初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

遠くの新ラジオ局を聞く

2016年01月21日 20時00分15秒 | Weblog


次々に民間放送(ラジオ局)が

あちこちで開局されていきました



自分の作ったラジオがどの位

遠くのラジオ局(中波)が聞こえるのか

ダイアルをまわして一生懸命、

スピーカーに耳を傾けました



毎時59分ごろにラジオ局のコールサインが

放送されます。これを聞くと

いま受信している放送局名が

わかります。

折角、1時間コールサインを待っていても

急に起こるフェージングの谷間に入ったり

空電の雑音で聞き取れないことがしばしばありました



番組名、キャスター名、内容,電波の強さ、などを書いた

受信報告をラジオ局技術部宛に発送します

出来るだけ遠方のラジオ局を聞いて受信報告を送りました

これはDXとかBCLと呼ばれる趣味で

当時の小、中、高校生で一大ブームになりました





受信報告を受け取ったラジオ局では早速

受信確認証を返送してくれました

… … …

この確認証はベリカードと呼ばれて

私は送られてきた数々のベリカードを額に入れて

飾っていました。



開局したばかりのラジオ局は自局の電波が

どこまで遠くに届いているかわかりません

ラジオを載せた自動車で受信しながら、

走りまわって,電界強度(電波伝搬=でんぱでんぱん)を

調べてます

自局は、どこから、どこまでがサービスエリアかがわかります

… … …

それに、遠方のBCLによる受信報告書は

広告収入の民間ラジオ局の営業に役立ったのでしょうか

… … …

貼付のベリカードの写真は当時のものではありません








民間放送はじまる

2016年01月20日 22時04分16秒 | Weblog


簡単なラジオを作って聴いていましたところへ

近く民間放送ラジオが日本で始まるという

ニュースが流れてきました



中波ラジオで受信できる周波数は

550~1600キロサイクルと広いのですが

その中で放送はNHKの第一放送と第二放送と

WVTQの三波のみでした



そこへ民間放送が参加してきました

ラジオ雑誌の記事に

全国で民間放送が始まると

いままでのラジオでは

放送局の混信と分離が悪いので

スーパー・ヘテロダイン式ラジオでないと

受信が困難になるだろうと書かれていました



大阪の民間放送は、朝日放送(JONR)

新日本放送(JOOR=毎日放送)

ラジオ京都(JOBR=KBS京都)

ラジオ神戸(JOCR=ラジオ関西)

などが始まりました

… … …

聴取料で放送していたNHKに対して

広告収入だけで運営される民間放送は

経営が成り立つのか心配されていました



東京ではラジオ東京(JOKR)

文化放送(JOQR)

ニッポン放送(JOLF)

