経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

◆【経営コンサルタントの独り言】 バッテリーが人間の命に関わる c12

2023-12-12 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言12

【経営コンサルタントの独り言】 バッテリーが人間の命に関わる c12

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ バッテリーが人間の命に関わる c12

 リチウムイオン電池の開発に貢献した旭化成名誉フェローの吉野彰氏が、2019年のノーベル化学賞を受賞しました。

 破竹の勢いできた韓国サムスンが、世界的な経済停滞の影響を受けて成長が鈍化してしまいました。

 そこに追い打ちをかけたのがタブレットの電池不良問題です。

 サムスンすべての製品のバッテリーが不良ではないのですが、イメージダウンというのは怖いもので、サムスン製品の売上が落ちて、業績回復には多大なる経営資源を投資します。

 飛行機上で発火するのも怖いですが、宇宙を周回するISSの電池となると即生命に危険が迫ってきます。

 2016年12月に、コウノトリがISSに向かって日本製の電池や水などの物資を運びました。

 日本製品の安全性が再び見直されてきていますね。

ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

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■■杉浦日向子の江戸塾 - 江戸情緒に学ぶ17 江戸っ子は竈(かまど)を持たない 17201

2023-12-12 12:03:00 | 杉浦日向子の江戸塾

■■杉浦日向子の江戸塾 - 江戸情緒に学ぶ17 江戸っ子は竈(かまど)を持たない 17201

 江戸のエコや風俗習慣などから、現代人は、エコという観点に絞っても学ぶところが多いと思っています。杉浦日向子の江戸塾から学ぶところは多く、話のネタとなります。エッセイ風というと大げさになりますが、独断と偏見で紹介してみたいと思います。

 私がはじめて杉浦日向子女史を知ったのは、「お江戸でござる」というNHKの番組でした。お酒が好きで、飾らない人柄、江戸時代に生きていたかのような話しぶり、そこから江戸のことを知ると、われわれ現代人に反省の機会が増えるような気がします。

■ 江戸っ子は竈(かまど)を持たない

 昨今、ご飯を釜で炊く家は少なくなりました。ごはんも七輪で炊いていたようですが、一つの長屋で七輪を持っているところは2~3割でしかなかったようです。持っていない家はどうするかというと、持っている家から借りたのです。七輪の使い回しと言うことで、時差出勤ならぬ時差食事で融通し合っていたのですね。今日のように[隣は何をする人ぞ]というような冷たいコミュニティとは大きく異なります。

 もっとも、江戸時代はご飯を炊くには朝だけだったので、毎食使い回しをしていたわけではないようです。

 因みに昼はほうじ茶で冷や飯で過ごしていました。夜はお茶漬けですから、たくあんでもかじっていたのでしょうか。すなわち昼も夜も「ごはん」を食べずに「めし」を食べていたのです。(当ブログ「ご飯と飯」を参照)

 もっとも、江戸時代、江戸以外では、家で煮炊きをするほうが一般的だったようです。

 江戸には、独身男性が多く、彼らは屋台で済ませてしまうことが多かったようです。中には三食とも屋台で立ち食いで済ませている人もいました。

 屋台というと、鮨や天ぷら、それにそばと鰻が定番でした。彼らが好んで食べるものは、懐具合もあるのでしょうが、そば、鰻、鮨、天ぷらの順で、この四つは「江戸前の四天王」と呼ばれていました。

<続く> 次回掲載をお楽しみに

 

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月11日 12 ユウ・アティテュードで独善を回避する   A628

2023-12-12 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月11日 12 ユウ・アティテュードで独善を回避する   A628

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 私の後進として会社を託した竹根好助の経営コンサルタント起業経験や、その会社の日常業務、自分の思いなどを「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」として連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

   私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 マスコミでは、パーティー券の処理問題で、政治資金規正法が絡んだニュースでにぎわっています。

 とりわけ安倍派が矢面にあって集中攻撃されています。

 悪いことは悪いことだと考えますが、少額な同等違反は相当数に上るので、検挙の対象外になる可能性が高いそうです。

 納得できない人が多いのではないでしょうか。

 

 コロナが5類に分類変更されてから、セミナーもオンサイトで開催するところが増えてきました。

 経営者・管理職の集まりに時々招かれますが、そこで、このような話をしました。

 

■ 12 ユウ・アティテュードで独善を回避する   A628

 

 マーケティングに「ユウ・アティテュード」という用語があります。「あなた好みの」といいましても、奥村チヨの「女になりたい」とは異なります。<笑い>

 相手の立場に立って、すなわちマーケティングでは「ユーザーさん」「消費者」の立場に立って、商品開発をするとよいというような意味合いで使われることが多いです。

 一方で、「自己中」という言葉があります。「利己主義」とも多少ニュアンスが異なるようですね。

 「俺が・・・」というような、自分の視点での価値判断を相手に押しつける人を、私は、ユウ・アティテュードをもじりまして、「アイ・アティテュードな人」といいます。

 アイ・アティテュードは、自己中や利己主義とも、少し異なります。アイ・アティテュードの人は、相手の人のことも考えて判断するのですが、「アイ(I)」が基本なのです。


 出張の帰りに、飛行機が空港に着陸して、飛行機の出口から出るときに、ずらりと並んでしまいます。出口付近では、左側のアレイから来る人と、右側のアレイから来る人がぶつかりますので、滞留してしまうことは専門家のご意見を聞かなくてもわかります。

