経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【きょうの人】 0927 ■ 了誉上人 伝通院開山 於大の方・千姫の墓 ■ 李 鴻章 清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力

2023-09-27 06:33:00 | 【話材】 きょうの人09月

 

  【きょうの人】 0927 ■ 高杉晋作 久坂玄瑞等とともに尊皇攘夷運動をした長州藩士 ■ 了誉上人 伝通院開山 於大の方・千姫の墓 ■ 李 鴻章 清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 高杉晋作 久坂玄瑞等とともに尊皇攘夷運動をした長州藩士

 たかすぎ しんさく
 天保10年8月20日〈1839年9月27日〉- 慶應3年4月14日〈1867年5月17日〉

 幕末長州藩の尊王攘夷志士として久坂玄瑞等とともに活躍した武士です。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を討幕運動に方向付けしました。

 文久元年(1861年)には、海軍修練のため、藩の所蔵する軍艦「丙辰丸」に乗船し、江戸に渡りました。神道無念流練兵館道場で剣術の稽古をしました。その年に、東北遊学を行い、加藤桜老や佐久間象山、横井小楠とも交友しています。

 文久2年(1862年)に、藩命で、五代友厚らとともに、幕府使節随行員として長崎から中国の上海へ渡航、清が欧米の植民地となりつつある実情などを見聞して7月に帰国しました。

 尊王攘夷(尊攘)派が台頭しますと、晋作も桂小五郎(木戸孝允)や久坂義助(久坂玄瑞)らとともに尊攘運動に加わり、江戸・京都において勤皇・破約攘夷の宣伝活動を展開し、各藩の志士たちと交流しました。

 文久2年12月12日には、幕府の違勅に抗議するため、同志とともに品川御殿山に建設中の英国公使館焼き討ちを行いました。

 文久3年(1863年)、幕府が朝廷から要請されて制定した攘夷期限が過ぎますと、長州藩は関門海峡における下関戦争で外国船砲撃を行い、惨敗します。晋作は下関の防衛を任せられ、身分に因らない志願兵による奇兵隊を結成します。

 文久4年(1864年)、長州藩は禁門の変で敗北して朝敵となり、久坂玄瑞は自害しました。英仏米蘭4か国連合艦隊が下関砲台を占拠、晋作は和議交渉を任され、ギリギリの線で交渉を成立させました。

 幕府の権威が失墜し、慶応3年(1867年)に大政奉還、高杉晋作は、下関市桜山で肺結核の療養中、慶応3年4月13日(1867年5月16日)深夜に享年29(満27歳8ヶ月)で死去しました。
 

 

 了誉上人 伝通院開山 於大の方・千姫の墓


 了誉(1341~1420)は、現在の茨城県那珂郡に、城主白石志摩守宗義の子として誕生しました。

 著作は百巻を越え、特に「選択伝弘決疑鈔直牒」十巻は、佐竹氏の乱を避け阿弥陀山の洞穴に身を隠し撰述されたものです。

 浄土宗は、独立した宗派として認められてはいませんでしたが、現在の浄土宗の基礎を築くことに貢献しました。

 東京文京区にある伝通院の開祖でもあります。


 伝通院(傳通院、でんづういん)は、東京都文京区の高台にある仏教浄土宗のお寺さんです。正式名称は、「無量山傳通院寿経寺(むりょうざん・でんづういん・じゅきょうじ)です。

 徳川将軍家の菩提寺で、家康の生母「於大の方」や二代将軍秀忠の娘「千姫」の販売管理システムがあることでも知られています。

 応永22(1415)年に、、無量山寿経寺という名で。浄土宗了誉が開山しました。

 慶長18(1613)年に増上寺の学問僧300人を傳通院に移して、関東の十八檀林(僧の学問修行所)の上席としました。

 その流れとして、明治24(1891)年には、浄土宗学本校(現大正大学の前身)をこの地に移転したり、境内に淑徳女学校を設立したりと檀信徒のみならず、地元住民参加の布教伝道方式をとるなどの貢献をしています。

 第二次世界大戦では建造物すべて灰燼と帰し、昭和24年に本堂の再建が始まり、今日に至っています。

 鐘楼や山門は大変立派なものです。

 

■ 李 鴻章 清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力

 

 り こうしょう
 1823年2月15日(道光3年1月5日)-- 1901年11月7日(光緒27年9月27日)

 

 中国清代の政治家で、字は少荃(しょうせん)。洋務運動を推進し清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力しました。

 日清戦争の講和条約である下関条約で、清側の欽差大臣(全権大使)となり、調印を行ったことで知られています。

清朝末期に起こった反乱・太平天国の欄で、政府軍に降伏した敵軍を吸収しながら、西洋式軍事訓練も施して、自軍強化に努め、蘇州・常州を奪回するなど、活躍しました。

 李鴻章は、その手腕を買われ、清朝の重臣筆頭となり、さらに同治帝の母・西太后の厚い信任を得ました。

 日本の朝鮮出兵などの動きに驚異を感じ、日本との関係を模索しました。同治9年9月、清を訪れた柳原前光ら日本使節団と天津で会談、日本との提携を記した草案の作成を担当し、伊達宗城・柳原前光ら使節団と日清修好条規を結びました。

 大久保利通他とも交流を持ち、西欧やロシアの圧力に対抗を試みるなど政治的手腕を発揮しました。しかし、日本は、日清戦争に走ります。日本側は列国の干渉をおそれ、休戦条約を調印し、日清講和条約(下関条約)の調印を行います。

 この条約で朝鮮・台湾・遼東半島などの喪失と賠償金支払いなどで、清の威信は大きく低下し、李鴻章は失脚します。しかし、西太后の意もあり、復権します。

 波乱の人生でしたが、李鴻章の意志は、袁世凱に引き継がれます。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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◆【経営コンサルタントの独り言】 ■ 発展し続ける企業が辿る“秘密” の道 926

2023-09-26 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントのひとり言09

 

  【経営コンサルタントの独り言】 ■ 発展し続ける企業が辿る“秘密” の道 926

 

 

二兎を追うブログ 

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

 