それ以外では四国、広島、など

夜になると電離層の関係から

新しく開局した遠方の民間ラジオが

よく聴けました










真空管は小型化へ

2016年01月19日 22時45分25秒 | Weblog


当時、ラジオを作るのには

真空管を使うしか方法がありませんでした



真空管はタングステン電球のように

フィラメントに電流を流して点灯します

フィラメントから飛び出した電子は

グリッドを通って陽極(プレート) に

達します



電子を陽極で捕捉するために陽極(プレート)は

高い電圧が必要でした



屋外で聴取するように携帯ラジオが考えられました

真空管を数本使って製作するのですが

携帯ラジオをコンパクトにするために

真空管を小さくすることが考えられて

ミニチュア管が出来ました。



さらに真空管のソケットを

省略して真空管のガラス部分からリード線を出して

さらに小型にしたサブ・ミニチュア管が現れました



いくら真空管を小型にしても真空管を動作させる

のに、高圧の電源が必要です

65V、95Vの大きな積層電池(B電源)を

どうしても小型化できません

携帯ラジオはなかなか小さくできませんでした











携帯ラジオを試作する

2016年01月18日 23時44分01秒 | Weblog


私はラジオは電灯線のコンセントに

つないて聞くものだとおもっていました

それが、電池のみで動作する携帯ラジオが

新鮮に感じられました



雑誌「初歩のラジオ」か何かに

簡単な携帯ラジオの製作記事が載っていました

それをヒントに、携帯ラジオを作ったのでしょう



真空管はUZー133Dでこの球は

フィラメントが1、1Vで

3極5極複合管でした

133D真空管はグリッドキャップのついた

姿です。添付写真をご覧ください



まず、3極管部分で電波をグリッド検波して

その復調された音声信号を次の5極管部で

増幅します。しかし、電力増幅ではないので

スピーカーは鳴らせず、マグネチックレシーバーで

聞くだけでした



この133D真空管の規格のプレート電圧は135Vでしたが

私にはとても無理でした。単三電池を30本ほど

直列につないでB電源にしました。約45Vでしょうか






アメリカからきた携帯ラジオ

2016年01月17日 22時38分14秒 | Weblog


敗戦で進駐軍が京都へ

やってきていました

四条烏丸西南角にあるビルに

米軍の司令部がありました

私の通学の市電はその横の四条通を

通っていました

… … …

ビルの外側に広い駐車場があって

軍人の通勤に使っていたのでしょう

派手なアメリカの乗用車が止まっていました

ハドソン、ナッシュ、マーキュリー、フォード

スチュードベーカーなどを覚えています



進駐軍は乗用車を持ち込むのと

真空管式の携帯ラジオも持ってきました

四条御旅所近くにあったアメリカ雑貨店に

その携帯ラジオが展示されていました



その真空管式の携帯ラジオはバカでかくて

とても手で提げて歩けるようなものではありませんでした

身体の大きなアメリカ人が自動車に積んでやっという重さと

大きさでした。



真空管式の携帯ラジオの電源は電池です

真空管を動作させるのにフィラメント(ヒーター)点灯に

A電池(6、3V)と真空管の陽極用のB電池(65V~95V)として

高圧の積層乾電池が必要でした

… … …

この高圧の積層電池(B電池)は小さな電池(セル)を60個ほど

直列につないで大きな長方形のボール箱に入っていました

… … …

私はこの積層電池を初めて見ました

この真空管式携帯ラジオは、ピクニックや

海水浴に、気軽に持って行けるようなものではありませんでした







私もラジオを作ってみよう

2016年01月16日 22時30分42秒 | Weblog


私の高校の友だちの三人ほどが

ラジオを作っていました

友だちに家業は松原木屋町で

大きな酒屋の息子M君がいました



そのM君が、ラジオが出来たから

見に来てくれというので訪ねていきました



M君の出来上がったラジオは

再生式のオートダイン(0ーVー1)?で

回路はグリッド検波した音声を増幅して

ダイナミック・スピーカーを鳴らします

シャーシーに三本の真空管が並んだ

労作でした



当時のダイナミック・スピーカーは

励磁式といってフィールド・コイルに

電流を流して動作させるスピーカーでした



このフィールド・コイルには2500Ωと

1500Ωの2種類ありました

… … …

その後、強力な永久磁石が出来て

パーマネント・スピーカーが誕生して

現在に至っています



また、当時の放送はNHKだけでしたから

京都第1放送と第2放送と進駐軍向けWVTQ

の3波だけでしたから、出来上がったラジオの

混信とか分離、選択度など問題のない

のどかな世の中でした



この友人の手作りラジオを見せられて

私もラジオを作ってみようと思ったのでした










ラジオを作り始める

2016年01月15日 19時33分23秒 | Weblog


私は写真の趣味と同時に

ラジオにも興味がわいてきました

そして高校生時代にラジオを作るのが

流行りました



高校生がラジオを作るのは

私のまわりだけでなく

全国的規模だったのかも知れません



ラジオの構造や部品の解説記事を載せた

雑誌「ラジオ技術」や「初歩のラジオ」が

出版されていたのですから…



ラジオ製作の部品は,四条寺町(京都)から

南へ道路の両側にラジオ部品店が続いていました

飛燕堂(ひえんどう)、中川ムセン、京都駅前から

移転してきた電計社(でんけいしゃ)、ニノミヤムセン

などへよく通いました





京都は四条寺町界隈が中心でしたが

大阪は日本橋(にっぽんばし)

