初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

押し入れ暗室を見直す

2016年01月11日 21時36分25秒 | Weblog


当時、写真雑誌,各誌で取り上げた問題がありました

いままで、カメラやレンズ、フィルムの粒状問題が

仕上がる写真(作品)の鮮鋭度を左右すると

云われていました

… … …

それにたいして暗室の引伸し作業に

関心が寄せられていなかったのは何故か?…

というのでした



私の押し入れ暗室を振り返りました

引伸し機は藤本ラッキー・ジュニアで

レンズは付属のレンズです

… … …

試しに、引伸しレンズの代わりに

ライカのエルマー50ミリF3,5をつけて

プリントしてみました



コントラストはしっかりして鋭いピントを結ぶ

自分でも驚くほど、綺麗なプリントに仕上がりました

… … …

カメラブレを気にして三脚を使って、レリーズで

静かにシャッターを切ったフィルム(陰画)でも

最後の引伸し機のレンズを吟味しなくては

何にもならないことがわかりました



写真雑誌で問題にした引伸し機のレンズの記事が出て

すぐにキヤノン、富士写真光機から、ワンランク上の

引伸し用レンズが発売されました

私は、ニコンの引伸し機用ELニッコール50ミリF2,8を

使い出しました。



引伸し機レンズを吟味すると同時に、印画紙に

正確にピントを合わせるフォーカス・スコープを

使うことにしました。

スコープを覗くと、フィルムの粒子が見えます

その粒子がハッキリ見えるように引伸し機レンズの

ピントを調節します。








テレビドラマでもスチール写真

2016年01月10日 21時52分23秒 | Weblog


映画制作と同時にスチール写真も撮られていきます

スチール写真は,上映する映画館のウィンドを飾るだけでなく

映画館で配っているパンフレットにも使われます

また、映画制作中から映画雑誌に宣伝用に使われます

… … …

やがて動画(映画)はテレビとなって映画館から

各家庭の茶の間(居間)に入り込んできました

テレビドラマも最初は、生ドラマでしたから

制作と同時に放映ですからテレビドラマとしての

スチール写真は撮れませんでした



テレビでは連続生ドラマの主演の俳優さんたちを

グループとして撮ってネット局や,新聞社のテレビ欄用に

キャビネ判(2L)に仕上げて発送していました

… … …

やがてテレビドラマも生からビデオ撮りで

制作されるようになると、放映(放送)まで

時間があるので、制作中のドラマスタジオで

カメラリハーサルをスチール写真として

撮るようになりました



劇映画のスチール写真は

ガラス乾板の組み立て暗箱で撮っていましたが

テレビドラマのスタジオでは

数台のテレビカメラがスタジオ内を

猛烈なスピードで動き回りますので

スチールカメラマンは66判の二眼レフ

ミノルタオートコードかローライフレックスで

撮っていました

… … …

テレビのスチール写真担当のカメラマンは

局外のM写真工房から派遣されてきました







写真雑誌

2016年01月09日 22時36分17秒 | Weblog


私が高校生で写真に興味を持ち始めた頃

世の中に写真雑誌がずいぶん刊行されていました

朝日新聞社の「アサヒカメラ」

毎日新聞社の「カメラ毎日」

サンケイ新聞社の「サンケイカメラ」や

「光画月刊」

カメラの構造や解説に重きをおいた

「写真工業」など

当時は、ずいぶん月刊写真雑誌が

ありました。



アサヒカメラには全日本写真連盟(ぜんにほんしゃしんれんめい)と

いう組織があります。略称、全日写連(ぜんにちしゃれん)です

一方、毎日新聞社の「カメラ毎日」には日本報道写真連盟で