■ 発展し続ける企業が辿る“秘密” の道 926


「経営に王道はない」

 経営コンサルタントの私がこのようなことを申し上げますと「それでは経営コンサルタントなど要らないのではないですか」と言われ続けてきました。

「経営者は、あたり前のことがあたり前にできるようにすることが大切です」

「それでは、ますます経営コンサルタントなど不要ではないですか」とも言われて来ました。

 その上に、さらに「経営コンサルタントが要らない企業作りをします」と言いましたら、「経営コンサルタントの仕事がなくなってしまうではないですか」と反論されます。


 でも、これが、私の、経営コンサルタントとしての信条です。

 それをもとに、40年もの長きにわたって経営コンサルティング業に携わってこられました。

「経営コンサルタント不要の企業作り」をしても、クライアントはなくならないどころか、まだ、次々と顧問契約を希望して下さる企業はあるのです。


 昨今の世の中は、独りではやって行けない時代になってきています。

 経営コンサルタントも独りではやって行けない時代なのです。

 経営者も、「社長は孤独である」などとかっこ付けていてはダメです。

 外部ブレインを使っても、なかなか成長は難しい時代です。

 かといって、社長が孤独に、一人で経営をやっていては、石ころばかりの悪路に、さすがのベンツもくたびれてエンストを起こしてしまいます。

 ベンツから降りて、外部ブレインと二人三脚に切り替えてみてはどうでしょうか。

 その、泥臭いやり方に、はじめはベンツの乗り心地良さが懐かしく思えるかもしれません。

 でも、そのうちに、社員が加わってくれるようになり、次第に企業の前に平らな道が拓けてゆけます。


 ブログ「顧問契約で企業体力アップ」を読まれて、早速数人の社長さんから相談を受けました。

 わずか数行のブログでしたが、解って下さる方には、解って下さるのだと、改めて感謝をしています。

  http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a82a902a5c6e94358683189112cddc28

 

 

(ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

 

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【経営コンサルタントのお勧め図書】「日本経済大復活」!? 新冷戦の勝者になるのは日本 2309

2023-09-26 12:03:00 | 経営コンサルタントの本棚

本  【経営コンサルタントのお勧め図書】「日本経済大復活」!? 新冷戦の勝者になるのは日本 2309

 

 経営コンサルタントがどのような本を、どのように読んでいるのかを教えてください」「経営コンサルタントのお勧めの本は?」という声をしばしばお聞きします。

 日本経営士協会の経営士・コンサルタントの先生方が読んでいる書籍を、毎月第4火曜日にご紹介します。

 

 【経営コンサルタントの本棚】は、2012年に、経営コンサルタントがどのような書籍を読んでいるのか知りたいという、ブログ読者の声を反映して企画いたしました。

 幸い、日本で最初に創設された経営コンサルタント団体である日本経営士協会には優秀な経営士・コンサルタントがいらっしゃるので、その中のお一人である酒井闊先生にお声をかけましたところ、ご協力いただけることになりました。

 それが、今日まで継続されていますので、10年余もの長きにわたって、皆様にお届けできていることに誇りを持っています。

 

本

■    今日のおすすめ

『新冷戦の勝者になるのは日本』

                    (中島 精也著 講談社α新書)

本

■『「冷戦」「ポスト冷戦」から「新冷戦」へ』とは(はじめに)

 『「冷戦」「ポスト冷戦」を経て「新冷戦」へ』を辿ってみましょう。注目点は、「新冷戦時代」にこれから起こることは、「ポスト冷戦時代」の揺り戻しだからです。


【冷戦時代を振り返ってみよう】
 「冷戦時代」とは、簡単に言えば、アメリカを代表とする資本主義・民主主義の国が、共産主義・社会主義圏の拡大を防ぐために「封じ込め」る一方、ソ連や東ヨーロッパ諸国が、共産主義・社会主義を守るために、独裁的な支配を強め、資本主義国とは接触しないよう「閉じこもった」時代と言ってよいのではないでしょうか。
 「冷戦時代」は1945年2月の『ヤルタ会談』(ルーズベルト、スターリン、チャーチルによるドイツの東西分割を決定)に始まり、1961年8月に築かれたベルリンの壁が、1989年11月、ライプチヒのニコライ聖堂を起点とする50万人の市民革命に端を発する市民蜂起により崩壊し、そこから1か月後、ブッシュとゴルバチョフが地中海のマルタ沖のクルーズ線上で「世界は一つ」「東西関係の持続的共同関係」を確認した『マルタ会談』で終結します。
 冷戦終結(非共産化)を時系列でみると、東欧諸国(ポーランド、ハンガリー、ブルガリア、チェコ・スロバキア、ルーマニア)は1989.6~1989.12、バルト3国は1990.3~1991.8、東西ドイツ統一は1990.8、ソ連解体・崩壊は1991.12、バルカン半島東欧諸国(ユーゴスラビア、アルバニア)は1991~1992となります。
 中国における東欧革命の民主化ドミノは、政治的自由を主張した胡耀邦総書記の死去の追悼集会(1989.4.15)への抑圧を契機に、1989年6月4日天安門事件が起きます。しかし、武力で制圧され共産党政権は堅持されます。この結果、鄧小平路線はさらに「社会主義市場経済」として強化され、中国は「民主化なき経済大国」へと向かっていくこととなります。


【「ポスト冷戦時代」に起こった事と、「ポスト冷戦時代」の終わり】
 「ポスト冷戦時代」とは、資本主義・民主主義vs共産主義・社会主義のイデオロギー対立が終わり、東西冷戦で閉ざされていた東側の労働力や資源が西側に開放され、逆に西側の技術とマネーが東側に開放された結果、世界経済はBRICSを代表とする新興国の高成長と先進国の低インフレを象徴とする時代と言えます。
 これを象徴するのが、アメリカの所謂「ラストベルト」であり、日本をはじめとした先進国における「産業の空洞化」です。
 「ポスト冷戦時代」に起こったことを挙げてみましょう。
¨ 生産要素の最適化を実現するグローバル・サプライチェーンの構築の進行と構築のための投資の増加、西側の技術による生産性の向上と安い労働力と人口ボーナスを武器とした中国とインドの高成長。
¨ 日本、アメリカにおける製造業の「雇用の減少」(米国1990⇒2022・▼28%、日本92⇒21・▼34%)。
¨ 冷戦時代の軍事研究の成果を生かしたIT革命とサービス化に成功したアメリカの賃金上昇(90⇒22・2.7倍)と後塵を拝している日本の賃金低迷(92⇒22▼3.3%)。
¨ 天然資源に関するドイツ・欧州のロシア依存の高まり。
 ポスト冷戦の終わり、つまり新冷戦の始まりは、2017年10月の中国の習総書記第二期政権の始まりの第19回共産党大会における「2049年を目標年とする『社会主義現代化強国(世界覇権掌握)』宣言」と言われています。
 露骨な挑戦状を突き付けられたアメリカのトランプ政権の対応は、2018年10月のペンス副大統領のハドソン研究所における「武力を伴わない対中宣戦布告『新・鉄のカーテン』」演説に現れています。2018年7月には、対中関税引き上げを行い「米中貿易戦争」「米中デカップリング」が始まったのです。
 これに拍車をかけたのが、コロナとウクライナ戦争です。コロナにより中国の絡むグローバル・サプライチェーンのモロさが露呈し、ウクライナ戦争ではロシアの経済安全保障上のリスクが顕在化し一挙にポスト冷戦が崩壊したのです。


