経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

◆【経営コンサルタントの独り言】 経営者・管理職は経営コンサルタントの力を見抜く力を持て C24

2023-12-24 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言12

【経営コンサルタントの独り言】 経営者・管理職は経営コンサルタントの力を見抜く力を持て C24

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ 経営者・管理職は経営コンサルタントの力を見抜く力を持て

 近年、中小企業でも経営コンサルタントを利用する企業が増えてきました。

 一方で、「経営コンサルタントを使うほど、うちの会社は大きくない」というような発言もあります。

 投資対効果を考えれば、経営コンサルタントを使うか使わないかは、企業の大小とは関係ないことです。

 経営コンサルタントに依頼をする機会が多いのが社員研修でしょう。

 社員研修のために経営コンサルタントを使うときの経営コンサルタントを見極めるポイントは何でしょうか。

 

  クリスマス・イブに思う

 

 日本語に訳しますと「キリストの降誕祭前夜」のことで、大変厳かな儀式が行われる日です。

 クリスチャンではない大半の日本人は、心も浮き立ち、中にはどんちゃん騒ぎをする一誤解している人もいます。 ます。

 教会では、イブからクリスマスにかけて高い塔に明かりを灯し、クリスマス・ツリーには豆電球が点滅します。宗教的な儀式ですので、われわれのお祭り気分とは異なり、ミサがあちらこちらの教会で行われる荘厳な雰囲気が漂います。

 日本でも、各処でツリーやイルミネーションが話題になりますが、ニューヨークっ子は、ロックフェラー・センターのスケートリンクで滑りながら、大きなクリスマス・ツリーを楽しみます。

 今朝、目が覚めましたら、息子サンタからのプレゼントが置いてありました。

 まだ開けていませんが、何が飛び出してくるのでしょうか?

ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

【経営コンサルタント(志望者)へのお勧めブログ】

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◆【お節介焼き情報】 部下をどう育てるか

2023-12-24 12:03:00 | 【話材】 お節介焼き情報

【お節介焼き情報】 部下をどう育てるか

お節介焼き経営コンサルタント」が、経営やコンサルティングに関する情報だけではなく、日常生活に役に立つような情報、旅行や写真などの会話を潤滑にするために情報などもお届けしています。

 それらの中から、直ぐにお役に立つような、選りすぐりの情報を中心にご紹介して参ります。

■ 部下をどう育てるか 19221
 
 NHKのテレビ番組の中で、佐々木常夫氏が大変興味深いことをお話でしたので、そのダイジェストをご紹介したいと思います。
 
 組織を預かるリーダーの役割は2つあります。
 
 ひとつはその組織に期待されている目標を達成すること。つまり仕事を通じて部下を成長させることです。
 
 自分の所属する組織を維持発展させていくためには、その組織を構成するメンバー全員の力を最大限に発揮させ、与えられた目標を達成しなくてはなりませんが、そのためにも日々部下を育てることが求められます。「優れたリーダーは事業を残すが、真のリーダーは人を残す」という言葉があります。
 
 つまり、部下が自分の上司の優れた能力や人間性を見習おうとか、この人に付いて行けば間違いないとかいった気持ちにさせることが必要なのです。上司が部下にいろいろアドバイスや指導をしても部下の気持ちがこちらに向いていなければ、そうした教育の効果は少ないでしょう。
 
「人に会ったら挨拶する」「時間を守る」「相手を思いやる」「何かをしてもらったらお礼を言う」「間違ったことをしたらすぐ謝る」などといった人間としてなすべき基本動作をするよう日々指導することが大事です。
 
 私は課長になってからはいつも、部下たちに「礼儀正しさは最大の攻撃力である」と言ってきましたし「礼儀正しさだけでこの会社の役員になれる」とまで言ってきましたが、ビジネスをしていく上でそういった礼儀正しさ、つまり「原理原則を実行すること」は相手から好感され信頼されることになり仕事がスムースに進みます。
 
 その仕事に対する重要度の評価と段取りの差です。
 
 私は課長をしていた時はいつも部下に「業務計画書」を出させていました。1週間でやる仕事を列挙しそれぞれの業務をどのくらい時間をかける予定かを書かせるのです、いわば「仕事の工程表」作りです。
 
