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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 3 新しいミッションはCIA???

2024-03-15 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 3 新しいミッションはCIA???

 

■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。

 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。

 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。

 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。

 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。

 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。

【最新号・バックナンバー】
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【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 

 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第

 4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 

 

■■ 4 迷いの始まり

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆4-3 新しいミッションはCIA???

 朝食をとってから、出勤した。アパートは、マンハッタンの東にあるロングアイランド島のフラッシングというニューヨーク市の東の外れにある。地下鉄の終点でもあるので、事務所がある五番街に近い四十二丁目まで約三十分、ほぼ毎日座って通える。日本にいた時には一時間以上の通勤ラッシュとの戦いであったが、それとは比べものにならないほど楽である。
 事務所に着くと、昨夜の苦悶のことはすっかり忘れてしまい、仕事に取りかかった。本社からの手紙が一通着いていた。これも相本が送ってくれたのかと思うと、夕べのこと、年賀状のことが再び思い出され、昨夜の苦悶が襲いかかってきそうである。
 頭を振って、それを振り切ってから手紙を読み始めると、そこには大変なことが書かれていた。アテンドという観点では、当然のことであるが、日本全国から小学校の先生が三十人ほど団体で来るというのである。それだけでも大変だと思うのに加えて、CAIのモデル校を探して、見学ができるようにセッティングをせよという指示である。
――CAIって一体何だろう――最初はCIAと読み違えて、福田商事もスパイ市場に進出するのかと勘違いをし、――俺は、いくら業務命令とはいえ、反社会的な活動をするわけにはいかない。いよいよ首か――と早とちりをした。
 早速辞書を引いてみたがわからない。手紙を読み進んでいくと、どうもCAIというのは新しい教育システムのようである。事務所の向かいがニューヨーク公共図書館であるので、早速飛んで行った。
 ここは、公共図書館という名前になっているが、れっきとした世界屈指の私立の図書館である。一八八六年に当時のニューヨーク州知事のサミュエル・ティルデンが、既存のいくつかの図書館を統合して大きな図書館にすることを提案して、一九一一年に竣工した。私立であるために運営は寄付によって行われる。その中にはカーネギーホールでも名の知られているアンドリュー・カーネギーも含まれている。一カ所ではなく、ニューヨーク各所にブランチ・ライブラリーが次々と増設されてきた。(ニューヨーク公共図書館公式サイトより)

  <続く>

■ バックナンバー

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