【「新冷戦時代」に起こる変化は?】
 ソ連崩壊で始まったポスト冷戦時代は30年を経過して幕を下ろし、民主主義と専制国家の2つのブロックに分断される「新冷戦時代」に突入します。
 「新冷戦時代」には、ポスト冷戦時代に起きたことの巻き返しが起こります。グローバリゼーションの巻き戻しにより、労働力、天然資源などの全ての生産要素価格が上昇し、ポスト冷戦時代のデフレ経済からインフレ経済に逆戻りします。
 コロナと専制国家の強権の横暴によりモロさを露呈したグローバル・サプライチェーンを見直し、リ・ショアリング(国内回帰)、ニア・ショアリング(近隣友好国への工場移転)、フレンド・ショアリング(米提唱のIPEF。同盟国や友好国間に限定した新たなサプライチェーン)が本格的に始まっています。
 「新冷戦時代」に起きている、フレンド、ショアリングから排除されるなど内憂外患の中国、中露に依存した経済の崩壊を抱える欧州、ウクライナ戦争で疲弊するロシア、ITや基軸通貨など引き続き優位性を維持するアメリカ、など世界情勢は大きく変化しています。詳しくは紹介本をお読みください。
 日本についての、「新冷戦時代」に起こることについて、次項で記してみたいと思います。

 

本

■「貧しい国」から脱却し「豊かな国」に向かうロードマップ

【目指す賃上げの水準ー年率4.2%以上-】

 著者は2種類の賃上げについて言及しています。

 一つがベース・アップ(含む初任給アップ)です。人口減少を考慮した場合、貧困化しないためには、2022年のGDPを生産年齢人口で割った一人当たり労働生産性(742万円)を2022年のGDPを2060年の生産年齢人口で割った一人当たり労働生産性(1,258万円)まで高め、GDPを2022年レベル以上とする必要があり、その為には、毎年、年率+1.4%以上〔注3〕のベース・アップと生産性の向上が必要とします。

 二つ目は定期昇給です。給与の上昇は52歳まで上昇し、年率+2.8%です(全国平均。厚労省データ)。この部分の企業の総支給額は変わりません。定年制により入れ替わるだけで企業視点での支給総面積は不変だからです。

 この二つを合わせると+4.2%です。これに実質賃金をマイナスにしないためにはインフレ率の上乗せが必要です。日銀が目指すインフレ目標2%を考慮すると+6.2%になります。

 〔注3〕著者は+1.4%の数字を算出する前提として、2060年の生産年齢人口を4,418万人(社会保障・人口問題研究所2012年1月推計〈出世中位、死亡中位〉)を使っています。2023年4月推計の5,078万人を使うと+1.1%となります(筆者コメント)。

【一人一人の行動で、給料を上げよう―従業員として取るべき行動―】

 著者は日本以外の多くの国で給与水準が上がっているのに対し、日本では30年間ほとんど上がっていない理由を2つ挙げています。一つは一人当たりの付加価値つまり労働生産性がほとんど上がっていないことです。二つ目はOECDの国では7割以上の労働者が給料を上げてもらう給料交渉をしますが、日本では給与交渉をする労働者は3割に止まっています。

 著者は、日本でも「1年に1回、経営者と社員がひざ詰めで面談し、従業員側の希望・要望・不満を聞き取り、給与の妥当性についても意見交換をすべき」と強調します。

 これからの人口減少時代には、給料を上げられない企業は、労働者から選択されず、雇用を確保できなくなると指摘します。経営者も労働者も給料を上げ続けることが出来る企業に変革する行動と実現を、真剣に求めていくべき時代なのです。

【従業員から「見限られる社長」ではなく「ついていくべき社長」になる

-経営者のとるべき行動ー】

 上述のとおり「労働者から選択される」企業でなければ、雇用を確保できない時代であることを認識し、経営者としての在り方を「ついていくべき社長の5つの特徴」として提言しています。是非、紹介本をお読み下さい。

【より付加価値の高いものをより高く売るー経営者、従業員の共通の行動-】

 経営者・従業員の共通課題は付加価値の向上です。給料の引き上げ以上の付加価値を生み出すことが必須です。「より付加価値の高いものをより高く売る」を常に考え、行動・実現していくことが必要です。真剣に取り組めば、必ず結果が出ます。

本

■「新冷戦時代」に日本で起こること

【「ポスト冷戦」時代に日本で起きたこと。】
 バブル崩壊とほぼ同時に起きた日本のポスト冷戦は、金融危機とバランスシートの悪化に伴うデフレ、異常な円高(ピークは2011年10月:1ドル75.32円)、グローバル化に伴う産業の空洞化の三重苦でした。
【「新冷戦時代」に起こること、「日本大復活の時代」がやってくる?‼。】
 「新冷戦時代」の象徴的出来事として、著者は、台湾TSMCの熊本進出による、熊本の「日本のシリコンバレー」化を挙げている。
 熊本の状況を見乍ら、著者は「日本経済大復活」の条件が整ったとして、次の4つの事項を挙げます。
  ¨ 専制国家と民主主義国家の間のブロック化が進行し、世界の生産要素の供給と価格が大きく変わり、専制国家有利・日本不利から専制国家不利・日本有利へと、オセロゲームの様に、ひっくり返る。その例がフレンド・ショアリング・サプライチェーンです。日本が信頼されるパートナーとしてサプライチェーンの一角を占めます。
  ¨ 先端技術競争では、半導体製造技術、医療などの精密機械、工作機械など国際競争力を有する技術が多い。
  ¨ 嘗て、日本企業を苦しめた円高は終了し、賃金格差も縮小し、経済安全保障の面からもリ・ショアリングが進み、国内産業復活の条件が整った。
  ¨ バブル崩壊で悪化したバランスシートが著しく改善し、賃上げの条件が整った。

本

■「日本大復活」のチャンスを生かすには!(むすび)

 「日本大復活」は自然とはやって来ません。著者が指摘するように、安倍政権が努力するも達成できなかった、農業・医療・教育・労働・エネルギー等あらゆる分野における、効率と競争力を上げる構造改革が必要です。
 また、著者が“戻りつつある”と指摘する「未来の日本の大復活」に向けた、経営者及びビジネスパーソンの、アニマル・スピリッツを一層高めようではありませんか。

