かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

三光路を駆け抜けた生徒たち

2015年10月22日 | Weblog
スポーツの秋。しっかりと秋風を受けながら、生徒たちは、活動を展開していっています。10月20日に「中津市駅伝競技大会」が三光中学校周辺コースで行われました。


中津市の各中学校より参加して、県駅伝の出場権を兼ねて熱戦が繰り広げられました。勤務する中学校からも男女それぞれのチームが参戦。



 
夏休みが終わってから、練習に取り組んでいきました。それでも市の新人戦、体育大会の取り組みなどがあり、みんながそろっての練習は思うようにはできませんでしたが、一人ひとりが目標をもって真剣に練習にのぞんでいきました。


 
大会は、開会式のあと、女子が10時からスタートしました。十分な練習はできていませんでしたが、選手、控えの選手が一丸となってのレース運びとなりました。

駅伝の大会の中でも、女子も男子も一生懸命に走る姿、控えの生徒、レースが終わった生徒たちが仲間を熱く応援する姿、走り終わった選手に優しく関わる姿などたくさんの感動のドラマを見ることができました。


多くのお家の方が応援に駆けつけてくれていました。

大きな声援を背中に受けながら、後押ししてもらいながら、生徒たちは三光路を駆け抜けていき、たすきをつないでいきました。



 
生徒たちは、出場している最後のチームがゴールに入るまで、選手たちにしっかりと応援をしていました。その姿に優しさを感じることができました。

惜しくも上位入賞はできませんでしたが、駅伝の練習、大会を通して、走る喜び、目標をもって乗り越えていこうとする気持ちで努力していく姿に感動をもらうことができました。



また生徒たちがこれから生きていく中で軸となる大切な心の持ち方を身につけていっていることにこちらが学ぶことができました。


中継所に走り込んでくる学校をマイク無しでも伝えることができる先生にも再会しました。

先輩の先生の誕生日パーティ

2015年10月21日 | Weblog
何かとあわただしい毎日を送っています。が・・・。今日の夜は癒しの時間を持つことができました。
 

今日は、かつて一緒に小学校で勤務したH先生の69回目の誕生日でした。

おめでとうございます。


毎年この日は、H先生のお宅にお邪魔して誕生日会をしています。同じ学校で勤務してから25年が経ちますが、なんやかんやで25年間、毎年集まっています。
 

いろいろとお世話をしてくれているN先生のおかげですが、いろんな先生たちがケーキを持ってきてくれたり、果物を持ってきてくれたりと食べきれないほど食べています。


ケーキは、69本も立てることができないので、大きいろうそくを6本と小さなろうそく9本をたてて、みんなで♪ハッピ―バースディ♪の歌を歌って宴の開始です。
 

おなかいっぱいに食べて、とりとめもなく話して、とりとめもなく笑って・・・時間があっという間に過ぎていきました。


自分自身、年はどんどんと取ってきていますが、25年前にタイムスリップをしたような感覚になりました。


こうしてみんなが健康で集まることができることがうれしく思います。
 


今、携帯電話のアプリの万歩計を使って、少しは、歩くことに気を使っていますが、間違いなく歩いた分のエネルギーの2~3倍はしっかりと食べました。
 


癒しのそして幸せな飽食でした。

流れるような一日でした

2015年10月20日 | Weblog
秋のいろんな行事が続きます。今日は、午前中は中学校駅伝大会、午後からは、市役所での会議、とどめは夜の研修会でした。流れるように行事や会議等が続いていきました。
 

夜は中津市教育委員会主催の中津教師義塾が行なわれました。


講演会と熟議のタイムがありました。
 

講演会は、「教育委員として思うこと~共に中津の教育の未来を語り合おう~」でした。



私学を運営していく中で、生徒「一人ひとりを大切にする教育」は何かなどを仏教の話ともかみ合わながら伝えてくれました。
「対機説法」(応病与薬)
など、一人ひとりに応じた関わり方をしていくことの大切さを話していただきました。



また意識改革は形からということで、これまでの経営を振り返って、得たものを話題に出してくれました。私学ならではの良さも感じました。
 


講演会のあとは、小グループに分かれて、「中津の子どもたちに育みたい力は何か」を出し合いました。次に、課題解決のために学校・家庭・地域がやるべきことは何かを熟議しました。


