随の詩吟道・・・生涯青春です。




時間があるとき、自家菜園をしている先生にお会いしにいこうと思っています。先生のエネルギーを少しでも取り入れていければと思います。

学校の元旦~3学期始業式~

2013年01月08日 | Weblog
始業式学校の元旦今日にあり
          校舎に活気笑顔があふれ




                          
今日から、3学期のスタートです。何となく生徒が少なくちょっと静かだった校舎も活気が戻って来ました。



朝のいつもの日課の校舎の教室、廊下、トイレなどを掃除をしながら回りました。まだ真っ暗です。


でも電気もつけて回ると、教室の黒板に、
「明けましておめでとうございます」
と生徒向けに黒板にメッセージを書いている教室もありました。何となくほのぼのとした雰囲気になりました。





外に出てみると、すでにPTA役員の方があいさつ運動に来てくれていました。毎月1日に校門に立つのですが、1月は今日でした。そこに生徒会役員や生徒会生活部の生徒も加わって、エネルギーのある校門となりました。



PTA役員の方たちがあいさつしてくれるので、生徒たちもいい笑顔とあいさつで校門を通過していきます。




PTA役員はもちろんのこと、いろんなお家の方がいろんな場面で協力してくれるので、生徒たちもいい形で成長していけているのはないかと思います。




始業式では、3つの点からできるだけ具体的に話をしました。
○感激したこと 
 ・アンサンブルコンテスト  ・幼稚園実習から幼稚園の先生からの生徒への感想 ・全国大会出場する生徒の紹介
 ・卒業生のがんばり
などを伝えました。




○成長できる年に
 ・受験に向けての最大の努力(自分に向けて、友だちへの配慮)
 ・学習、生活に目標を持って努力する姿勢
  (今月2つのテスト、部活など)




○2学期の課題であいさつなどのマナーの習得
  ・今日の朝のあいさつができる姿



全部は、生徒は、覚えてくれていなくてもいいのですが、どこかで、ひっかかってくれていればいいと思います。



生徒が帰ったあとからは、「卒業式」についての会議を持ちました。早いものです。3学期は、短い期間です。一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。

癒しのベストアルバム

2013年01月07日 | Weblog
ユーミンのベストアルバム曲流れ
             懐かし思い出脳裏を駆ける
                          



ふーっ。一日が終わりました。疲れた一日でした。


朝は、書類に目を通したり、受験のことで、対応したりしてあっという間に時間が過ぎていきました。



午後からは、会議、そして、会議を受けて、学校に戻って書類の作成・・・。明日から生徒たちが学校に戻ってくると、仕事の優先順位が変わってくるので、書類などを仕上げておいた方がいいかと踏ん張りました?!帰るのもちょっと遅くなり、ちょっとバタンキュー状態。



そして明日からは、3学期が始まります。




そんな中で、行き帰りの車の中は、癒しの曲が流れています。最近、なぜか、いろんなアーティストのベストアルバムが発売されています。





ユーミン、山下達郎、いきものがかり・・・。生協のカタログを見ると、買わなくていいけど、少し聴いてみたいと思うCDがたくさんありました。そこで、ツタヤに行って、その3人のCDをレンタルしました。




久しぶりにユーミンの曲を聴くと、懐かしさを感じます。「日本の恋とユーミンと。」のアルバムには、「卒業写真」「あの日にかえりたい」「恋人がサンタクロース」などたっぷりにかつて流行したソングが入っています。聴きすぎるとまた飽きがくるのかもしれませんが、久しぶりに聴くと、新鮮な雰囲気になって、今は、学校の行き帰りの癒しの時間となっています。




「翳りゆく部屋」の歌詞です。懐かしいでしょう?