本

【酒井 闊プロフィール】

 10年以上に亘り企業経営者(メガバンク関係会社社長、一部上場企業CFO)としての経験を積む。その後経営コンサルタントとして独立。
 企業経営者として培った叡智と豊富な人脈ならびに日本経営士協会の豊かな人脈を資産として、『私だけが出来るコンサルティング』をモットーに、企業経営の革新・強化を得意分野として活躍中。

  https://www.jmca.or.jp/member_meibo/2091/

  http://sakai-gm.jp/index.html

【 注 】  著者からの原稿をもとに、できる限り忠実に掲載しています。読者の皆様のご判断で、自己責任で行動してください。

本

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■■杉浦日向子の江戸塾 - 江戸情緒に学ぶ 江戸っ子と伊達 28

2023-09-26 12:03:00 | 杉浦日向子の江戸塾

■■杉浦日向子の江戸塾 - 江戸情緒に学ぶ 江戸っ子と伊達 28

 
■■杉浦日向子の江戸塾 - 江戸情緒に学ぶ 江戸女性とお酒

 江戸のエコや風俗習慣などから、現代人は、エコという観点に絞っても学ぶところが多いと思っています。杉浦日向子の江戸塾から学ぶところは多く、話のネタとなります。エッセイ風というと大げさになりますが、独断と偏見で紹介してみたいと思います。
                     
 私がはじめて杉浦日向子女史を知ったのは、「お江戸でござる」というNHKの番組でした。お酒が好きで、飾らない人柄、江戸時代に生きていたかのような話しぶり、そこから江戸のことを知ると、われわれ現代人に反省の機会が増えるような気がします。
 
 

 

■ 江戸っ子と伊達 28


 江戸では、マイナス要因だと思われることをカッコよく見せられる人が「一番粋」なのだそうです。

 例えば頭が禿げている人が、「あの人の禿はカッコいい」と言わせれば粋になるのです。マイナスをプラスにすれば良いわけで、おなじ禿げるのであれば、ユールブリンナーよろしく、つるつるの頭にしてしまうと「粋」になります。

 昨今では、背が高くてイケメンな男性が持てますが、江戸時代には、遠くから目立ってしまうので「粋」ではなく「野暮」なのです。

 「伊達男」という表現がありますが、服装が伊達であるということは、「バサラ」につながります。

 伊達になるには、手ほどき書、すなわちマニュアルがありました。それを学ぶことによって伊達になれるのですが、「粋」というわけではありません。

 やつれた感じが、逆に評価されるのが江戸の粋なのです。「滅びの美学」と言っても良いのでしょうか。

 「滅び」という観点から魚など食べ物は腐る寸前がおいしいというのです。


■ 
「杉浦日向子の江戸塾」バックナンバー ←クリック


 杉浦日向子女史の江戸塾は、江戸時代のエコ生活から飽食時代を迎えている我々に大きな示唆を与えてくれます。

 


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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月25日 張りのある声で信頼感を伝える Ac20 24

2023-09-26 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月25日 張りのある声で信頼感を伝える Ac20 24

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 竹根の会社のクライアントに社員向けの講話をお願いしたいと言われていました。

 今日が、その日だったので、出かけてゆきました。

 

■ 24 張りのある声で信頼感を伝える Ac20

 三〇才代前半で、商社マンから経営コンサルタントに転身しました。

 経営コンサルタントというのは、経営者・管理職等に自分の考えを、キチンと伝えなければ仕事ができないと考えていましたので、心がけたことのひとつに発声のことがあります。

 私自身が、サラリーマン時代に管理職として体験したことのひとつが、声が小さいがために、損をしている部下がいました。大きな声で話してはどうかとアドバイスを何度かしたことがあります。本人は、大きな声を出そうとしているらしいのですが、それ以上大きな声が出ないのだと言っていました。

 それが念頭にありましたので、話し方教室に通うようにしました。その一環で、発声練習というのは教えられました。

 口を大きく開けて「あえおあうおあお」「かけこかくこかこ」と五十音を発声して行くのです。

 その時に、「お腹から声を出せ」という指導を受けました。平素から腹式呼吸の訓練をすることが、発声の基本なのだそうです。

 お腹から声を出しますと、声が大きくなるだけではなく、声の振動が相手に伝わり、耳だけではなく、声を体感させることに繋がるのだそうです。

 大きな声を出せるからといいましても、平素、大きな声でしゃべるわけには行きませんが、その様な発声ができるようになりますと、音量を落としても、相手に響きと兎もに伝えることができるのです。

 その様な、ゆとりのある発声法の人は、信頼感を伝えることができ、聞く側は安心感を持って聴くことができるといわれています。

 その様な効果があるとは知りませんでしたが、社員研修等では、全員に聞こえるように、しかも、時には三日間しゃべり通しというようなこともありますので、音量とともに、発声の持続力も求められます。

 私自身は、話下手な方でしたので、発声訓練のおかげで、受講者からは、わかりやすい研修でしたという、お褒めの声をいただくことがありました。

 さすがに、三日間研修の時には、のど飴をなめながらの講義となりましたが、発声訓練のおかげで、喉を痛めることが少なくなりました。

 経営コンサルタントに限らず、社員や部下に訓示をする機会の多い経営者・管理職にとりましても、顧客と話をするビジネスパーソンにとりましても、不可欠なスキルのひとつといえます。

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

 ■【今日は何の日】 9月26日  ■ 彼岸開け ■ 和歌山県日前神宮・国懸祭 ■ ワープロ記念日

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

 主婦の日に思う「糟糠之妻」 925

  【今日は何の日】でお伝えしまたyouに9月25日は、主婦の日だそうですが、わざわざ、この様な記念日を設けると言うことは、まだまだ主婦が大切にされていないということなのでしょうか。

 「三食昼寝つき」などと主婦の業務を軽視しがちです。私は三十代前半で、経営士・コンサルタントとして起業し、始めは自宅の離れを事務所として使っていました。起業当時は、クライアント・顧問先のところへ行くことも少なく、主婦の一日を見ることが多かったのです。

 

 ところが、当時は、子供も小さかったこともあり、主婦というのは意外とテレビを見たり、昼寝をしたりする時間がとれないことを発見しました。

 

 爾来、自分が仕事をすることができるのは、妻がいればこそと言うことを悟りました。多分、それが態度に出てきたのでしょう、妻の私の仕事への理解が深まってきて、随分と仕事を手伝ってもらうようになりました。家事に加え、私の仕事の手伝いをすることは大変だろうと思うと、「主婦」に対する見方は、益々世の男性とは違って来たのかも知れません。

 