今回の参加者は、保護者、幼稚園の先生、JC、教育委員さんなど多彩な方が見えられていました。学校だけの一面でなく、いろんな分野の方からの教育の話を聞く機会を持つことができ、参考になりました。


見方が違うところの話は、学べます。JCの方が、


「今日はアウエイ的な雰囲気がこの会に来ました。機会があれば、今度は先生方がアウエイ的なところにも参加して学習して下さい。」



と話されていたのが印象的でした。アウエイだからこそ、感覚が磨かれていくところもありますし、いろんな社会で生きている方との繋がりを持つことができます。

桐箱を創る方やピアニストの方と同じグループで交流を持つことができました。
 


有意義な夜の時間となりました。



かつての生徒たちの幸せ

2015年10月19日 | Weblog
月曜日。しなければならない仕事もたんまりあって、なんとか片付けることができました。あっという間に一日が過ぎていきました。

時間が過ぎ去っていくスピードが速いこの頃ですが、ほっとする瞬間もあります。


 
いろんな生徒と関わってきて、再会できるときです。


消防士になっているKくんがこの冬結婚します。

「先生、土曜日に時間が空いていないですか。」

と言うので、新人戦の会場で会うことにしました。駐車場に着いたときには、婚約された方と待っていてくれました。海のところが会場だったので、バックの2人の顔が青空をバックにとても輝いていました。

お似合いの2人です。


ときどき一緒に食事をする機会もあったので、結婚される方もよく知っています。2人とも優しい人です。これから幸せな家庭を築いていって欲しいです。


昨日の日曜日の新人戦などが終わり、帰る途中に中津のラーメン店に寄ると、
「先生。」
の声。見ると、さっきまでサッカーの新人戦に一緒に応援に行っていたSくんがバイトをしています。


弟の試合を応援に行って、中津に戻ってすぐに仕事です。弟思いで優しいです。お店には、とにかくお客さんがたくさんいましたが、一人ひとりにとても丁寧に対応しています。

その様子をじっと見ていましたが、さわやかさを感じました。


他にもAくんがバイトをしていました。夕飯時なので、お客さんの回転も早く、忙しさは見ていてもこちらが疲れそうになりますが、元気いっぱいに接客をしていました。店の人から信頼があるのが、見ていていてもわかります。バイトも勉強。


Aくんは、建設会社に就職が決まったそうで、高校生活も充実しています。
 


横をちらっと見ると、またまた偶然に、HくんとHさん夫婦が食事をしていました。おくさんも同じ中学校出身です。
「先生、来週生まれるんですよ。」
おなかもぱんぱんになっていますが、夫婦共にいい笑顔です。とても幸せそうです。それがまたうれしいです。


来週には、家族が増え、最後の2人だけの時間を楽しんでいます。そしてこれから愛情たっぷりに子育てにも頑張っていくのでしょう。おなかもさわらせてもらいました。
 


ほんわかな時間を過ごしたので、今日は、ほんわかパワーでなんとか仕事をこなすことができました。
 


生徒たちとの再会に喜びを感じました。

アンファンマルシェ&大分県新人戦のスタート

2015年10月18日 | Weblog
最近、土日ごとにいろんなイベントが行なわれています。この土日は、見上げるとスカイブルーが広がっていて、雲を見つけるのが至難の業といった感じでした。

さわやかな風が流れる秋空のもとで、生徒たちの活発な活動が繰り広げられました。
 

アンファンマルシェでは、耶馬溪支所の駐車場が人でいっぱいになるほど、たくさんの方が詰めかけていました。ステージでは、保育園、小学校などの活動の発表がありました。

男子、女子の中学生もボランティアでいろんなステージでのサポート、会場でのお世話をしていました。みんないい笑顔で頑張っていたことが嬉しく感じました。 
 

また昨日から県新人戦がスタートしています。そして、今日、耶馬溪ではアンファンマルシェが開幕。たくさんの子どもたちそして、地域の人たちが耶馬溪支所前で賑わいました。


とどめは、友だちの会社がおこなっていた展示会と3つを渡り歩きながら、秋の一日を過ごしました。
 


昨日からの県の新人戦。県下各地の会場で行なわれています。勤務校から、サッカー、剣道、柔道、女子ソフトテニスと生徒たちは、相手に挑んでいきました。
 


サッカーは、一回戦3‐1で大分市の中学校を破りました。今日の二回戦では日田の中学校を4‐1で撃破。ベスト16に進出をしました。来週はベスト8をかけて対戦をします。