 私が、出口近くに来たときに、私の前にいた女性が、左手からの流れの人に順番を譲りました。「なんと思いやりのある人・・・」と思ったのですが、ぞれを続けていますので、私は飛行機から降りることができません。

 おそらく、その方は、相手に出る順番を譲るという優しい気持ちで、続けているのでしょうが、その女性の後ろにいる私だけではなく、その後ろの人は、その女性のために外に出ることができなおのです。

 この様な人のことを、私は「アイ・アティテュードな人」と言うのです。

 「左からの人に順番を譲る」という考えは、素晴らしいことですが、その人の後ろにいる人に対しては、失礼なことです。

 交互に出口から出るというのが暗黙の了解ですので、「人に譲る」ということに固執しすぎますと、別の視点で見た場合には、他人に迷惑をかけていることに、その女性は気がつかないのです。

 このように、一見しますと、相手のことを思う、ユウ・アティテュードのように見えますが、他方では、他の人に迷惑をかけていることに気がつかないのです。

 自分の基準で、こうした方が良いだろうと思い込むことは、好ましいことではありません。他の人への気遣いが、別の人にとっては迷惑行為なのです。

 自分の価値観に固執するのではなく、自分とは、異なる価値観を有する人とも積極的につきあうことから、いろいろな価値観を感じ取れるようになるのではないでしょうか。

 自分の価値観に固執しすぎますと、世間を狭くしてしまうことも知っておくべきです。

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

 国際山岳デーに日本林業を思う c11

  2003(平成15)年の国連総会で、12月11日が国際デーの一つである「国際山岳デー」として制定されました。

 その趣旨は「国際社会が山岳地域の環境保全と持続可能な開発について考える日」だそうです。

 国際山の日(International Mountain Day)とも呼ばれます。

 11月末に紅葉の比叡山に行ってまいりました。

 紅葉の真っ盛りでしたが、杉などの常緑針葉樹の中にある紅葉や黄葉は一段と映えます。

 日本は面積の70%が山地や森林であると聞きます。

 豊かな森林を持ち、かつ伝統的に木造建築を好んできたにも関わりませず、林業に国際競争力がありません。

 人件費が高いこともありますが、その背景には労働力不足と高齢化があります。

 一方、知恵を絞って林業や木材を新たなビジネスとして復活しようという動きもあります。

 例えば集合材があります。

 新国立競技場は、集合材などを使った木材での建築が建設されるようです。

 智慧というのは、絞れば絞るほど出てくるのですね。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

>> もっと見る


■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 


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■【きょうの人】 1212 ■ 福沢諭吉 勝海舟との関係は? 一休 覚鑁 公海

2023-12-12 06:33:00 | 【話材】 きょうの人12月

 

  【きょうの人】 1212 ■ 福沢諭吉 勝海舟との関係は? 一休 覚鑁 公海

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 福沢諭吉 勝海舟との関係は?


 福澤諭吉(ふくざわ ゆきち)は、天保5年12月12日(1835年1月10日)に中津でうまれ、明治34年(1901年)2月3日に亡くなりました。

 諭吉という名の由来は、儒学者でもあった父が「上諭条例」(清の乾隆帝治世下の法令を記録した書)を手に入れた夜に、彼が生まれたことにあります。

 武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者ですが、慶應義塾の創設者であることはよく知られています。慶應義塾だけではなく、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、神戸商業講習所(後の神戸商業高校)、土筆ヶ岡養生園(後の北里研究所)、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力しました。

 ジャーナリストとしての一面も持ち、大隈重信、伊藤博文、井上馨という政府高官3人と会見し、公報新聞新聞『時事新報』を創刊することになりました。東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長も務めています。

 安政元年(1854年)、19歳で長崎へ遊学して蘭学を学んだり、大阪適塾で頭角を現し、江戸に出てからは蘭学塾の講師を務めたりしています。この蘭学塾では、佐久間象山の影響も受け、洋式砲術の教授を受けたりしています。

 諭吉が横浜に出かけた折、オランダ語が全然通じないことから、英語の習得に力を入れたという有名な逸話があります。

 咸臨丸の艦長となる軍艦奉行・木村摂津守の従者として、勝海舟らと咸臨丸に乗り、渡米しています。

 文久元年(1861年)に中津藩士、土岐太郎八の次女・お錦と結婚し、その年の冬、竹内保徳を正使とする文久遣欧使節が欧州各国へ派遣されるとき、翻訳方としてこれに同行することとなりました。

 これらの功績が認められ、昭和59年(1984年)に一万円紙幣表面の肖像に採用されていることも知られています。

 明治31年(1898年)に脳溢血で倒れ、明治34年(1901年)脳溢血が再発し、2月3日に東京で、享年67(満66歳没)の生涯を閉じました。7日には衆議院が「衆議院は夙に開国の説を唱へ、力を教育に致したる福沢諭吉君の訃音に接し茲に哀悼の意を表す」という院議を決議しています。葬儀では三田の自邸から麻布善福寺まで1万5000人の会葬者が葬列に加わったという記録が残っています。諭吉の功績や人徳が偲ばれます。(【Wikipedia】をもとに作成)