 経営士・コンサルタントというのは、家族の理解がないとできない仕事なのです。

「糟糠之妻」という言葉を重く受けとめています。

 

■【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業

 「【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記」から独立して、最初から発信していたします。
 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
 
【これまでお話】
 エピローグは、主人公である竹根好助(たけねよしすけ)の人柄を知る重要な部分でした。
 親によるある教えで、超一流ではないものの上場商社に入社した竹根の若かりし、1ドルが360円の時代でした。
 入社して、まだ1年半にも満たないときのことです。アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。社内では、誰が派遣されるのか話題沸騰です。若輩の竹根は推理小説でも読むような気持ちで、誰が選ばれるか、興味津々で推理を働かせました。
 一方、竹根の信条のひとつに「サラリーマンとしての心得のひとつとして上司からの命令には逆らうなというビジネス書の教えをかたくなに守ってい」という頑固というか、意志堅固なところがあります。
 人事というのは、競馬の予想のような下馬評が走り回るのがサラリーマン世界の常です。そのような中、トップ間での人選は進みます。角菊事業部長は、自分の推薦順位の高いものから三名のリストを福田社長に提出するのですが、福田の顔はさえません。角菊には、福田の腹の内を読めないでいます。
 角菊事業部長は、次回の福田社長との人事ミーティングで、自分の考えをキチンと伝え、自分の提案が通るように、じっくりと考えた上で資料作成をしました。

【バックナンバー】
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950

【過去のタイトル】
 1.人選 
 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

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■バックナンバー
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■【きょうの人】 0926 ■ 安倍 晴明 平安時代の陰陽師 ■ 藤原 定家 歌人、『小倉百人一首』の撰者

2023-09-26 06:33:00 | 【話材】 きょうの人09月

 

  【きょうの人】 0926 ■ 安倍 晴明 平安時代の陰陽師 ■ 藤原 定家 歌人、『小倉百人一首』の撰者

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 藤原 定家 歌人、『小倉百人一首』の撰者


 ふじわら の さだいえ/ていか
 応保2年(1162年)-仁治2年8月20日(1241年9月26日)

 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌人で、公家でもありました。諱は「ていか」と音読みされることが多く、『小倉百人一首』の撰者で権中納言定家を称しました。

 藤原北家御子左流で藤原俊成の二男、最終官位は、正二位権中納言です。京極殿または京極中納言とも呼ばれました。法名は、明静(みょうじょう)です。

 平安時代末期から鎌倉時代初期という激動期に、御子左家の歌道における支配的地位を確立しました。日本の代表的な歌道の宗匠として永く仰がれてきました。

 『新古今和歌集』、『新勅撰和歌集』という2つの勅撰集を撰進したことはよく知られています。

 ほかに歌論書も数冊執筆していて、本歌取りなどの技法や、心と詞との関わりを論じています。

 歌人としても卓越し、家集に、六家集のひとつに数えられる『拾遺愚草』があります。

 定家自身の作で百人一首に収められているのは、「来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」が、よく知られています。

 『源氏物語』や『土佐日記』などの古典の書写・注釈にも携わりました。この際に用いた仮名遣いが「定家仮名遣」のもととなりました。

 建仁元年(1201年)に、後鳥羽天皇の熊野行幸に随行した折に記した『熊野御幸記』(国宝)は、定家の評価を高めています。

 

■ 安倍 晴明 平安時代の陰陽師


 あべ の せいめい/ はるあき/ はるあきら
 延喜21年1月11日〈921年2月21日〉- 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉

 平安時代の陰陽師で、鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏流土御門家の祖です。官位は、従四位下・播磨守です。

 幼少の頃については確かな記録はありませんが、陰陽師賀茂忠行・保憲父子に、陰陽道を学び、天文道を伝授されたといわれています。

 960年(天徳4年)40歳で天文得業生(陰陽寮に所属し天文博士から天文道を学ぶ学生の職)でありました晴明は、村上天皇に占いを命ぜられていて、出世は遅れていましたが、占いの才能は既に貴族社会で認められていました。

 979年(天元2年)、59歳の晴明は当時の皇太子師貞親王(後の花山天皇)の命で、那智山の天狗を封ずる儀式を行っています。

 このころから花山天皇の信頼を受けるようになったようで、記録にしばしば晴明が占いや陰陽道の儀式を行った様子が見られるようになりました。

 花山天皇の退位後は、一条天皇や藤原道長の信頼を集めたようです。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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◆【経営コンサルタントの独り言】  主婦の日に思う「糟糠之妻」 925

2023-09-25 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントのひとり言09

 

  【経営コンサルタントの独り言】 主婦の日に思う「糟糠之妻」 925

 

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ 主婦の日に思う「糟糠之妻」 925

  【今日は何の日】でお伝えしまたyouに9月25日は、主婦の日だそうですが、わざわざ、この様な記念日を設けると言うことは、まだまだ主婦が大切にされていないということなのでしょうか。

 「三食昼寝つき」などと主婦の業務を軽視しがちです。私は三十代前半で、経営士・コンサルタントとして起業し、始めは自宅の離れを事務所として使っていました。起業当時は、クライアント・顧問先のところへ行くことも少なく、主婦の一日を見ることが多かったのです。

 

 ところが、当時は、子供も小さかったこともあり、主婦というのは意外とテレビを見たり、昼寝をしたりする時間がとれないことを発見しました。

 

 爾来、自分が仕事をすることができるのは、妻がいればこそと言うことを悟りました。多分、それが態度に出てきたのでしょう、妻の私の仕事への理解が深まってきて、随分と仕事を手伝ってもらうようになりました。家事に加え、私の仕事の手伝いをすることは大変だろうと思うと、「主婦」に対する見方は、益々世の男性とは違って来たのかも知れません。

 

 経営士・コンサルタントというのは、家族の理解がないとできない仕事なのです。

「糟糠之妻」という言葉を重く受けとめています。

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konsarutanto

 

 

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月24日 江戸っ子と伊達 経営コンサルタントへの道

2023-09-25 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月24日 江戸っ子と伊達 経営コンサルタントへの道 

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 お彼岸が終わらないうちにと考えて、墓参りに行ってきました。

 想定ほど、草も生えていなく、掃除も楽に出来ました。

 平素、近くに住んでいる従弟が、何かと面倒を見えてくれているのだろうと想像出来ます。

 今日は、ゆったりとした時間を持つことができました。

 かねてより江戸っ子から学ぶことの多さを実感していましたので、紐解いてみました。

 杉浦日向子女史の江戸塾は、江戸時代のエコ生活から飽食時代を迎えている我々に大きな示唆を与えてくれます。

■ 江戸っ子と伊達 28

 江戸では、マイナス要因だと思われることをカッコよく見せられる人が「一番粋」なのだそうです。

 例えば頭が禿げている人が、「あの人の禿はカッコいい」と言わせれば粋になるのです。マイナスをプラスにすれば良いわけで、おなじ禿げるのであれば、ユールブリンナーよろしく、つるつるの頭にしてしまうと「粋」になります。もっとも、ブリンナーは、はげではなく、剃り上げているのかも知れません。