剣道は、個人戦で、二人が4回戦まで進出をしました。


柔道は個人でベスト8入り。

女子ソフトテニス部は、大分市の中学校を相手に善戦をしましたが、惜しくも一回戦で敗退しました。

サッカーを応援に行きましたが、一回戦は、1点を先取されましたが、冷静な対応ですぐに同点に追い付き、その後、ペースをつかみゴールを重ねました。

けがをしている選手もいる中、一丸となって戦って行きました。

今日も粘りを見せ、後半に入っても体力が衰えることなくゴールラッシュを展開しました。
 

中体連関係も、今週は市駅伝大会、来週は、ベスト8入りをかけたサッカーの戦いが行なわれます。
 


選手たちが目標・気持ちを一つに合わせながら、練習の成果をしっかりと発揮していって欲しいと願っています。
 


最後に友だちが勤務している会社の展示会で大銀ドームに。ソフトバンクホークスの野球観戦、キャンプ観戦などのチケットでは大変、大変お世話になっています。幹部としてこのイベントを切り盛りしています。


たくさんの人出があり、とても忙しそうで、ゆっくりと話すことはできませんでしたが、活躍をしている姿を感じることができました。

ソフトバンクホークスからは、
日本シリーズが迫っているので選手は来ていませんでしたが、「ハニーズ」が来場して、盛り上げにひと役かっていました。
 


来週は、今度は「耶馬三城を攻めろ!」です。秋になりふるさとではいろんなイベントで盛り上がります。
 


ということで、明日からの仕事にそなえて寝ます。おやすみなさい。

ナイトシャッフル放映の中で

2015年10月17日 | Weblog
10月も早いもので、もう、半ばになっています。そして、秋もスピードをあげて深まってきています。今日は、近所の方の庭の柿をいただきました。そこは柿の実が連なっています。

「これは無農薬だからね。」

と言いながら、剪定ばさみで実がついた枝をきってくれました。
美味しいこと、この上ありませんでした。


 
このように、秋が深まる中、夏の日の思い出の置き土産・・・かな・・・夏の終わりにたまたま行った道の駅「むなかた」で収録された映像が流されました。
 
こんな偶然なことがあるのでしょうか。道の駅にいると、撮影をしていた演歌歌手の山内恵介さんたちと出会いました。そこから話が急展開して、家族でテレビに出るようになりました。


そして、「以心伝心」というクイズに挑戦しました。
 
その様子が昨日の「ナイトシャッフル」で放映されました。さらにクイズで一万円ゲットしました。
 
その後、写真を送ったり、テレビ局の方とやり取りをしながら、スタッフの方たちが番組を創ってくれました。楽しく見ることができました。


親戚の方々も喜んでくれました。


わずか数分の番組一つ創るのにも大変であることをスタッフの方々の動きから感じることができました。
 
ナイトシャッフルで、自分たちの分は、もちろん自分たち家族が出ているので、楽しかったのですが、その前のプログラムのV6の岡田准一さんたちが出ていて、「官兵衛」とからめながらの特集は楽しく視聴することができました。




自分たちの分も大変だったと思いますが、さらに岡田さんが出ているあの何十分の番組を創るのは、大物の方であること、時間などを考えると相当なエネルギーを費やしたことでしょう。
 
あの撮影中、クイズに出た家族以外におなかに赤ちゃんがいる家族がいました。撮影途中、暑さのために避暑に。残念ながら、テレビには出ることができませんでしたが、いよいよお産となりました。
 


秋になりましたが、思い出の夏が蘇ってきました。

P.S 鶴阪橋(特別編)

2015年10月16日 | Weblog
「鶴阪橋」についての話の追加です。真相に迫る?!ために、ここは、中津の歴史を語るにはこの人しかいません。さっそく何かとお世話になっているこの人=郷土史家である「ちかすなさん」に電話をしました。


「あのう、鶴阪橋の名前の由来についてですが、かくかくしかじか・・・しかじかかくかく・・・。」
 

この橋の名前の由来のことについては、次のような見解でした。
 


「このような橋の名前は、一般的に地名ではないことも多いです。現在では、いろんなもののネーミングに英語が使われていますよね。


しかし、明治・大正・昭和の時代では、漢詩の中の言葉をよく使っていました。漢詩の言葉とそこの風景や自然(木や植物、岩・・・)などと織り交ぜて、名前をつける傾向がありました。
 

「鶴阪」も何かの漢詩にあるのかも知れません。それと、この橋のところにあった垂松が鶴に似ていることと合わせてつけた可能性が大きいです。」

 


ということは、かったか説①が正解か。しかし、さすが「ちかすなさん」突然の電話にも歴史の答えていただけます。

 

答えは、推測の域でしかありませんが、いろいろ郷土を知る上での勉強になりました。これもすべて「耶馬溪スポーツ祭」のおかげです・・・?!
 