略称,日報連(にっぽうれん)があります



当時、カメラもフィルムも発展進化の途上で毎月のように

新しいカメラやフラッシュバルブ、新しいフラッシュ発光器が

発売されて、写真雑誌の技術記事は参考になりました

銀塩フィルムは銀塩乳剤を塗布した化学製品ですし

カメラのレンズは光学、シャッターは機械工学でした

そこへ電池を使ったフラッシュバルブが入ってきて

化学、光学、機械、それに電気と勉強するのに

これら写真雑誌の記事は大変役に立ちました



写真雑誌の作家による口絵作品は世の中の写真を

リードしていました

やがてカメラはストロボが内蔵されたり、

自動露光、自動焦点となって

誰がカメラを操作しても綺麗に撮れるようになって

写真雑誌を見なくなったのでしょうか

… … …

古くから頑張っている写真雑誌は

「アサヒカメラ」と「日本カメラ」だけに

なりました








時代劇映画「黒田誠忠録」

2016年01月08日 22時00分19秒 | Weblog


映画館のショウウィンドウに飾られた

スチール写真に好きな俳優さんを見つけて

映画館に入った人はどのくらいおられたのでしょう



写真家の木村伊兵衛さんがスチール写真を担当したのは

松竹下加茂撮影所制作、衣笠貞之助 演出

俳優さんは,阪東寿三郎、薄田研二、千田是也

の豪華配役でタイトル「黒田誠忠録(くろだせいちゅうろく)」

でスチール写真を写真家木村伊兵衛さんに頼むのですから

野心的な映画だったのでしょう

ストーリーはわかりません



私の想像ですが…木村伊兵衛さんの35ミリのネガフィルムから

ガラス乾板にデュープして、そのガラス乾板で密着プリントを

作ったのでしょうか?…

… … …

当時の,セットで木村伊兵衛さんの仕事ぶりや、

父親との会話など聞いておくべきでした





数ヶ月して写真雑誌「アサヒカメラ」を見ると

カラー口絵作品に木村伊兵衛さんの「銀閣寺」が

掲載されていました

私にはすでに馴染みになっていた銀閣、

東求堂(とうぐどう)や銀沙灘(ぎんしゃだん)が

作品にされていました

なお添付写真は,木村伊兵衛さん作品ではありません



天気の良かったあの日木村伊兵衛さんとお弟子さんは

銀閣寺で仕事をなさってから、銀閣寺道駅で

発車待ちの市電に乗り込んでこられ,

私の向かい側に座られたのでした

… … …

父親からもっと話を聞いていたら

ご挨拶できたのに…ちょっと残念でした



折角、木村伊兵衛さんの新しい感覚の

スチール写真が生まれたのに、

その後、映画のスチール写真は再び、組み立て暗箱、

ガラス乾板のスタイルに戻って、戦後、カラー映画が

生まれるまで続きました






木村伊兵衛さんと映画

2016年01月07日 22時47分48秒 | Weblog


昔は,映画館にショウウィンドウが表に

ついていて、上映中の映画の場面を

キャビネ判に写した写真(スチール)が数枚、

飾られていました

映画制作中のスタジオやロケ現場で

シーンの区切りがついたところで

スチールカメラマンが現れます



「すみません…ここでおにぎり一丁おねがいします」

と組み立て暗箱のカメラでそのセットに出演中の

俳優さんに適当に形を作ってもらって、

バルブシャッターで撮ります



カメラは組み立て暗箱ですから

フィルムではなく

ガラス乾板で撮ります。

どうして,学校の卒業写真のように

ガラス乾板で撮るのでしょうか?



全国の映画館に上映用の映画につけて

送るのですから,膨大な枚数のプリントが必要になります

キャビネ判のガラス乾板のネガを密着プリントで

処理しますから,暗室作業が楽なのと,ガラス乾板に

修正ニスを使って,俳優さんの肌の修正ができるからでしょうか?