 昨今では、背が高くてイケメンな男性が持てますが、江戸時代には、遠くから目立ってしまうので「粋」ではなく「野暮」なのです。

 「伊達男」という表現がありますが、服装が伊達であるということは、「バサラ」につながります。

 伊達になるには、手ほどき書、すなわちマニュアルがありました。それを学ぶことによって伊達になれるのですが、「粋」というわけではありません。

 やつれた感じが、逆に評価されるのが江戸の粋なのです。「滅びの美学」と言っても良いのでしょうか。

 「滅び」という観点から、江戸時代には魚など食べ物は腐る寸前がおいしいというのです。

■ 「杉浦日向子の江戸塾」バックナンバー ←クリック

■【経営コンサルタントへの道】 実力を活かせるプロフェッショナル
 1970年代から、「経営コンサルタントとはお節介焼き」「当たり前のことが当たり前にできる企業作り」「現場を重視」「管理とは温かいもの」をモットーとして経営コンサルタントという職業に就いてきました。
 経営コンサルタントになってから、いろいろな人から「なぜ経営コンサルタントになったの?」「経営コンサルタントになるにはどうするの」あるいはすでに経営コンサルタントになっている人からは「経営コンサルタントとして成功するこつは」などと聞かれてきました。
 経営コンサルタントを目指す人の大半が、世の中に漂う“常識”的な方向定めと方法で準備を開始しています。しかし、経営コンサルタントへの道は厳しいですが、成功法による近道もあります。
 経営コンサルタントを目指す人が一度は辿るこの道に、正しい回答になるかどうか、お役に立つかどうかはわかりませんが、独断と偏見をお許しいただき、まとめてみましたので、ご紹介しています。

 お陰様で、経営コンサルタントを目指す人の60%の人が閲覧してくださっているサイトです。
  経営コンサルタントへの道
  https://www.jmca.or.jp/nyukai/3keikonhenomich/

■【今日は何の日】

 当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

 目的を見つけよ インド独立の父ガンディーの名言 924
 ガンディーの名言のひとつに、「目的を見つけよ。手段は後から着いてくる。」という言葉があります。
 めざすものが明確になりますと、その実現のために一所懸命に取り組みます。
 何を、どの様にやるかは、その過程で自ずとついてくると言うことでしょう。
 もし、手段を間違えているとしたら、「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり(吉田松陰)」ということではないでしょうか。

■【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまでお話】 バックナンバー

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月24日 江戸っ子と伊達 28

2023-09-25 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月24日 江戸っ子と伊達 28

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 お彼岸が終わらないうちにと考えて、墓参りに行ってきました。

 想定ほど、草も生えていなく、掃除も楽に出来ました。

 平素、近くに住んでいる従弟が、何かと面倒を見えてくれているのだろうと想像出来ます。

 

 今日は、ゆったりとした時間を持つことができました。

 かねてより江戸っ子から学ぶことの多さを実感していましたので、紐解いてみました。

 杉浦日向子女史の江戸塾は、江戸時代のエコ生活から飽食時代を迎えている我々に大きな示唆を与えてくれます。

 

■ 江戸っ子と伊達 28

 江戸では、マイナス要因だと思われることをカッコよく見せられる人が「一番粋」なのだそうです。

 例えば頭が禿げている人が、「あの人の禿はカッコいい」と言わせれば粋になるのです。マイナスをプラスにすれば良いわけで、おなじ禿げるのであれば、ユールブリンナーよろしく、つるつるの頭にしてしまうと「粋」になります。もっとも、ブリンナーは、はげではなく、剃り上げているのかも知れません。

 昨今では、背が高くてイケメンな男性が持てますが、江戸時代には、遠くから目立ってしまうので「粋」ではなく「野暮」なのです。

 「伊達男」という表現がありますが、服装が伊達であるということは、「バサラ」につながります。

 伊達になるには、手ほどき書、すなわちマニュアルがありました。それを学ぶことによって伊達になれるのですが、「粋」というわけではありません。

 やつれた感じが、逆に評価されるのが江戸の粋なのです。「滅びの美学」と言っても良いのでしょうか。

 「滅び」という観点から、江戸時代には魚など食べ物は腐る寸前がおいしいというのです。

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■【今日は何の日】

 当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

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■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

目的を見つけよ インド独立の父ガンディーの名言 924

 ガンディーの名言のひとつに、「目的を見つけよ。手段は後から着いてくる。」という言葉があります。

 めざすものが明確になりますと、その実現のために一所懸命に取り組みます。

 何を、どの様にやるかは、その過程で自ずとついてくると言うことでしょう。

 もし、手段を間違えているとしたら、「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり(吉田松陰)」ということではないでしょうか。

 

■【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業

 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまでお話】
 エピローグは、主人公である竹根好助(たけねよしすけ)の人柄を知る重要な部分でした。
 親によるある教えで、超一流ではないものの上場商社に入社した竹根の若かりし、1ドルが360円の時代でした。
 入社して、まだ1年半にも満たないときのことです。アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。社内では、誰が派遣されるのか話題沸騰です。若輩の竹根は推理小説でも読むような気持ちで、誰が選ばれるか、興味津々で推理を働かせました。
 一方、竹根の信条のひとつに「サラリーマンとしての心得のひとつとして上司からの命令には逆らうなというビジネス書の教えをかたくなに守ってい」という頑固というか、意志堅固なところがあります。
 人事というのは、競馬の予想のような下馬評が走り回るのがサラリーマン世界の常です。そのような中、トップ間での人選は進みます。角菊事業部長は、自分の推薦順位の高いものから三名のリストを福田社長に提出するのですが、福田の顔はさえません。角菊には、福田の腹の内を読めないでいます。
 角菊事業部長は、次回の福田社長との人事ミーティングで、自分の考えをキチンと伝え、自分の提案が通るように、じっくりと考えた上で資料作成をしました。

 <続く>
 
【バックナンバー】
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【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑
 

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■【きょうの人】 0925 足利義満 金閣寺だけではありません ■ ミカエル 三大天使の一人

2023-09-25 06:33:00 | 【話材】 きょうの人09月

 