 


本当にこの「鶴阪橋」についての話は、おしまいです。

ナイトシャッフルに~出演・・・かな~

2015年10月15日 | Weblog
お待たせしました。

出演するするといいながら、いろんな都合で、のび、のび、のびになっていたFBS放送「ナイトシャッフル」に登場、放映されることになりました。

 
ことの始まりは、上の一枚の写真からです。家族でドライブに行っていたときに、人だかりが。なんだ、なんだ、なんだ。

好奇心。


そして、だんだんと集団が、こちらの方に向かってきます。生活の中ではふだんお目にかかることのない歌手の方やアナウンサーの方です。 


話しかけられました。ドライブ気分から、緊張が走りました。生活の中ではふだん、画面の向こうにいる歌手の方から話しかけられることなど、ありえないことですから・・・。



そこから話は、また急展開します。ということで、明日の夜、FBSで放映です。ぜひ、時間のある方は見て下さい。

耶馬溪の風景から~最終回~

2015年10月14日 | Weblog
「鶴阪橋」どうして、地名にもたぶんないと思うのですが、「鶴」などがついた名前がついたのでしょうか。

「鶴」・・・中津で言えば、人柱になり、堰を作った「鶴」と「市太郎」の親子の話。

後に「鶴市神社」に祀られています。


そして、昨年大河ドラマ「官兵衛」の中で登場した宇都宮鎮房の娘の「鶴姫」の話。

「鶴」という人物は、中津を語る時によく出てくる人物です。この橋は、そこに関わるのでしょうか。でもちょっと距離がありすぎる。
 

「鶴阪橋」にはまだ小学校に入学する前の頃の苦い思い出があります。今でもよく覚えています。親戚の人たちが集まりました。そして、おばさんたちと近所に散歩に出ました。

「鶴阪橋」にさしかかったときに、
「かったかちゃん、写真を撮るよ。欄干に上がりなさい。」


なぜ、欄干に。今でもそれが分かりません。とにかく泣いたのを覚えています。昨今絶対にありえないし、一歩間違えれば転落して死んでしまいます。今では罪になるでしょう。
 

恐怖の中、足を震わせながら、欄干で撮った写真です。律儀に気をつけまでしています。しかし、涙を流しています。
 

本を広げ「郷愁の耶馬溪線」を見ると、「耶馬溪鉄道唱歌」の16番に
「平田城址や西浄寺 彼方を眺めて立留り
       城井の神社を伏し拝み 枝垂の松の鶴の坂」

が挿入されています。ここで、「枝垂の松の鶴の坂」と鶴阪の言葉が登場します。この「鶴阪橋」の近くに枝が垂れている松があったのでしょうか。
 


ちなみに、耶馬溪町史の806ページに、「猶歩を進めて鶴坂の垂る松を過ぐれば五竜の滝の絶勝あり」という記述があります。この場所に垂れた松の木があったのは間違いありません。

垂れ松で有名な隠れ観光スポットだったのでしょう。
 
インターネットを見ると、その昔、鶴坂の松は、絵はがきにもなっています。

おっ、これはなんだ、なんだ。橋のところにこんな垂れた松があったのか。独断と偏見で「鶴阪」とよばれる由縁の説を唱えます。


 
ひょっとして、これ、松の枝に鶴が留まっている形をしていませんか。かったか説その①。
「垂れた松が鶴に似ているし、近くには、坂があるので、「鶴阪」になった。」どうでしょう。



現在は、このような景色です。今日の早朝の朝陽を浴びた鶴阪橋付近です。今は、雑木で覆われていますが、当時は、松が下に伸びていたのでしょう。
 

そう考えると、ロマンがあります。
 

次の説です。かったか説その②。この橋から川を眺めると、「さんじゅうさんぴろ」には、いろんな岩が水面から浮かんでいます。

昔は、よく「亀の岩」などと言われる岩もありました。
 


つまり、この岩のどれかを「鶴」ととらえたとも考えられます。
 川の水で岩が削られ、いろんな形を作っています。

 

