経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

◆【経営コンサルタントの独り言】 デパート業界は必死で収益拡大をめざす C20

2023-12-20 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言12

 

  【経営コンサルタントの独り言】 デパート業界は必死で収益拡大をめざす C20

 

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ デパート業界は必死で収益拡大をめざす C20

 

「越前屋、おぬし悪よの~~」  と悪役として出てくる越前屋と間違えられそうな「越後屋」は、三越デパートの前身です。

 1904(明治37)年12月20日に、東京・日本橋にあった三井呉服店が「三越呉服店」と改称して、日本で最初のデパートが誕生しました。

 現在の商号である「三越」は、三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったものであることは、誰もが想像できます。

 子供の頃、デパートと言いますと、お子様ランチとおもちゃ売り場、屋上の遊園地というイメージです。

 12月20日は、「デパート開業の日」ですが、1991年のこの日に、トイザらスが日本上陸をした日です。

 クリスマス商戦で、おもちゃ売り場の売り上げをゴッソリと持って行かれる契機ともなり、その後、ネット通販にも顧客を取られ、苦戦の時代に入ってしまいました。

 

ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

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■■杉浦日向子の江戸塾 16 江戸情緒に学ぶ 深川飯とぶっかけ飯

2023-12-20 12:03:00 | 杉浦日向子の江戸塾

■■杉浦日向子の江戸塾 16 江戸情緒に学ぶ 深川飯とぶっかけ飯

 江戸のエコや風俗習慣などから、現代人は、エコという観点に絞っても学ぶところが多いと思っています。杉浦日向子の江戸塾から学ぶところは多く、話のネタとなります。エッセイ風というと大げさになりますが、独断と偏見で紹介してみたいと思います。

 私がはじめて杉浦日向子女史を知ったのは、「お江戸でござる」というNHKの番組でした。お酒が好きで、飾らない人柄、江戸時代に生きていたかのような話しぶり、そこから江戸のことを知ると、われわれ現代人に反省の機会が増えるような気がします。

■ 深川飯とぶっかけ飯

 東京以外の人には、深川という地名はあまり馴染みがないかも知れません。深川というのは、東京の東、江東区深川といい、「江戸の下町」の風情を残す地の一つといえます。

 最近、深川というと、あさりの汁をぶっかけた「深川飯(ふかがわめし)」で有名です。深川めしというのは漁師のまかない食で、すなわち労働者の食べ物だったのです。もっとも「深川飯」というのは近年売り出しのためにつけられた名称で、それまでは「あさり飯」と言っていました。

 ただし、あさり飯を女の子は食べてはいけないと言われていました。あさり飯のような「ぶっかけ飯」を食べると、嫁入りの日に雨がふるって言われていたのです。そもそもが労働者の食べ物ですから、女の子が食べる機会は少なかったようです。どうしてもあさり飯のような「めし」を食べたいときには炊き込みご飯にしたそうです。

Wikipedia

 深川めし(ふかがわ - )は、アサリのむき身を味噌汁の具にしたものを、茶碗や丼にのせた米飯にかけたものである。 気の短い江戸っ子の漁師が飯と汁物を一緒に食べる為に考案された。あさりの産地ではポピュラーなものだが、東京の深川が代表格であり、「深川めし」と呼ばれている。なお、近年増え始めた深川めし屋は炊き込みタイプの上品なものとなっている。

 アサリは、他の具(長葱・油揚げなど)とともに醤油などで味付けをして煮る。その後、煮汁でご飯を炊き、炊き上がったら具を戻してかきまぜてできあがり。炊き込みご飯ではあるが、アサリそのものをご飯と一緒に炊き込むわけではない。

<続く> 次回掲載をお楽しみに

 

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月19日 人の生き方は如何にあるべきか、それを経営に活かすには c19

2023-12-20 08:03:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月19日 人の生き方は如何にあるべきか、それを経営に活かすには c19

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 私の後進として会社を託した竹根好助の経営コンサルタント起業経験や、その会社の日常業務、自分の思いなどを「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」として連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 今年も余すところ10日あまりになりました。

 気分的にゆとりが出てきたり、逆にむしゃくしゃするようなことがあったりしますと、無性に【カシャリ!一人旅】が恋しくなります。

 年末近くになり、慌ただしい中、ホッとする時間が欲しくなり、【カシャリ!一人旅】を紐解いてみました。

 

◆奈良 薬師寺でカシャリひとり旅

 

 

 

奈良  薬師寺 
公式サイト パンフレット 関連資料(秘)  

■ 薬師寺の概要

 薬師寺は、奈良県奈良市西ノ京町にあります法相宗大本山の寺院で、南都七大寺の1つに数えられています。本尊は薬師如来です。

 1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」が、ユネスコより世界遺産として認められましたが、薬師寺は、その構成資産の1つです。

 天武天皇9年(680)に、天武天皇が皇后であります鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ、後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願されました。