 咸臨丸で渡米をしたりしましたが、勝海舟とは馬が合わなかったということもいわれています。

 

■ 一休宗純 滅


 いっきゅうそうじゅん
 明徳5年1月1日(1394年2月1日) - 文明13年11月21日(1481年12月12日)


 室町時代の臨済宗大徳寺派の僧で、誰もが知っている説話のモデルとしても知られています。

 出生地は京都で、出自は後小松天皇の落胤とする説が有力視されています。

 母親の出自は不明ですが、皇胤説に沿えば後小松天皇の官女で、その父親は楠木正成の孫と称する楠木正澄と伝えられています。三ツ島(現・大阪府門真市)に隠れ住んでいたという伝承があり、三ツ島に母親のものと言われる墓が現存します。

「洞山三頓の棒」という公案に対し、「有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えたことから、華叟より一休の道号を授かりました。

 正長元年(1428年)、称光天皇が男子を残さず崩御し伏見宮家より後花園天皇が迎えられて即位しましたが、この即位には一休の推挙があったといわれています。

 戦災にあった妙勝寺を中興し草庵・酬恩庵を結び、後に「一休寺」とも呼ばれるようになりました。

 名言「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」

 巷では、「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」といいますが、やはり[門松]がただしいようです。

 

■ 関山慧玄 多くの国師号を持つ


 かんざんえげん
 建治3年(1277年)-正平15年/延文5年12月12日(1361年1月19日)


 鎌倉時代末期から南北朝時代、信濃国に生まれた僧侶で、朝廷から本有円成、仏心、覚照、大定聖応、光徳勝妙、自性天真、放無量光の国師号が与えられました。また、明治天皇からは「無相大師」と追諡されています。

 1307年に、南浦紹明の鎌倉建長寺に入り、慧眼(えげん)の法名を授かり、鎌倉に滞在した後に帰郷しました。

 京都大徳寺に遷って宗峰に師事し、1329年に関山の号が与えられ、慧玄と改名しました。1342年に関山は妙心寺開山となりました。

 その禅風は厳格で、その生活は質素をきわめ、「枯淡な禅風」をもって修禅に専念したといわれています。

 関山には他の高僧のような語録や著書はなく、生前に描かれた肖像(後世に作成された物はある)も遺筆もほとんど残されていません。2006年に、臨済宗妙心寺派の寺の蔵より肖像画が発見されましたが、確認されていません。

 妙心寺(みょうしんじ)は、京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派大本山の寺院で、山号を正法山といいます。本尊は、釈迦如来です。開基(創立者)は花園天皇で、寺紋は花園紋(妙心寺八つ藤)です。

 日本の臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺が妙心寺派で占めています。三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には多くの塔頭があり、一大寺院群を形成し、京都市民からは西の御所と呼ばれ親しまれているほどです。

 

■ 公海 天海僧正の後継者


 こうかい
 慶長12年12月12日(1608年1月29日) - 元禄8年10月16日(1695年11月22日)


 江戸時代前期の天台宗の僧で、展開の弟子。父は花山院忠長、母は本願寺教如の娘で、天海の没後に日光山貫主を継承しました。

 1620年(元和6年)天海僧正の門に入り、1643年(寛永20年)に、天海が没するとその法をついで東叡山寛永寺に住し、天台宗の総本山である比叡山・徳川家康を祀る東照宮のある日光山を管理下に置いて天台宗一宗を管領するようになりました。

 1647年(正保4年)に、僧正に任じられ、翌1648年(正保5年)には大僧正に就任しました。

 天海の遺志をつぎ山科(現在:京都市山科区)毘沙門堂を復興しています。まさに、師展開を尊敬する功績ですね。

 

■ 覚鑁 新義真言宗の始祖


 かくばん/こうぎょうだいし
 嘉保2年6月17日(1095年7月21日)- 康治2年12月12日(1144年1月18日)


 平安時代後期の真言宗の僧で、真言宗中興の祖であり、新義真言宗の始祖でもあります。

 諡号を興教大師(こうぎょうだいし)といいます。

 肥前国藤津庄(現:佐賀県鹿島市納富分 新義真言宗大本山誕生院)に生まれました。父は伊佐平治兼元、母は橘氏の娘で、幼名は、弥千歳といいました。

 平安時代後期の朝野に勃興していた法然らの念仏・浄土思想を、真言教学において、いかに捉えるかを理論化した「密厳浄土」思想を唱え、「密教的浄土教」を大成しました。

 即ち、西方浄土教主阿弥陀如来とは、真言教主大日如来という普門総徳の尊(全ての仏徳を備えた仏)から派生した、別徳の尊であるとしています。

 空思想を表した『月輪観(がちりんかん)』の編者として知られています。また、日本に五輪塔が普及する切っ掛けとなった『五輪九字明秘密釈』の著者でもあります。
 

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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