  【きょうの人】 0925 足利義満 金閣寺だけではありません ■ ミカエル 三大天使の一人

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

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 ミカエル 三大天使の一人

 英語: Michael
 聖ミカエル記念日 9月25日

 旧約聖書の『ダニエル書』、新約聖書の『ユダの手紙』『ヨハネの黙示録』、旧約聖書外典『エノク書』などに名があらわれる天使で、ミハイルとも表記されます。

 旧約聖書からユダヤ教、キリスト教、イスラム教へ引き継がれ、三大天使・四大天使・七大天使の一人であるといわれています。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教においてもっとも偉大な天使の一人です。

 ミカエルの図像は、甲冑をまとって天の軍団の先頭をいく、といったイメージが一般的です。彼の図像は、背には翼が広がっているものが多いのも特徴です。孔雀の尾羽のような文様の翼を有した姿で描かれることもあります。

 右手に剣、左手には魂の公正さを測る秤を携えている姿で描かれることもあります。

 

 足利義満 金閣寺だけではありません


 足利義満(あしかが よしみつ)
 正平13年/延文3年(1358年)8月22日(新暦:9月25日) - 応永15年(1408年)5月6日

 室町幕府第3代将軍(在職1368年 - 1394年)で、金閣寺を建立した人として歴史の時間にも学ぶ人が多いのではないでしょうか。父は第2代将軍・足利義詮で、、母は側室の紀良子といわれています。

 南北朝の合一を果たし、有力守護大名の勢力を押さえて幕府権力を確立させました。室町幕府の政治、経済、文化の最盛期を築いたといえます。

 その権力を活かして、鹿苑寺(金閣)を建立したのですが、北山文化を開花させた人と言えます。

 中国・明に、日本の国王は、義満であることを認めさせ、明との交易で、莫大な富を得た人出もあります。

 邸宅を、京都北小路室町に構え、「室町殿」とも呼ばれたことから「室町幕府」という名称が定着しました。

 

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

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◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

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◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

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【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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■【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】 えさし藤原の郷 奥州藤原氏の居館を基調に平安時代を再現したテーマパーク

2023-09-25 00:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

■【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】 えさし藤原の郷 奥州藤原氏の居館を基調に平安時代を再現したテーマパーク

 ネット上で注目を浴びようといろいろな工夫をした映像や写真を見られます。しかし、ここでは、何も飾らない、ひとり旅の旅先で見て、感じて、カシャリとした写真を、動画としてお届けしています。
 今回は、「奥州藤原氏の居館を基調に平安時代を再現したテーマパーク」を紹介します。
 岩手県奥州市の歴史公園「えさし藤原の郷」は、奥州藤原氏の居館を、推定復元された平安時代の歴史テーマパークといえます。
 「えさし藤原の郷」は、もともとあった場所からは離れたこの地に、元江刺市長及川勉氏の尽力により、平成5年(1993年)、奥州藤原氏の興亡を題材にしたNHK大河ドラマ「炎立つ」の撮影を契機に作られました。
 約20ヘクタールという広大な敷地に、日本で唯一、平安貴族の住宅、寝殿造の建物を再現した「伽羅御所」をハイライトとしています。武家館を再現した「経清館」、「清衡館」、政治を司る「政庁」など、大小約120棟の建物が建てられています。
 

 

 

 

NHK大河ドラマの撮影場所

 

藤原経清の館

 

再現された城柵

 

さや堂を取り払った金色堂

 

 

 https://youtu.be/_-24YNwtMFc 23分
 

 

カシャリ! ひとり旅

 

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■【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】 えさし藤原の郷 奥州藤原氏の居館を基調に平安時代を再現したテーマパーク

2023-09-25 00:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 青森・岩手・秋田

■【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】 えさし藤原の郷 奥州藤原氏の居館を基調に平安時代を再現したテーマパーク

 ネット上で注目を浴びようといろいろな工夫をした映像や写真を見られます。しかし、ここでは、何も飾らない、ひとり旅の旅先で見て、感じて、カシャリとした写真を、動画としてお届けしています。
 今回は、「奥州藤原氏の居館を基調に平安時代を再現したテーマパーク」を紹介します。
 岩手県奥州市の歴史公園「えさし藤原の郷」は、奥州藤原氏の居館を、推定復元された平安時代の歴史テーマパークといえます。
 「えさし藤原の郷」は、もともとあった場所からは離れたこの地に、元江刺市長及川勉氏の尽力により、平成5年(1993年)、奥州藤原氏の興亡を題材にしたNHK大河ドラマ「炎立つ」の撮影を契機に作られました。
 約20ヘクタールという広大な敷地に、日本で唯一、平安貴族の住宅、寝殿造の建物を再現した「伽羅御所」をハイライトとしています。武家館を再現した「経清館」、「清衡館」、政治を司る「政庁」など、大小約120棟の建物が建てられています。
 

 

 

 

NHK大河ドラマの撮影場所

 

藤原経清の館

 

再現された城柵

 

さや堂を取り払った金色堂

 

 

 https://youtu.be/_-24YNwtMFc 23分
 

 

カシャリ! ひとり旅

 

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◆【経営コンサルタントの独り言】 「目的を見つけよ」 インド独立の父ガンディーの名言 924

2023-09-24 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントのひとり言09

【経営コンサルタントの独り言】 「目的を見つけよ」 インド独立の父ガンディーの名言 924

 

二兎を追うブログ 

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ 目的を見つけよ インド独立の父ガンディーの名言

 ガンディーの名言のひとつに、「目的を見つけよ。手段は後から着いてくる。」という言葉があります。

 めざすものが明確になりますと、その実現のために一所懸命に取り組みます。

 何を、どの様にやるかは、その過程で自ずとついてくると言うことでしょう。

 もし、手段を間違えているとしたら、「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり(吉田松陰)」ということではないでしょうか。

 

■ 電子マネーの基本的な使い方を知らぬ失敗談 924

 電子マネーといいましても、最新のことではなく、まだ、キャッシュが主流の時代のマイナーな存在の時代の話です。


 かつては、JR各社が別々のカードを出していたり、私鉄は私鉄でカード発行をしたりしていて、使いづらい面がありました。しかし、2012年からは、国内10社の鉄道会社間で相互利用が可能となりました。鉄道利用だけではなく、コンビニなど多くのお店で買い物もできるので小銭を持たなくても済むようになりました。以前は、地方に行くととたんに利用制限にぶつかり、お札で支払う結果小銭がドンドンと貯まってしまいましたが、最近は大変便利になりました。


 こんな失敗があります。

 顧問先のところに行くのに、所定の区間用に回数券を購入して、区間外をSuica(JR東日本のカード)を併用しようとして、回数券を投入してからSuicaをタッチしていました。「最近、どうもチャージされる回数が多いな」と思いながらも同じ方法で続けて使っていました。

