【カシャリ!ひとり旅】 山形県山形市 山寺(立石寺)3 芭蕉句碑と日枝神社 160180
若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。
旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。
写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。
何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・
他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。
■■ 山形県山形市 山寺(立石寺)3 芭蕉句碑と日枝神社
https://www.rissyakuji.jp/
「山寺」(やまでら)は、正式には「宝珠山立石寺」といいます。山形市より仙山線で北東方向に行った所にあります。
奈良時代に開かれたと伝わる寺院で、東北を代表する霊山で、その岩山・絶壁に沿って多くのお堂が建てられています。途中に自然の岩肌、そして見上げる奥の院、そして五大堂からの眺望など風光明媚な景勝地として国指定名勝となっています。
山形駅から仙山線で20分ほどで山寺駅に着きます。ホームから、堂于や岩肌が見え、思わずシャッターを切ってしまいます。参道へは、4本ほどの入り口がありますが、一番奥の参道入り口まで徒歩10分のところから登り始めます。「登山口」という立て看板があることからも、お寺参りと言うよりは登山なのだと認識した方がよろしいでしょう。
石段を見上げますと、この先、並々ならぬ道のりであるという思いと、その背景に見える堂于に対する期待とが交錯します。石段を登り切りますと、最初に現れるのが根本中堂です。室町時代に初代山形城主・斯波兼頼が再建し、国指定重要文化財となっています。
根本中堂から、西に向かう参道を進むと、芭蕉の有名な『閑さや 巌にしみ入る 蝉の声』という句碑や清和天皇御宝塔、日枝神社があります。その先にあるのが鎌倉時代に造られたとされる山門で、ここで入山料をお支払いします。ここから奥の院まで、1000段の石段があり、健脚な人なら30分でたどり着くと言われます。
参道沿いにある堂宇や塚などで写真をとったりする私は、普通の参詣者の3倍の時間がかかります。
参道のほぼ真ん中あたりにあるのがせみ塚です。そこからしばらく登りますと弥陀堂、仁王門があります。右手に修行のいわば胎内道などを山腹に見ながら、観明院にたどり着き、不徳ながら、そこの縁に腰を下ろして一休みをしました。
その正面を見上げますと、開山堂・五大堂です。「五大堂」からの風景は絶景で、月並みな表現になってしまいますが、それまでの疲れが一気に吹き飛んだ気がします。そこでゆっくりとしたいところですが、座るところがありません。そこにあるのは、心ない人による落書きで、大変なる興ざめでした。
半世紀前に来たときには一気に五大堂まで登ってきましたが、健脚な人なら20分ほどでたどり着けるでしょうが、私は1時間以上もかけて登りました。
そこから、一切経堂や最上義光御霊廟に寄り道をしてから奥之院と大仏殿を参詣して下山の途につきました。
下山口から西に進んだところに立石寺本坊があります。その手前に小さな池があり、門をくぐると本坊前の枯山水庭園が見えてきました。山々を借景にしたこじんまりとした庭園でした。
庭園を見てから、対面石のところにある茶屋で食事をしてから、山形のホテルに戻りました。紅葉が処々に残る11月末の参詣でした。
■ アクセス
山形駅-山寺駅 20分弱
JR仙山線 山寺駅より参道入口まで徒歩10分
〒999-3301 山形県山形市山寺4456-1
「1 根本中堂」を参拝してから西の方角に歩いて行きますと
日枝神社の鳥居が見えてきます。
そこをくぐると、次のエリアに入ります。
鳥居の奥が日枝神社
根本中堂前から望む
閑さや岩にしみ入る蝉の声
この名句を知らない人も少ないでしょう。
元禄2年(1689)、奥の細道をたどり、
現在の暦で7月13日に、松尾芭蕉は、ここ、山寺を訪れました。
その時の松尾芭蕉の句です。
門人たちが、嘉永6年(1853)に句碑を建てました。
清和天皇御宝塔
芭蕉句碑の奥に見える宝塔は、
山寺を勅願寺とした清和天皇の供養塔で、
山寺では最も古い石塔です。
清和天皇の遺徳を慕い、
国家の安泰を願って建立されました。
山寺の大銀杏
根本中堂から西に進み、日枝神社の鳥居をくぐると
左手に御神木の大銀杏があります。
山形市で一番太いという天然記念物です。
慈覚大師お手植と伝えられ、
1000年を超える樹齢というその下には、
高浜虚子・年尾の親子句碑がたっている。
案内立て札
史跡名勝「山寺」の山内、山寺日枝神社境内の南東隅にあるイチョウの雄株です。根元の周りか約10m、地上1.5mのところの幹周りが9.6mを測ります。山形県内では、南陽市宮内熊野神社の人イチョウ、鶴岡市湯田川の乳イチョウなどと肩をならべるほどの巨木で、市内では最人のイチョウの木です。
以前は、樹高およそ30mの主幹がありましたが、昭和47年九月17日未明の暴風によって、地上4mほどの上部で折損し、樹冠の大半を失いました。その後、数十年の歳月を経て、現在のように樹勢は挽回し、山寺一円の守護神である日枝神社のご神木として、歴史の年輪を刻み続けています。
山寺日枝神社 公式ホームページ (hie348.wixsite.com)
日枝神社
奇岩佳勝、史跡名所地として知られる山寺の守り神である日枝神社は貞観2年(860年)、後に天台宗の第三座主となる慈覚大師円仁(じかくたいしえんにん)が宝珠山を開基する際に、比叡山延暦寺に倣って山寺一山の守護神として近江国坂本の日吉大社(ひえたいしゃ)より御分霊を勧請し祀ったのが始まりです。
神社は当初より山王権現、またの名を大宮大権現と称され二ノ宮、三ノ宮、客人権現、更には山王二十一社の規模が整えられ、天台宗派の手により、山王神道の神仏習合における東北地方の一大根拠地となりました。
しかし、大永元年(1521年)には、山形城主である最上家の家督親族争いの巻き添えに伴い、天童城主「天童頼長」等の一軍により山寺一山はことごとく焼き討ちされ、当社も廃儘と帰したが、天文二年(1534年)には、一山の守護神として、当社を先ず再建せらるに至りました。
明治3年、政府の神仏分離令(神仏判然令)により、立石寺とは切り離し山寺村の守護神として日枝神社と社名を改め村社の社格を有することとなり、ここに1000年に及ぶ立石寺の当社への別当は終止符を打つ事となりました。(【公式サイト】をもとに作成)
日枝神社
山寺一円の守護神である日枝神社
毎年5月17日に、山寺山王祭がおこなわれます
日枝神社正面
亀の甲石
亀の形をした此の石は古来より廷命、長寿の霊験ありと伝へられてをり小践に名前を書いて供へ置けば願いが叶うと言われてをります。(良善院資料より)
尚、供へ置いた小銭は、毎日夕刻に神前に奉献の上、諸人の身体堅固、心願成就を御祈祷申し上げてをります。(説明立て札)
大正天皇記念碑
日枝神社脇の大きな碑は、
この地に行幸された大正天皇と、
貞明皇后の記念碑
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