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岩波現代文庫のフィリピン敗戦体験記から18完 人間が人間として生きられぬ社会をつくってはならない
戦争は、平穏な暮らしの対極にあります。
平穏な暮らしを守るために、
戦争は、絶対に避けなければなりません。
戦争の実態を意識して学び、
戦争の臭いに敏感になり、
常に意識して、戦争を遠ざけていなければなりません。
口だけ勇ましく吠える、実際は臆病な人たちを退けなければいけません。
それが、平和を守るということだと思います。
岩波現代文庫『戦争とたたかう――憲法学者・久田栄正のルソン戦体験』(417ページ)という本があります。太平洋戦争のフィリピン戦惨敗体験記です。ここから抜き書きをして紹介いたします。抜き書きは原文そのままの場合と、原文をさわって少し要約して紹介することもあります。
このシリーズの2、9、10、14に、臆病な将軍の実話が紹介されています。
ウィキペディアによりますと、ルソン島 はフィリピン諸島のうちで最も面積の大きな島で、フィリピンの総面積の35%を占めています。首都マニラやフィリピン一人口の多いケソンはこの島にあり、首都圏メトロ・マニラを形成しています。世界で17番目に大きな島で、世界で4番目に人口が多い島です。島の主要部は大体長方形をしていて、最長部で南北の長さがおよそ740km、東西の長さがおよそ225kmあります。マニラ湾やリンガエン湾を代表とする多くの湾があります。
1941年12月末、日本軍はフィリピンのルソン島に侵攻を開始し、占領しました。1944年10月、米軍のフィリピン反攻が始まりました。1945年1月、米軍ルソン島上陸。この本はルソン戦の日本軍惨敗の体験記です。戦争でフィリピンの都市などのインフラは徹底的に破壊されました。沖縄戦で県土戦場の悲劇に会った沖縄県民と同じように、日本軍フィリピン侵攻占領の結果として、フィリピン国民を国土戦場の酷い苦しみに引き込みました。
この本の著者・水島朝穂氏は1953年東京都生まれ、早稲田大学法学部教授です。水島氏の対談相手である久田栄正氏の略年譜の一部を次に紹介します。
<久田栄正氏 略年譜>
1915年(大正 4)年 4月 石川県生まれ
1919年(大正 8)年 5月 北海道北見に移住
1941年(昭和16)年 3月 京都帝国大学法学部卒
4月 株式会社野村銀行に入社
11月 結婚
1942年(昭和17)年 5月 小松製作所に転職
7月 召集令状
1943年(昭和18)年 5月 経理部甲種幹部候補生合格
11月 在満州・野戦重砲兵第12連隊に転属
1944年(昭和19)年 7月 陸軍主計少尉任官、所属連隊に動員下令
10月 フィリピン・ルソン島リンガエン湾上陸
所属第2大隊は旭兵団(第23師団)配属
1945年(昭和20)年 1月 9日 米軍、ルソン島リンガエン湾上陸
在ポソロビオ東方丘陵陣地、マラリヤ患う
2月 ナギリアン道イリサンに後退
4月 死守命令、バギオ陥落、トリニダットを
経由してボントック道21キロ地点へ
5月 雨季撤退続く、マラリヤに加えて赤痢併発
21キロ地点からカヤバ道に入る
6月 高柳一等兵の死
旭兵団(第23師団)経理部に転属命令
8月15日 日本の敗戦、無条件降伏
9月 ボントック道52キロ地点で武装解除
ボントック道を死の行進
カンルバン捕虜収容所で3ヵ月生活
12月 マニラ港出航
1946年(昭和21)年 1月 浦賀上陸、石川県小松市帰還
3月 憲法改正案要綱(9条)を見て「とびあが
るほどの喜び」
1989年(平成元)年 12月 死去(74歳)