しかし、組み立て暗箱の写真は、俳優さんの動きが撮れません

そこで、ライカ名人の木村伊兵衛さんに、映画制作中のセットや

ロケ現場で,自由に動いてもらって,スナップとして

動きのあるカット(スチール写真)を撮ってもらったのでしょう










市電銀閣寺道駅で写真作家に会う

2016年01月06日 21時52分36秒 | Weblog


家の近く,市電の停留所銀閣寺道で

発車待ちの電車で座席に座っていました

朝の遅い時間だったので車内はがらからです

たぶん私は大学一年生だったのでしょう



発車間近に慌ただしく市電に乗り込んできた

人がいました

その人は若い助手さんかお弟子さんを連れていました

若いお弟子さんは大きなギャジットバックを提げていました

どこかで見た方だと…すぐわかりました

… … …

写真家、木村伊兵衛(きむらいへえ)さんでした



お弟子さんと気軽に市電に乗って京都のあちこちを

取材されているのでしょう。

木村伊兵衛さんが市電、銀閣寺道駅から

乗り込んでこられたのですから

多分,銀閣寺(慈照寺)へ来られたのでしょう



夜、父親に今日、電車で木村伊兵衛さんに会ったと

いうと、懐かしそうに

「木村伊兵衛さんは元気だったか…」と聞きます

父親は松竹下加茂撮影所で木村伊兵衛さんと一緒に

仕事をしたというのでした








カラーフィルム「エクタクローム」

2016年01月05日 18時47分50秒 | Weblog


私がカラーリバーサルフィルムを使い出したのは

コダックのフィルムでした

少し専門的ですが外式と内式の2種類あって

外式にはコダクローム、内式はエクタクロームがありました

私はエクタクロームをき使っていました

… … …

エクタクロームは日本で現像処理が出来ませんでした

アメリカのロチェスターで現像処理をしていました

ハワイのホノルルでも現像処理できるようになりました



エクタクロームの紙箱を開けるとフィルムと

付箋のついた黄色い布製の袋が入っています

撮影したフィルムをその袋に入れて

現像所の宛名とこちらの住所などを記入して

郵便局から航空便で送りました



フィルムは現像処理されて一コマごとに

紙製のマスクにマウントされて返送されます

フィルムを送るときは航空便ですが

返送は船便なので約,ひと月ほどかかりました

… … …

ひと月もかかって手元に帰ってきたフィルムは

いつ撮ったのか?…と忘れています

… … …

そのうち、アメリカであちこちに現像所ができ

日本でも現像できるようになりました



コダックのフィルム外箱には「現像料こみ」と

記されていましたが

アメリカの独占禁止法で「「現像料」含まず」に

なって、リバーサルフィルムは少し安くなりました

… … …

以後、自由に現像所を選んで「現像処理料」を支払って

仕上げるようになりました






アサヒカメラのカラー口絵写真

2016年01月04日 23時28分45秒 | Weblog


私は押し入れ暗室でモノクロ(白黒)写真を

楽しんでいました

世の中が進むうちに,カラー写真が現れました

最初はカラーリバーサルで仕上がりは

一コマずつスライド枠に入ったカラーフィルムでした

モノクロプリントのように印画紙に焼き付けて

手にとって観賞できませんでした



私は写真は手にとって見るものだと思っていましたから

スライド枠に入ったフィルムの

カラー写真に私は馴染めず好きになれませんでした

唯一、カラー写真を手にとって眺められるのは

写真雑誌に掲載されたカラー作品を見るだけでした



アサヒカメラの口絵作品としてカラー写真が

毎月のように掲載されていました

口絵写真のなかで被写体にヨーロッパの風景

を毎月のように掲載されていた作品がありました

作者は石橋幹一郎(いしばし・かんいちろう)さんでした



最初は作者がよくわかりませんでしたが

石橋正二郎の息子さんとわかってきました

石橋正二郎さんはタイヤメーカーのブリヂストン

の創業者でした

… … …

石橋の石はストーン、橋はブリッジで

ブリヂストンとなります



アサヒカメラに毎月のように掲載される

石橋幹一郎の口絵カラー写真は楽しみでした

幹一郎の妹さんは鳩山安子さんで

鳩山由紀夫、邦夫の母親です










既製現像薬を使って

2016年01月03日 22時41分30秒 | Weblog


私の写真の話に戻します

押し入れ暗室で使っていた

現像液は上皿天秤とビーカーで

写真用の処方箋集から作っていました



フィルム現像にはフィルム感度を

犠牲にしないで微粒子現像できる

Dー76を作っていました

引伸しプリントの現像液は

Dー72を処方していました



何年か経つうちに街の写真材料店に

既製の現像薬が目立つようになりました

既製現像薬は缶詰になっていて

何CCの微温湯で溶いてすぐ使えるのでした



富士フイルムからはフジドール、ミクロファイン

パンドール、コレクトールなど

… … …

小西六からはコニドールファインなどの商品名でした

… … …

コダックからはマイクロドールXが出ました

微粒子に仕上がるのですが

フィルム感度が少し犠牲になるようでした

私はイギリスのプロミクロールを愛用していました



数年後、仕事の関係で

若いプロカメラマンと知り合いになりまた

彼は、写真専門学校出の新進気鋭の

料理専門の写真家でした

… … …

写真家の彼と何かの話で

「昔は現像液を作るのに大変でしたね…」と云うと

彼は

「現像液は処方箋から作れるのですか?…」と

不思議そうに問い返してきました

… … …

今の、写真学校の現像液の講義では

缶詰の既製現像薬しか教えないでしょうか?

… … …

私には時代が変わったなあとつくづく思いました