そして、かったか説その③。中津城で父宇都宮鎮房が殺害をされたときに、「鶴姫」が逃げてきた。その由来から。

とっぴな話でもないかもしれません。これもまったくないわけではないかもしれない理由です。ちょうど、対岸には、その仕えた女性たちが追っ手に殺された場所があります。その場所を「姫塚」と言います。


戦国時代での何らかの関わりがあったのかも知れません。

 
いろいろ考えると、昔の人々の暮らしに思いを馳せます。地名ではない「姫」や「阪」が使われているのは、どうしてでしょう。謎はありますが、かったか説を唱えました。



知っている方がおられたら教えて下さい。

ちなみに、「耶馬溪鉄道唱歌」は次のような歌です。「鉄道唱歌」のメロディで歌ってみて下さい。いろんな地名が出てきます。

耶馬溪鉄道唱歌            作詞 鴛海 国陽

1.頼山陽の筆により 天下に名高き耶馬溪の
    奇景勝景探らんと 今ぞ降り立つ中津駅

2. 独立自尊と訓へたる 福翁出所の中津町
    昔を偲ぶ記念碑は 扇城々址聳えたる

3. 耶馬溪軽鉄の列車にて 汽笛一声勇ましく
    沖代平野を右左 名僧雲華の古城駅

4. 郡中一の大貞の 宮居は高し杉の杜
    鯉の鰭ふる薦池 映るや辺りの八つの景

5. 常盤の松に色そえて 春は桜に秋紅葉
    美談を残す鶴市や 八面登山は上の原

6. 真坂は杉と兎とび 餅に名を得し野路の駅
    宇佐に由縁の斧立社 過ぐれば変わる郷の態

7. 耶馬七景の清流を 一つに注ぐ鮎返り
    山の姿や水の色 眺めおかしき仏坂

8. 樋田の民家を眺めつつ いつしか珀水湛える
    樋田大堰の鉄橋を 渡る響きは雷か

9. 水に映らふ隧道は 昔時孤客の禅海が
    三十余の辛酸に ほりしといへる洞門よ

10. 羅漢寺駅を下り立てば 法道仙人唐土より
    来りて開きし羅漢寺へ 道程僅か十五町

11. 手の平返し針の耳 五百羅漢や宝物館
    地獄極楽一めぐり 洞鳴の滝も遠からず

12. 駅のほとりの青の里 眺め尽きせず山陽が
     一夜をあかせし絶景地 近くに流れの犬走り

13. 競秀峰をながめつつ スタンプ付の絵葉書や
     耶馬溪焼の三猿を 記念の土産に買ふもよし

14. 千筋の滝の蕨野に 三日月神社の杜蔭や
     賢女ヶ嶽の岸壁は 河の彼方に唯一目

15. 見よや此方の冠石 名にちなみたる冠石野の
     駅を過ぐれば厳洞山 麓に刀自売の久福寺 

16. 平田城址や西浄寺 彼方を眺めて立留り
     城井の神社を伏し拝み 枝垂の松の鶴の坂

17. ゆかしき声の鶯は 彼方此方の山の峰
     机は本線最長の 隧道刹那は暮れの闇 

18. 酔仙厳や高城山 川を隔てて秀麗の
     鳥帽子ヶ嶽に机渕 廻ればいつか津民駅

19. 幽遂閑雅の桧原山誦経の声を聞きながら
     昔を偲ぶ正平寺 茲より僅か一里半

20. 奇岳の麓西東 翠巒 清水眺めては 
瑞西の景もかくもこそ 
ロッキー山狭かくもこそ                    

21. 柿坂駅の勝景は 文にも画尽されず 
     筆を擲ち山陽が称揚したる擲筆峰

22. 茲は耶鉄の終点地 寺宝に名ある袈裟掛の
    名号を有する善正寺 詣でて旅労を忘るべし

23. 是より馬車や車にて 三里余りを辿りなば
     山幽水伯秀麗の 深耶馬溪に至るべし

24. 芝石岩や鳶の岩 竜鼻岩にこじき岩
     七福岩と鴨良滝 奇しき眺めは数多し

25. 英彦登山は本溪の 青葉若葉に花紅葉
     四季の眺めに七里半 山溶水色限りなし

26. 途にて比目の花房や 毛谷村六助豊前坊
     武術をきたひし岩見等の 史跡を探るも妙ならん

耶馬溪の風景から~2回にわたって~

2015年10月13日 | Weblog