 つまり「タイムマネジメントというのは時間の管理ではなく仕事の管理」なのです。
管理職というのは部下の人生にコミットする、部下の人生に責任を持つ立場の人のことです。
 
 そうした部下の教育に時間を取られるのですから管理職というのは時間的余裕を持たねばなりません。

【経営コンサルタントへの道】

 
  長い経営コンサルタント経歴の基、書かれたページで、経営コンサルタントになるひとの60%ものの人が目を通しています。
 
 

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月23日 3章 ウォーキングと並行した動作で副次効果を狙う 4 硬くなった身体をほぐす「体側伸ばし」

2023-12-24 08:02:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月23日 3章 ウォーキングと並行した動作で副次効果を狙う 4 硬くなった身体をほぐす「体側伸ばし」

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 23日未明に「こぐま座流星群」を見られるというので、早朝ウォーキングをしながら北の空が開けて、星が見やすいところを探しました。

 意外と、都内では適当な場所がないのですね。

 建物が邪魔しないと思ったら木があったり、街灯が明るくて空が見にくかったりします。

 探し歩いているうちに、偶然見られました、流れ星を。それも2つも見られたのです。

 ラッキーですね。

 子供の頃は、ずいぶんと流れ星を見た記憶があります。

 

 早朝ウォーキングの効果を持続または改善するために、今朝のウォーキングで、自分でどの様にやっているのか反復してみました。

 

◆3章 ウォーキングと並行した動作で副次効果を狙う

 

 ウォーキングの効果は知られていますが、その効果をさらに高めたり、付帯的な効果を上げたりするという「ながらウォーキング」をしています。これは、ボケ防止になると痴呆を研究している人達が研究発表をしていますので、それを励行するようにしています。

「ながらウォーキング」も、ウォーキング・ミックス(いろいろな歩行法の組み合わせ)と同様に、いくつかの方法があります。それらを適宜組み合わせてウォーキングすると効果的ですので、その方法を紹介いたします。
 

【 注 】

 ここで紹介する情報は、自分で思考したり、入手したりした情報をもとに、ご紹介します。

 それが皆様にも良い方法であるとは限りませんので、皆様ご自身のご判断で参考にしてくださるようお願いします。

 

4)硬くなった身体をほぐす「体側伸ばし」

 ラジオ体操第一にある体側伸ばし運動に近いのですが、少々異なります。
 両足を肩幅に広げ、右腕を高くまっすぐ上げ、掌を左にして、腕をまっすぐにしたまま左側に倒しながら、右脇腹を伸ばすようにします。
 ラジオ体操では、リズミカルに行いますが、太極拳を想定してゆっくりと腕を倒すのです。脇腹が伸びるというのを実感し、伸ばしながら3秒以上、伸ばした状態を保ちます。
 腕を下ろして、左腕で同じように体側を伸ばします。
 

 くどいようですが、ゆっくりと伸ばすことと、充分に伸びたところで3秒以上静止することがポイントです。
 静止をするのであって、そこで反動を着けることはしない方が良いでしょう。反動をつけると瞬間的に非常に大きな力が加わり、脇腹の筋を痛めることもあるそうです。
 

■【今日は何の日】

 当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

 時代の流れを見ることにより将来を予測する c23

 

 経営者・管理職も経営コンサルタントも、時代の読み方を間違えますと、経営判断を誤りかねません。

 そこで、私は、時代の流れを時系列的に見るようにしています。

 先を予測することができないことが多いのですが、明る兆しの時には先行投資を考えます。

 それに対して芳しくない予想をするときには、対応策を複数練っておきます。

 状況に応じて判断をします。

 私が平素行っていることの一端をブログを通じて皆様にお伝えするようにしています。

 これにより、今までは見えてないものが、いつの間にかぼんやりと、時にははっきりと先が見えて来るような気がします。

 

【経営コンサルタントの独り言】 時代の流れから将来を予測する

 「経営は環境即応術」という名言があります。
 経営環境に即して、微調整が必要なことがあります。
 逆に、経営環境に振り回されてしまい、軸がぶれてしまうという危険性も伴っています。