「リフレインが叫んでる」の歌詞。意外と失恋や別れのせつない曲が多いんですね。




「ひこうき雲」は少年の死を書いているとか。歌詞の内容は、ちょっと置いて、ちょっと車で口ずさんでいる自分がいます。

アンサンブルコンテスト

2013年01月06日 | Weblog
ステージに想いを込めたメロディが
           静寂とコラボの空気を揺らす



                          
第38回大分県アンサンブルコンテストが開かれました。三光中学校からも参加しています。生徒たちの演奏を聴きに行きました。会場の一階は立ち見もあるほど超満員でした。座ることができないので、二階席に行き、演奏を聴くことができました。緊張感に満ちた会場でした。



県下の吹奏楽部員たちは、この大会に向けて、夏の吹奏楽コンクールが終わってから練習を積んでいきました。




しかし、アンサンブルコンテストなので、全ての部員たちが出場できるのではありません。規定があります。例えば、曲の時間は5分以内、1編成の人数は、3~8人、独立した指揮者を立てられないなどです。だから、おそらく、.それぞれの学校で予選をしながら、参加する生徒を決めて練習を積んできたのだと思います。




三光中学校でも昨年の終わりに、予選を行ない、予選を突破した生徒たちが今日の大会に参加しました。本番では出場できなかった部員たちも応援に来ていて部一体となって大会に臨みました。たくさんのお家の方たちも会場に詰め掛けていました。すごいのは、参加できなかったお家の方も来てくれていたことです。



三光中学校は、木管五重奏「コッツウォルズの風景」の曲で大会に出場しました。2学期の終業式の時に、全校生徒の前で激励会を兼ねて演奏をしてくれました。その時は、まだまだ課題も多く残っている演奏でした。




それから冬休みに突入。猛練習を重ねてきました。近くの公民館のステージを使ったりしながら、先生と、きめ細かく本番を想定しての練習も行なってきました。



そして、いよいよ本番の日を迎えました。最後から2番目の演奏順でした。緊張感の中でも流れるようなメロディを奏でました。まとまりのある演奏となりました。最初から最後まで集中を切らさないステージでした。


結果は銀賞。


金賞には手が届きませんでしたが、努力を続けてきたこと、そして、生徒たちなりに自分の進化も体感したことでしょう。また悔しい気持ちも湧いてきていることでしょう。とても大切なことだと思います。



この大会を機会にまた夏の吹奏楽コンクールに向けての原動力になっていけば良いと感じます。チーム一丸となった演奏とそして、聴く人たちに感動を与える演奏を期待しています。これからも応援していきたいです。

懐かしいおきゃくさま

2013年01月05日 | Weblog
久しぶり会えた喜び感じつつ
             今年もいっぱい幸多き年に

                          
思いがけないお客さまが来るとなんとなくうれしく思ってしまいます。



先日は、かずえちゃん家族がやってきました。今は、かずえちゃんは大阪に住んで、設計事務所をご主人と営んでいます。かずえちゃん、かずえちゃんの子ども、そしてお母さんとやってきました。かずえちゃんは、初めてのクラスを担当した時の受け持ちの4年生の子どもでした。



 
右も左も分からないときのクラスの子どもで、今になって考えると、あーもしてやりたかった、こーもしてやりたかったと思うことがありますが、今はなく、その時代に足りていたのは、「若さ」だったのかなとちょっと自分に甘い評価・・・。




その時は、1500人近くの小学校でした。1クラスだけでも40人。そんな環境でした。元気よさでは、学校ナンバーワン?だったかな。放課後や休み時間もよく遊んでいました。また休みになると、バスで家に遊びに来てくれていました。かずえちゃんんもクラスの盛り上げ役でした。



「せんせい、いつも遊んでいたような気がしているけど・・・。勉強していた?」
おい、おい。
「楽しく勉強教えてくれていたから、全部が遊びに見えるんだよ。」


とお母さん。うまい合いの手。





「でも、国語で、一行一行をみんなで読んでいったのが記憶に残っているよ。楽しかったよ。百人一首もがんばったよね。」
温かく包まれているでしょう。一緒に連れてきた娘さんもいい表情をしています。楽しく時間が流れていきました。




そして、昨日は、初出勤。



たまっていた机の上の書類を片づけ、締切間近の提出書類の整理をしながら時間を過ごしていきました。




ちょっと一息入れているときに、ガラッと戸を開けて顔がのぞきました。見えにくかったので、近くに行ってみると、なんと、FちゃんとHちゃんでした。今年成人式の学年です。遊びに来てくれました。