 しかし、天武天皇自身は、薬師寺の完成を待たずに崩御され、皇后が、持統天皇として即位しました。その時に、新都藤原京に、薬師寺が造営されたのです。697年には、本尊薬師如来の開眼が行われ、710年に、元明天皇の命により藤原京から平城京へと遷都が行われ、それにともなって薬師寺も現在地へ遷りました。

 天平時代まで、天下の四大寺の一つとされ、金堂・東西両塔・大講堂など主要なお堂は裳階がつけられ、壮麗な姿は「龍宮造り」と呼ばれていました。

 しかし、多くの寺院がそうでありますように、薬師寺も多くの堂塔が火災や地震で失われてしまいました。唯一創建時から現存するのが国宝・東塔です。

 昭和43年(1968)、管主・高田好胤和上の発願で、写経勧進などによる白鳳伽藍復興が開始されました。高田管長は、全国を行脚し、昭和51年(1976)に目標を達成し、金堂が落慶されました。

 現在では、西塔(さいとう)、中門、回廊、大講堂、食堂(じきどう)など白鳳伽藍の主要な堂塔はほぼ復興され、いにしえの大伽藍がよみがえっています。
 

■ アクセス・拝観

電車
 近鉄西ノ京駅より徒歩1分
 近鉄京都駅・近鉄大阪難波駅から大和西大寺経由 西ノ京駅まで約40分 近鉄大和西大寺駅
 JR奈良駅からバスで30分ほど

普通車(全長5m未満 高さ2.7m未満)500円(1回)

拝観 午前8時30分~午後5時 1,100円(1,600円)

 

 

 奈良薬師寺  概要
 奈良薬師寺白鳳伽藍 1   食堂・不動堂・東西僧坊・聚寶館 
 奈良薬師寺白鳳伽藍 2   大講堂・金堂・鐘楼
 奈良薬師寺白鳳伽藍 3   東塔・西塔
 奈良薬師寺白鳳伽藍 4   中門・回廊・東院堂
 奈良薬師寺玄奘三蔵院伽藍   玄奘塔・大塔西域壁画殿
   カシャリ!一人旅 インデックス    

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

 人の生き方は如何にあるべきか、それを経営に活かすには c19

 混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が私の愛読書の一つとなっています。

 このようにおっしゃっているのは、経営コンサルタント業界の開拓者・日本経営士協会の理事長経験者であります藤原先生です。

 論語は、人生の生き方に大きな示唆を与えるだけではなく、企業経営のあり方やそこでの人との接し方の参考になることが多いのですね。

 藤原先生は、ご自身も実践し、それをまた私達に教えてくださっています。

 まだ、ご覧でない方は、是非、参考になさってください。

  http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/080dcbfb77013b3f7c223a00c992c953

 

【一言追加】

 人生50年といわれた時代もありますが、ロシア人の平均寿命は50歳代なのだそうです。
 日本女性は100歳にまで平均寿命が伸びるのではないかという勢いです。

 定年が60歳としますと、それまで働いていた時間と同じくらい、残された人生があるのです。
 「第二の人生」という言葉に相応しい時間長です。
 それをどう生きるかによって、自分の人生に変化を持たせることができますね。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

>> もっと見る


■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 


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■【きょうの人】 1220 藤堂高次 江戸城本丸消失後の復興 日光大猷院石垣普請

2023-12-20 06:33:00 | 【話材】 きょうの人12月

 

  【きょうの人】 1220 藤堂高次 江戸城本丸消失後の復興 日光大猷院石垣普請

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 藤堂高次 江戸城本丸消失後の復興 日光大猷院石垣普請


 とうどうたかつぐ
 慶長6年閏11月11日(1602年1月4日)-延宝4年11月16日(1676年12月20日)


 藤堂高虎を父に持ち、幼名「大助」で、徳川家光や家綱までの時代の武将です。

 父、高虎には、なかなか実子ができなかったため、丹羽長秀の子を養嗣子・高吉として迎えていました。

 幸い、高虎が46歳のとき、ようやく実子である高次が生まれ、寛永7年(1630年)、高虎が病死すると、高次がそのあとを継ぎました。

 寛永9年(1632年)の江戸城二の丸、寛永16年(1639年)の江戸城本丸消失後の復興、慶安5年(1652年)の日光の大猷院霊廟(だいゆういん、徳川家光の霊廟)などの数多くの石垣普請を行いました。

 ところが津藩はこれらの石垣普請の負担により財政が極度に悪化し、高次は年貢増収による財政再建を図って新田開発を積極的に奨励するなどの改革に努めました。

 しかしなおも江戸幕府の普請費用を積極的に負担したため、財政はさらに悪化の一途をたどっていきました。

 寛文9年(1669年)、隠居して家督を長男の高久に譲り、延宝4年11月16日(1676年12月20日)に死去しました。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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