 経営には、的確な先見性が求められます。

 

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

>> もっと見る

■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 


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■【きょうの人】 1224 ■ 一向上人(一向 俊聖) 踊り念仏の普及 ■ 沢庵 宗彭 生誕

2023-12-24 06:33:00 | 【話材】 きょうの人12月

 

  【きょうの人】 1224 ■ 一向上人(一向 俊聖) 踊り念仏の普及 ■ 沢庵 宗彭 生誕

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 一向上人(一向 俊聖) 踊り念仏の普及


 いっこう しゅんしょう
 暦仁2年1月1日(1239年2月6日)-- 弘安10年11月18日(1287年12月24日)


 鎌倉時代の僧侶で、伝記に謎が多く、生没日も定かでなく、実在すらが疑問視されていましたが、考古遺物により、存在が証明されました。

 伝承によりますと、筑後国西好田(福岡県久留米市か)の鎮西御家人草野氏の草野永泰の第二子に生まれたとあります。

 俊聖(一向上人)は、寛元3年(1245年)に、播磨国の書写山にある圓教寺に入寺して天台教学を修めることとなり、建長5年(1253年)に剃髪受戒して名を俊聖としました。

 翌年夏には書写山を下り、奈良の興福寺、鎌倉の蓮華寺(光明寺)をはじめ各地を遊行回国し、踊り念仏(踊躍念佛)、天道念仏を修し、道場を設けるまでに至りました。

 一遍と並んで浄土系遊行聖となり、各地を回り踊り念仏を広めました。

 弘安七年、近江蓮華寺を立てて開基となりました。49歳で同寺で最期を迎えたといわれています。

 

■ 沢庵 宗彭 生誕


 たくあん そうほう、澤庵
 天正元年12月1日(1573年12月24日)- 正保2年12月11日(1646年1月27日)


 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧で、大徳寺住持、諡は普光国師、号に東海・暮翁などがあります。

 但馬国出石(現兵庫県豊岡市)の生まれで、紫衣事件で出羽国に流罪となり、その後赦されて江戸に萬松山東海寺を開きました。

 8歳のとき但馬山名家は織田信長の侵攻に遭い配下の羽柴秀吉に攻められて滅亡し、父は浪人しました。

 天正10年(1582年)、10歳で出石の唱念寺で出家し春翁の法諱を得ました。

 天正13年(1586年)、同じく出石の宗鏡寺に入り、希先西堂に師事し、秀喜と改名しています。

 天正19年(1591年)、希先が没した後、この間に出石城主となっていた前野長康が、大徳寺から春屋宗園の弟子・薫甫宗忠を宗鏡寺の住職に招いたことで、沢庵は薫甫に師事することになりました。

 文禄3年(1594年)、薫甫が大徳寺住持となり上京したため、沢庵もこれに従い大徳寺に入りました。大徳寺では三玄院の春屋宗園に師事し、宗彭と改名しています。

 慶長4年(1599年)、石田三成が居城佐和山城の城内に亡母の供養のために瑞嶽寺という一寺を建立した際、三玄院の建立以来親交がありました春屋に住職の派遣を依頼しました。

 春屋が薫甫を住職に任命したことで、師である薫甫と共に沢庵も佐和山城に同行し、翌年までそこで過ごしました。

 慶長12年(1607年)、沢庵は、大徳寺首座となり、大徳寺塔中徳禅寺に住むとともに南宗寺にも住持しました。

 元和6年(1620年)、郷里出石に帰り、出石藩主・小出吉英が再興した宗鏡寺に庵を結び、これを投淵軒と名づけて、隠棲の生活に入りました。

 寛永18年(1641年)、長年の努力が実り、紫衣事件の発端となった大徳・妙心両寺の寺法を旧に復すことが家光より正式に申し渡されました。こうして大徳寺派・妙心寺派寺院の法灯は続くことになったのです。

 書画・詩文に通じ、茶の湯(茶道)にも親しみ、また多くの墨跡を残しています。沢庵漬けの考案者と言われていますが、これについては諸説があるようです。
 

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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