それぞれに理学療法士や介護福祉士になるために頑張っている様子などにしばらく話を弾ませました。この間、中学生と思いきやもう成人式を迎えるのです。早い。



13日が中津市の成人式です。当時の担当学年だった先生もいたので、一緒に話を弾ませました。この学年のみなさん、成人式おめでとうございます。



「再会」という新年の贈り物でした。


懐かしの同級会

2013年01月04日 | Weblog
どきどきの中学校生活に踏み入れて
          あったかな生徒の息吹にほっと

                          
「中学校で勤務して欲しい。」
と言われ、小学校を離れて中学校に勤務しました。生活が大きく変わっていきました。


「今のままでいい。」という思いと、大きな戸惑いを感じながらの生活でした。ずっとやってきたことを変えることのためらいが年とともに出てきます。



しかし、時間が経過していくうちに、変化させていくことも意味があることだと思うようになりました。それは、素敵な生徒たちとの出会い、小学校では味わうことのできないこと・・・
例えば、部活、教科担当制、教科の中でできなかったパソコンの授業・・・


また多くの人との支えの中で、今になって、意識して道を変化させていくことも大切なことではないかと感じます。流れる方向に選択していくことは、いて行く道を広げてくれるのではないかと思います。




パソコンができるようになったこと。もし、この勤務がなかったら、こうして、ブログをつくったり、エッセイをつくったりすることもなかったかも知れません。部活で野球を担当しました。そして、日々の練習の中でまた大会の中でたくさんの感動を得ることができました。 




何より生徒たちとの出会い。日々の生活の中で、たくさんのドラマができました。たくさんの思い出は、学級・学年通信に閉じ込んでいます。卒業してからも、ずっと付き合えていける幸せ感を味わいます。




昨日は、その時の同級会がありました。




幹事は、けんちゃんでした。細かくしっかりと世話をしてくれていました。それぞれにみんな社会人やお母さんとして頑張っています。話が弾みました。



昨日はH先生とも一緒でした。次の赴任した学校でも一緒に勤務させてもらいましたが、先生も笑顔でいつまでも生徒たちを大切に包んでいきます。そんな素敵な先生で、尊敬する方の一人です。




3日だったので、自分も含めて次の日の4日が仕事という人もいて、早めにそれぞれの赴任地に戻って行った人もいます。中堅として活躍をしていることでしょう。話が弾み、あっという間に時間が過ぎていきました。




生徒たちに訃報に接したり、健康を害している話も聞いたりします。最後に話を・・・ということだったので、「健康でまた楽しく会おうね。」という話をしました。




これからの時代を担っていくかつての生徒たちです。今年もいい年でありますように、心から祈っています。

ちょっと休憩Ⅳ 最終回

2013年01月03日 | Weblog
もう食えねえあわびにひらめが皿に舞い
              ベルトを緩めてキャベジン飲んで





済州島旅行記の最終回。よくWEBなどで見ると、ぜいたくをせず、少人数で行くならば、結構安いんですよね。国内旅行より安いのかも知れません。




ちょっと日本を離れて、外の国の様子を見ると、いろんなことを知ることができます。




済州島は、1945年に日本が連合国に降伏すると、朝鮮半島はアメリカ軍とソ連軍によって北緯38度線で分けられます。




しかし、済州島で南北統一された自主独立国家の樹立を訴えるデモを行っていた島民に対して警察が発砲し、島民6名が殺害される事件がおこり、これを機に、闘争は、激化し、10万人近くの住民が殺害されています。悲劇の島でもあったのです。




済州島の生活の様子は、「城邑民俗村」に行けば、理解できます。ここでは、過去の家の様子を見ることができ、国から補助金が出ているので、壊して新しい家を建てることができません。済州島に住む人々の生活する姿を直接見ることができる生きた文化遺産です。実際に人々も暮らしています。




住民の方に、済州島独特の三本の棒を使った門の説明をしていただき中に入ります。馬に引かせる石臼や木につけた萱で雨水を甕に溜める仕組み、トイレにもなっている豚の飼育場などを見学しました。




ここで飼われている済州名物黒豚がいます。なんと、人間の排泄物をまるごと食べて育つといいます。男子は、トイレでは棒をもって用を足さないと秘密の場所が豚に食べられるので、豚が近寄ったら、棒で追い払うという、大胆なトイレです。