東京は秋葉原(あきはばら)界隈が

ラジオパーツ店の中心街でした










電気冷蔵庫

2016年01月14日 22時35分55秒 | Weblog


次に我が家にやってきたのは

電気冷蔵庫でした

電気冷蔵庫が動き出して庫内の温度は

5℃位に保たれています

いままでの氷式冷蔵庫は冷蔵庫というより

保冷庫だったのかも知れません



毎朝、氷を運んでくれた氷屋さんは

来なくなりました

この電気冷蔵庫が普及するにつれて

町の氷屋さんは少なくなってきました



いままで電気冷蔵庫といえば

町のお肉屋さんの大きな冷蔵庫ぐらいでした

店先に、アンモニア?のコンプレッサーの

ピストンがモーターでコトンコトンと

動いているのを

見たことがありました



洗濯機に次いで電気冷蔵庫が入ってきて

我が家の生活様式が少しずつ

変わってきました



電気冷蔵庫には製氷皿が入っていて

四角い小さな氷が出来ました

この小さな氷はハイボールだけでなく

写真の現像液の液温調節に便利でした



最初の電気冷蔵庫は時々、電気を切って

霜取りをしなくてはなりませんでした

… … …

何年かして自働霜取り式冷蔵庫が出現し

さらに改良されて,霜取りがなくなりました

… … …

冷蔵庫の引き出しを開けると

小さな四角い氷が沢山入っているようになりました










電気洗濯機

2016年01月13日 21時52分46秒 | Weblog


我が家に次にやってきた電化製品は

電気洗濯機でした

… … …

長方形の洗濯槽の横にパルセーターと

呼ばれた羽根のついた円盤が高速回転して

なかの衣類を渦巻きの水流で洗濯する方式でした



洗濯機に粉石けんを入れますが

洗濯機用に作られたという商標名

「ワンダフル」を使っていました



最初、母親は父親から電気洗濯機を買おうと

云われて、汚れた衣類がそんな水流で綺麗に

洗えるはずがないと関心を示しませんでしたが

我が家に洗濯機が持ち込まれて、使い出しました

… … …

母親はだんだん機械のコツを掴んだようでした



適当な時間を経て、洗濯が終わると,洗剤液を流して

洗濯物から洗剤を洗い流すのに水を入れて洗濯物を

すすぎます



洗濯が済んだ衣類の水切りに洗濯機の横についている

搾り器に衣類を通してハンドルを

廻して水を切ります。



電気洗濯機の第一号はフーバー式洗濯機と呼ばれました

洗濯をするのに水ですすいだり,粉石けんを入れたり

洗濯物を搾り器のハンドルを回して 水気をとります

… … …

今の自働洗濯機からから考えると手間がかかりましたが

それまでの家庭の主婦から重労働の洗濯を機械が

開放したのは画期的なことでした







我が家の電化製品

2016年01月12日 21時50分08秒 | Weblog


我が家が京都市左京区浄土寺西田町に

引っ越してから日本は高度成長期に入ってきました

… … …

高度成長期の特徴は新しい家電製品が

いろいろと出現しました



昔をなんとか思い出してみると

我が家の家電製品の第一号は

ジュースミキサーだったでしょう



アメリカの家庭では新鮮な果物で

ジュースを作って,栄養や健康に配慮している

という宣伝でした



バナナやパイナップル

リンゴ、牛乳、蜂蜜などをガラスボトルに

入れて、モーターのスイッチを入れると

ボトルの底にあるスクリューがグァー…と

音を立てて回転して果物の粉砕と攪拌で

ジュースが出来上がるのでした



ジュースミキサーの次は食パンのトースターです

トースターの上に食パンを入れる四角い穴が開いていて

食パンを入れて,横のレバーを下に押し下げると

食パンが中に入って,電熱で加熱されます

適当に食パンが焼き上がると,レバーがパチンと戻ると同時に

こんがり焼き上がったパンが飛び出してきました

たしか,ホップアップ・トースターと呼んでいたようです



ベーカリーで売っている食パンも最初は

長いまま店に置かれていて、客の注文で

「1斤(いっきん)とか、2斤とか」(当時は尺貫法)

適当に切ってもらって買っていました

… … …

いつからか食パンを裸で扱うのは衛生に悪いとかで

4枚切り、5枚切り、と袋に入るようになりました