 ところが、どうも変なのです。

 Suicaの利用明細をしげしげと見ると、なんと二重取りされていたのです。

 そこで、駅でこの仕組みはおかしいとねじ込んだとこり、次第に声が高くなったのか助役さんが飛んできました。事情を話しても、私が不正請求をしているとしか見てくれず、埒があきません。

 先方の助役さんも疲れたのか、「調べさせて下さい」と言ってきました。

 私は、相手の人がきちんと作業を続けくれそうもないと懸念し、「名刺を下さい」と言ったのですが、名刺を出さず、名札を示すだけです。名前を知っているだけでは、きちんと調べてくれないときに責任逃れをされることを懸念し、「それではお名前を録音させて下さい」と携帯電話の録音機能を使おうとしたら「その様なことをするのなら一切口を利きません」という返事。

 あきれてものが言えませんでした。

 でも、そもそも、私がルールをキチンと理解していなかったことが原因でしたね・・・

(ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

 

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◆【お節介焼き情報 カシャリ!一人旅】 日光山で見逃したくないのが大猷院そして・・・

2023-09-24 12:03:00 | 【話材】 お節介焼き情報 カシャリ!一人旅

◆【お節介焼き情報 カシャリ!一人旅】 日光山で見逃したくないのが大猷院そして・・・


カメラ


 ちょっとした情報が、私達の智慧となることは多々あります。


 その情報が知恵の源泉であることに気づかないで機会損失を起こしていることは、それ以上に多いのかもしれません。


 


 車


 日光と言いますと「東照宮」、東照宮と言いますと「眠り猫」というように相場が決まっているようです。


 日光山には、東照宮の他に、輪王寺や二荒山神社があり、この3つを総称して輪王寺というのだそうです。


 しかし、それ以外にも忘れてならないのが常行堂・法華堂や大猷院(たいゆういん)ではないでしょうか。


  常行堂は、平安時代嘉祥元年(848年)慈覚大師円仁によって創建され、比叡山延暦寺の「にない堂」に模して建立されました。


  現在の建物は、慶安2(1649)年に再建されたものです。純和様の宝形造りで、隣の法華堂が唐様式と対照的で、両建物は歩廊により接続されています。まさに延暦寺の西塔のにない堂と同じような作りとなっています。


 


大猷院霊廟

 国宝大猷院(たいゆういん)は、徳川三代将軍家光の霊廟で、本殿・相の間・拝殿は、承応2(1653)年に造営されました。

 江戸時代に修理がなされ、塗装仕上げに一部変更がありましたが、創建当時と他には形式などに変更はありません。大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿は、東照宮と同様に「権現造」様式ですので、拝殿と本殿の間を渡り廊下ではなく相の間でつないでいます。


 


 



 


詳しくは、サイトでどうぞ










 

 日光山寺社 常行堂・法華堂・大猷院





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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月23日 中学の英語の先生の想ひ出 923

2023-09-24 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月23日 中学の英語の先生の想ひ出 923

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 最低気温が下がってきましたので、早朝ウォーキングでの汗も少なくなってきました。

 

 今日は、ゆったりとした時間を持つことができました。

 かねてより江戸っ子から学ぶことの多さを実感していましたので、紐解いてみました。

 杉浦日向子女史の江戸塾は、江戸時代のエコ生活から飽食時代を迎えている我々に大きな示唆を与えてくれます。

 

■ 江戸っ子と伊達 28


 江戸では、マイナス要因だと思われることをカッコよく見せられる人が「一番粋」なのだそうです。

 例えば頭が禿げている人が、「あの人の禿はカッコいい」と言わせれば粋になるのです。マイナスをプラスにすれば良いわけで、おなじ禿げるのであれば、ユールブリンナーよろしく、つるつるの頭にしてしまうと「粋」になります。

 昨今では、背が高くてイケメンな男性が持てますが、江戸時代には、遠くから目立ってしまうので「粋」ではなく「野暮」なのです。

 「伊達男」という表現がありますが、服装が伊達であるということは、「バサラ」につながります。

 伊達になるには、手ほどき書、すなわちマニュアルがありました。それを学ぶことによって伊達になれるのですが、「粋」というわけではありません。

 やつれた感じが、逆に評価されるのが江戸の粋なのです。「滅びの美学」と言っても良いのでしょうか。

 「滅び」という観点から魚など食べ物は腐る寸前がおいしいというのです。



■ 「杉浦日向子の江戸塾」バックナンバー ←クリック

 

■【今日は何の日】

 当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

◆ 中学の英語の先生の想ひ出 923

  浸けペンというと、中学生の頃を思い出します。英語の時間にペン習字を学びました。先生の指示で全員がGペンを準備させられました。浸けペン方式のペンで、それを使って書くと紙に引っかかってしまってなかなかうまく書けません。

 幸い、小学生の頃からアルファベットの筆記体を練習させられていたので、ペンになれてくると文字に細い太いが表現できて結構うまく書けるようになりました。それを先生に誉められ、これが契機で英語が好きになったように記憶しています。

 私の小学校の同級生で成績のよかった人が、英語に対して変なアレルギーを持ってしまい、英語を苦手とした人がいます。わたしは運が良いと言えます。

 その時の英語の先生には、毎年年賀状をいまだに出しています。数年前に「高齢で年賀状を書けなくなりますので、来年から新年の挨拶を欠礼させていただきます」という年賀状が来るまでは毎年その先生からの版画の賀状を楽しみにしていました。

 

■【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業

 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまでお話】
 エピローグは、主人公である竹根好助(たけねよしすけ)の人柄を知る重要な部分でした。
 親によるある教えで、超一流ではないものの上場商社に入社した竹根の若かりし、1ドルが360円の時代でした。
 入社して、まだ1年半にも満たないときのことです。アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。社内では、誰が派遣されるのか話題沸騰です。若輩の竹根は推理小説でも読むような気持ちで、誰が選ばれるか、興味津々で推理を働かせました。
 一方、竹根の信条のひとつに「サラリーマンとしての心得のひとつとして上司からの命令には逆らうなというビジネス書の教えをかたくなに守ってい」という頑固というか、意志堅固なところがあります。
 人事というのは、競馬の予想のような下馬評が走り回るのがサラリーマン世界の常です。そのような中、トップ間での人選は進みます。角菊事業部長は、自分の推薦順位の高いものから三名のリストを福田社長に提出するのですが、福田の顔はさえません。角菊には、福田の腹の内を読めないでいます。
 
 
【バックナンバー】
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950

【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑
 

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

>> もっと見る

■バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 


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