「鶴阪の橋」という身近な橋の名前を昨日、耶馬溪スポーツ祭から歩いて帰る途中で初めて知りました。

この橋の名の由来という主題にいきつくまで、2回にわたって、耶馬溪の隠れた部分、昔の出来事を紹介しながら徒然に文章を書きます。
 

かつて、私自身が幼少のころは、プールなどはもちろんありませんでした。夏休みは、お家の方たちにかわりばんこに監視人になってもらいながら、川で泳いでいました。


雨の時や上級生が毎日川の水温を計り、冷たいときには、泳ぐ場所の上の道路に赤旗を立っています。赤旗が立った時は、この日の水泳は禁止です。
 


今、よく川の流れがわからなく川でおぼれる若者も多くいます。そこは、昔。流れや深さは、子どもたちは熟知しています。小学生が泳ぐところは、深いところもあり、瀬も適当にあり、浅いところもあり・・・で絶好の楽しく過ごせるオアシスの遊泳場でした。


泳いだり、魚を獲ったり、石で温泉を作ったり、石の上で甲羅干しをしたり、夏休みの間に一気に真っ黒になります。
その場所より、70~80メートル上流は、遊泳禁止でした。
 

その場所は、「さんぴろ」と言っています。当時は「さんじゅうさんぴろ」と呼ばれていました。「ひとひろ」が1.5メートルほどですから、「さんぴろ」は4.5メートルくらいの深さかもしれません。「さんじゅうさんぴろ」となると・・・どのくらい深い。



さんじゅうさんぴろまではなかったかもしれませんが、川の底に手をついて水面に戻ってくるのは、至難の技です。
 


鯉が釣れる絶好の釣りスポットでもありました。岩の上から見ると、たくさんの鯉が泳いでいました。父とよく朝早く起きて、「さんじゅうさんぴろ」に鯉釣りに行っていました。
 


中学生や高校生がよく泳いでいました。父が監視人をしてくれたときに、得意な平泳ぎで「さんじゅうさんぴろ」まで、流れに逆らっていく姿は羨望に近いものがありました。
 

「さんじゅうさんぴろ」は、ちょうど、山国川と三尾母川が合流をするところです。五竜の滝のすぐ下流です。三尾母川が山国川の本流にでるところに耶馬溪鉄道と並行して人や車が通る橋がありました。


そこを昨日通った時に「鶴阪橋」と、石でできた橋に刻まれているのを見つけました。
 


一般的に、橋などには、よくそこの地名を使っています。鶴阪・・・「大字」でもなく「小字」でもありません。「字」なのでしょうか。「字」までは知りません。


人通りも少ないこの橋に、「鶴」とか大阪の「阪」を使っているこの「鶴阪橋」です。鶴市神社に関係するのかな、大阪と何か関係があるのかなど好奇心がわきました。


どんな由来があるのか知りたいと思い、町史や郡史・・・などを引っ張り出しました。



昨日の今日の話ですから、そんなには深くは知ることもないのですが、本を見る中で、故郷の身近な中にいろんな面白い話を知ることができました。自分自身の発見です。
というところで、明日に続く。

体育の日のふるさとのイベント

2015年10月12日 | Weblog
3連休の最終日。休みはあっという間に過ぎていきます。何をしたのかなあ~~と思っても、旅行とか行ったわけではありませんが、目の前のいろんなことをしている間にしっかりと3日間が過ぎていっています。


さあ、明日からまた仕事が再開です。スケジュール帳を見ると、いろんな会議や行事がびっちり詰まっています。がんばろう。
 

そんな中で、今日は、「体育の日」です。3連休中のスポーツイベントの最終回。「耶馬溪スポーツ祭」が開催されました。町民の方たちが軽スポーツなどで体を動かしました。
 


開会式と「スカットボール」の応援をしました。開会式は、参加者が行進をしました。小学生から高齢者の方まで200人近くの方が参加をしていました。
そして、マスゲームと続きスポーツ祭が開幕をしました。
 