そして、少し済州島の歴史を学んでホテルに戻りました。 




この島での料理は、もちろん韓国料理ですが、ビビンバなどもしっかり腹に入れました。しかし、ソウルや釜山などと比べると、肉はもちろんのことですが、魚介類の料理が多かったです。




市場に行くと、島の人たちがこんなに買うのかというくらい店頭に新鮮な魚が出ていました。食事には海鮮料理がたっぷり出てきました。きっと漁場がいろんなところにあるのでしょう。魚介類がもう・・・いい・・・というほど口にしました。ぜいたくです☆




楽しい旅行となりました。




済州島には、「トルハルバン」という石でできた守り神が至る所にあります。右腕が上にあるものは「文官」で、触ると学業成就、頭が良くなるなどの御利益があり、左腕が上にあるものは「武官」で、こちらは無病息災などの御利益があると言われています。




また、後ろから見ると男の○の形をしており、子孫繁栄の意味があり、鼻を触ると男の子が、耳を触ると女の子が生まれると信じられているそうです。火山でできた島ならではの守り神です。




ちょっと休憩という旅行ができました。
「文官」「武官」と今年は、「平凡」がいい一年でありますように・・・と旅行の思い出をたどりながら思っています・・・。

新しい年に

2013年01月02日 | Weblog
初思い平凡がいい一年に
         祈りを込めて降る雪眺め
          

子どもたちが帰ってきて、家族がそろって正月を迎えることができました。平凡ですが、紅白歌合戦を見て、会話を弾ませながら年を越しました。



お墓参りしたときに、お寺の方が、
「ふだんは、二人なので、家族が帰ってきてうれしいですね。」
という言葉を言っていました。その通りだと思いました。ふだんは、みんなが仕事に追われていて、なかなか時間を共有することができませんが、帰ってきてくれて賑やかな時間を過ごすことができました。




正月の新聞のクロスワードのクイズに、
「○○○で正月をにぎわう」
という問題がありました。なんだ?




「ともだち」?字数が違う。「かぞく」?他のマスの字と合わない。「みうち」
でした。そんな時間も大切ですね。




今日は、墓参りをするために、花を買いに、大型スーパーに行きました。たくさんの卒業生や知り合いの人に会いました。家族連れの人が多かったです。




お母さんと買い物に来ていたHくん。「今年は、就職活動でがんばらないと。」といろいろ話をしてくれました。


化粧品店の前でこの店に勤務しているMちゃんにも会いました。Mちゃんの子どもの話などに話が弾みました。働いていてもやっぱり正月です。家にいる子どもたちのことを考えますよね。初買いの一つに「洗顔フォーム」を。いい買い物のスタートかな。





話をもとに戻すと、新しい年を迎えてから、禅海太鼓の演奏を聴きに行きました。年をまたごして青の洞門で行われるので、間に合うかどうかはわかりませんでしたが、年を越してから急いで聴きに行きました。



迫力のある太鼓の音が岩にこだましてさらにパワーアップして耳に聞こえてきました。



NHKの「ゆく年くる年」では、太鼓の演奏と青の洞門の様子が放送されました。幻想的な映像でした。




今年は、年賀状による新しい年のあいさつは欠礼させてもらっています。年賀状を頂いた方には、少しずつ「寒中見舞い」として返事を書いています。まだ届いていない方は、遅くなってすみませんが、もう少し待っていて下さいね。




昨年の災害などの出来事を感じながら、平凡ですが、平凡でいい、平凡がいいと感じつつ新年を迎えました。

今年もよろしくお願いします☆

2013年01月01日 | Weblog
寒中お見舞い申し上げます



昨年九月に母(享年八十四才)が永眠致しました。


勤務中、突然の母のいる施設から母の意識がないことの連絡。急いで駆けつけてみると、母はすでに安らかな顔で眠りについていました。衝撃的でした。その日に、通夜、次の日に葬儀と母とゆっくり過ごせないまま、あわただしく時間が過ぎ去っていきました。




父も母もいなくなった寂しさは、ぬぐいきれませんが、今は、二人に感謝の気持ちでいっぱいです。毎年、母の様子を年賀状でお知らせしてきましたが、今年からできないことに寂しさを覚えます。昨年中に賜りましたご厚情を深謝いたします。本年もよろしくお願いします。



なお、時節柄一層のご自愛の程お祈り申し上げます。