各会場では、「スカットボール」「ペタンク」「グランドゴルフ」「スマイルボーリング」などで賑わいました。

かつては、野球やソフトボール、バレーボールなど本格的な競技がありましたが、人口の減少とともに、スポーツ祭も様変わりになっています。

スカットボールは、ボールをスタートラインからスティックで打って、得点穴にボールを入れる競技です。小学校校区対抗です。中学生も出場をしていました。小学生・中学生、お家の方たちがチームを組んで試合に臨んでいました。

会場は楽しく、試合と言えども笑顔の花がいっぱいです。ボールが最高得点の穴などに入ろうものなら、わーっと歓声もわきます。



チームもそして地域の交流があたたかく育まれていきました。
 


秋の風景を感じながら、帰りは歩きです。

ほんのりとですが、木々も色づき始めています。田んぼは稲刈りも終わり、冬の訪れを待っているようなそんな感じです。


ふだんは、ゆっくりと見ることができませんが、ほんのわずかな時間。のんびりと景色を眺めることができました。


歩くことで、名前も初めて知った橋もありました。秋の空気でリフレッシュができました。

体育の日の前日だけど・・・秋の匂いを感じて

2015年10月11日 | Weblog
今日は、2つのスポーツ大会が行なわれました。

朝から少し雨がぱらつきました。しかしそのあとは、天気もよし。暑くもなく寒くもなく、運動日和でした。
 

2つのイベント。障害福祉サービス事業所「もみじ園」の運動会と「OB野球中津地区予選会」の2つのスポーツ行事に参加をしました。
もみじ園の運動会は、たくさんの地域の方が会場に詰めかけていました。

またボランティアで中学生・高校生・一般の方がお世話をしていました。野球の試合と日が重なっていたので、出れる時間までいました。


 
もみじ園では地域の中でいろんな行事に参加をしています。わたしたちの地区ではどんど焼、夏のお祭りなどに園生が来てくれ、盛り上げにひと役かってくれています。

どんど焼では、火入れをする前に、「もち投げ」があります。もみじ園で園生が作ったおもちです。


また勤務する学校の校内音楽会では、プログラムの中に園生の演奏などのコーナーがあります。練習の成果を中学校の音楽会の中で披露してくれます。感謝することが多くあります。地域の中では、存在感のある活動をしています。


これまで、職員の方、園生の取り組みがあってのことです。
 
一方、ふだんの関わりの中で、もみじ園の運動会では、地域の方などがたくさん詰めかけています。園生の応援とともに、地域の方同士の交流の場となっています。

 

開会式そして、何種目かの競技を応援しました。
 

そして、OB野球に参加しました。これも夏から、体にむち打ちながらずっと練習をしてきました。準決勝からのスタートです。今年になってから、肩の痛みが続きましたが、ここ最近、投げることができるようになりました。



痛み止めも飲んで、しっかりサロメチールも塗って、完璧なケアで、今日は、レフトで出させてもらいました。準決勝は打撃戦となりました。



入れられては返す試合展開。相手も強豪です。打撃戦でしたが、こちらは粘ったものの、最終打席でクリーンではないヒット一本だけで、打撃戦のかやの外でした。
 

残念ながら敗れ、決勝までは進出できませんでした。来年は、地区代表で一回でも県大会に行けたらと夢を見ています。こうして20代からずっとこのチームの仲間たちと野球を通して、つながりが持てていることが嬉しく思います。


今シーズンは、2つの大会に参加することができました。チームのみなさん、6月の練習からお疲れさまでした。
 


明日は、町民のスポーツ祭があります。来週は、県の新人戦、アンファンマルシェなど12月の上旬ごろまで、休みごとにいろんな行事が入っています。

地域の行事を楽しみながら、参加させてもらいたいと思います。

秋の味覚の贈り物

2015年10月10日 | Weblog
明日は、今シーズン最後の野球の大会があります。「OB野球中津地区予選会」です。とは言っても年間2つの大会しか出ませんが。


少し、咳が出るので、明日、出ることができなくなったらいけないので、今日は、午前中、教えた生徒がいる病院に行きました。しかし・・・運動会のためにお休みしていました。
 
先生に、「きれいな肺です。音も異常ありません。」と言われたので、しっかり頑張りましょう。 
 

そんな中で朝起きると、今日は寒く感じました。暖房を入れようかなあと思うほどでした。秋の深まりを感じます。
 

先週の終わりに、いただきものがありました。まずは、五馬の梨です。夏にある方のお見舞いに行きました。五馬に勤務していた時に、PTAの役員をしていただいていた方のお母さんでした。


逆に今は、わが子がその家族の方にお世話になっています。縁のがつながることを感じます。そんな交流が続いていることで病院に行きました。
 

いろんなご縁で、五馬の秋の味覚、梨を送っていただきました。またまたそれも縁がつながっていて、今年は行くことができていませんが、五馬の湯浅農園の梨でした。甘くてとても美味しい農園の梨です。


絶品です。


うん、どこにあるんだ?というようなところに、家族で経営している農園があります。木立の中に農園があり、ずらりと並んだ梨が売られています。落ち着いた趣のある農園です。


いつも笑顔で家族の方々が出迎えてくれます。迷いながら是非、行ってみてください。一度行くと、もう一度行きたくなる農園です。
 

とどめの秋の味覚。近所の酒屋さんから手づくりの柚ごしょうをいただきました。これも大好物です。「冷凍しておくといいですよ。」ふたを開けると、ぷーんといいふるさとの匂いがしてきました。


さっそく、味噌汁の中に入れました。おいしく柚の味を楽しむことができるのですが、作る方は大変です。心がこもった味をしばらく楽しむことができます。
 


だんだんと山々は色づいてきています。これから紅葉シーズンとなります。味覚、風景と山あいならではの秋の季節をしっかりと楽しみたいと思います。

天へと・・・澄んだ秋空へ

2015年10月09日 | Weblog
昨日はおばの葬儀が行われました。前日の夜からおばのところに行かせてもらいました。いろんな思いが浮かぶ中での2日間でした。
 

葬儀が終わってから、自宅の方にお骨などを持って行きました。部屋の中に入ると、壁に貼られていた一枚の少し古くなった色紙を目にしました。

最後退職をするときの職場の先生たちとの写真が貼られ、その周りには、一人ひとりからの言葉が書かれていました。

大切に飾っています。


おばは37年間小学校の先生をしていました。最後は、島の学校でした。

今は、過疎化の中で児童数も激減しているのでしょうが、当時の写真を見ると、先生の数もたくさんいます。

たくさんの子どもたちとこの学校で関わりを深めていったのでしょう。
音楽が専門で、子どもたちと校舎に歌声を響かせていたことだと思います。
 

37年間の教員生活。そして時が経ち、退職されてから小さな時計店を営むご主人と同じくらいの年数を地区の中で生きてきました。
 

おばのおかげで、家に埃をかぶっていたゼンマイで動くふりこの時計を動かすようにしていただきました。


明治から大正にかけて時を刻み、歴史を見てきた時計が復活してきました。

おじは、
「ぜんまいの時計で動かせない物はないですよ。」
という職人気質の時計屋さんです。
 


女性として激動の大正、昭和と生きてきたおばが逝ってしまいました。最後の勤務校を一緒に過ごした先生の弔辞がおばの人柄を感じました。

下の写真は、火葬場から見た八面山です。
 


一昨日は、中学校のときの先生。その後、教育長さんとしても関わりをもっていただきました。またお孫さんのMさんをこちらが教える縁がありました。

そのお孫さんが、わが子と同じ勤務場所になったりしました。何かにつけて、つながりがありました。



前任校の時、学校だよりは、できるだけ先生のところにもって行っていました。

「おっ、よおきたのう。どげしよるか。」

と奥様と笑顔で迎えてくれました。足がおぼつかないところがあったので、

「せんせい、こけんようにせんとつまらんよ。」
「そうじゃのう。」
 

豪快だけど、私たちが中学生のときもそうでしたが、人への心配りができる優しい先生でした。だから、葬儀場もあふれるほど弔問の人が訪れていました。


前任校で最後の学校便りをもって行ったのが、先生との最後に交わした言葉だったのかも知れません。この2日間は、大切な人を見送りました。


秋の空や海がせつなく寂しく感じました。
写真は、帰りに見た海の夕陽です。

寒い朝・・・秋も本格的に

2015年10月06日 | Weblog
今日の朝は冷えました。うん?ストーブを入れようか・・・どうしようか・・・。秋の深まりをしっかりと肌に感じることができるふるさとです。残暑がなく体育大会を過ごし、秋へと移り変わってきた季節です。

そんな中、今日は、あわただしい一日でした。
出張、会議、お世話になった2人の方の死・・・

今日は行けなかったので、明日は、お参りと思っています。


生きているからいろんなことがおきる、生きているからいろんなことを感じる。

ふーっと深呼吸。明日もがんばろう。