経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

◆【経営コンサルタントの独り言】 ■ 音楽の癒し効果 904

2023-09-04 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントのひとり言09

【経営コンサルタントの独り言】 ■ 音楽の癒し効果 904

 

 

二兎を追うブログ 

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

 

■ 音楽の癒し効果 904

 

 クラシック音楽はどうも・・・ という方もいらっしゃいます。
 ある人は、クラシック音楽の能書きを垂れることで喜びを感じています。


 私は、クラシック音楽が大好きというほどではないですが、レコードもCDも結構持っています。
 チャイコフスキーの4番、ベートーベンの6番、シューベルトの未完成など定番ではありますが、音楽を聴きながら、次はどの様なメロディーに入るかが解るくらい何度も、繰り返し聞いてきています。

 音楽を聴きながらブランデーを傾けるという風景は、かっこいいですね。
 でも、私は下戸ですので、コーヒーを自分の好みのカップン・ソーサー(Cup and saucer)に、マイポットから注いで飲む、至極の時間が好きです。

 

 音楽を聴くと心が安まり、疲れも吹き飛びます。
 ところが、疲れが極度に達しているときには、必ずしもそうではありません。

 1970年代前半に5年間アメリカに赴任していました。
 連日、車でアメリカ東部を走り回っていましたが、週末近くになりますと疲労も溜まってきます。

 東京・大阪間くらいの距離を、午後3時頃ボストンを出た帰り道のことです。
 東部アメリカではあまりないのですが、峠越えをするところがあります。
 疲れを癒やそうとラジオをかけました。
 曲名は知りませんが、当時流行していた穏やかな曲調の失恋の歌でした。
 それが、癒やしてくれるどころか、雑音にしか聞こえなかったのです。

 

 アメリカにしては道幅の狭い二車線の峠のくだり道です。
 普段なら安全運転をする私ですが、スピードが出ていたのでしょう。
 気がつくとひやりとするような運転をしていました。

 くねくね道で、エンジンブレーキだけでは制御しきれませんでした。
 ブレーキを下手に踏めば尻を振ってスピンするくらいのスピードです。

 フットブレーキをだましだまし使いながら、制御し、次第に安定してきました。
 幸い対向車も少ない道でしたので助かりました。

 

 学生時代から、ドライブをしていましたので、逆にドライブ技術を過信しないように常に言いきかせています。
 疲労がこのような事態を引き起こしてしまうのですね。

 

(ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

 

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月5日 日光で輪王寺庭園を見ずして「結構という

2023-09-04 08:03:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月5日 日光で輪王寺庭園を見ずして「結構というなかれ」

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 岩手へ移動中に、ちょっと空き時間ができましたので、写真集を開いてみました。庭園めぐりの旅を始めてからはまだ日が浅いですが、それ以前に撮りためた名所旧跡・寺社仏閣の写真は、全国各地の漫遊結果です。

 

輪王寺は、天台宗の門跡寺院で、東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称されます。

 近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていましたが、現在は、「日光山」というのは輪王寺の山号となっています。

 「輪王寺」は、ひとつのお寺ではなく、日光山中にある寺院群の総称となりました。

 

輪王寺の池泉廻遊式庭園は、意外と知られていません。

日光で輪王寺庭園を見ずして「結構というなかれ」

 

  東照宮の一角にある有名な「鳴龍」は、なんと・・・

  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/tochigi/nikko2016-1.htm

 

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

■ 電気小売の自由化 905

 北京のスモッグは、かつての日本以上のすごさですね。

 石炭を減らせば、かなり改善されるという予測もあります。

 電気はクリーンエネルギーと言われますが、その大元は必ずしもクリーンとは言えません。


 2016年(平成28年)4月1日に、電気の小売業への参入が全面自由化されました。

 それまでは、家庭や商店向けの電気は、各地域の電力会社が独占販売していました。

 ところが、今や、電気の小売業への参入が全面自由化されましたので、全ての消費者が、電力会社や料金メニューを自由に選択できるようになったのです。

 使う電気にブランドマークがついているわけではないのですが、ライフスタイルや価値観に合わせて自由に選べます。

 多少高くても、原発を使わない発電をしている会社と契約しようとか、ガスや電話料金とセットにして、割安で購入しようとか、決められるのです。


 せっかく、太陽光パネルを取り付けても、売電価格が下がっては、ある意味では、投資した人への裏切りと言えますね。

 

■【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業

 「【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記」から独立して、最初から発信していたします。
 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまでお話】
 エピローグは、主人公である竹根好助(たけねよしすけ)の人柄を知る重要な部分でした。
 親によるある教えで、超一流ではないものの上場商社に入社した竹根の若かりし、1ドルが360円の時代でした。
 入社して、まだ1年半にも満たないときのことです。アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。社内では、誰が派遣されるのか話題沸騰です。若輩の竹根は推理小説でも読むような気持ちで、誰が選ばれるか、興味津々で推理を働かせました。
 一方、竹根の信条のひとつに「サラリーマンとしての心得のひとつとして上司からの命令には逆らうなというビジネス書の教えをかたくなに守ってい」という頑固というか、意志堅固なところがあります。
 初めてのアメリカ人事に、まさか竹根に白羽の矢が立つことはないだろう・・・

 次回をお楽しみに!
 
【バックナンバー】
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950

 【過去のタイトル】「1 人選(1ドル360円時代 鶏口牛後)」

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

>> もっと見る

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■【きょうの人】 0904 ■ 藤子・F・不二雄 ドラえもんの生みの親 ■ 二宮 尊徳 経世家、農政家、思想家 ■ 田中 正造 日本最初の郊外に立ち向かった男

2023-09-04 06:33:00 | 【話材】 きょうの人09月

■【きょうの人】 0904 ■ 藤子・F・不二雄 ドラえもんの生みの親 ■ 二宮 尊徳 経世家、農政家、思想家  田中 正造 日本最初の郊外に立ち向かった男

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 田中 正造 日本最初の郊外に立ち向かった男

 

 たなか しょうぞう
 天保12年11月3日(1841年12月15日)- 1913年(大正2年)9月4日)

 幼名、兼三郎、下野国安蘇郡小中村(現・栃木県佐野市小中町)の出身です。

 日本の政治家で、日本初の公害事件と言われる足尾鉱毒事件を明治天皇に直訴した政治家として知られています。衆議院議員選挙に当選6回。

 足尾鉱毒事件は、19世紀後半の明治時代初期から栃木県と群馬県の渡良瀬川周辺で起きた、日本で初めてとなる公害事件です。

 銅山の開発により排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が周辺環境に著しい影響をもたらし、1890年代より栃木の政治家であった田中正造が中心となり国に問題提起しましたが、加害者決定はされませんでした。

 足尾の精錬所は1980年代まで稼働し続け、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されるなど、21世紀となった現在でも影響が残っています。

 学生時代に、鉱山跡に行ったことがありますが、周囲の木々は立ち枯れたまま残っていました。その不気味さは、人気もないことから今でも覚えています。

 

■ 藤子・F・不二雄 ドラえもんの生みの親

 

 ふじこ・エフ・ふじお
 1933年〈昭和8年〉12月1日 - 1996年〈平成8年〉9月23日

 ドラえもんで知られる漫画家であり、脚本家です。本名は、藤本 弘(ふじもと ひろし)、「F」とは「藤本(フジモト)」の頭文字を意味し、藤子・A・不二雄と区別していることはよく知られています。

 富山県高岡市定塚町出身で、富山県立高岡工芸高等学校電気科を卒業しています。

 隣接の氷見市出身の安孫子素雄(藤子不二雄?)と共に“藤子不二雄”としてコンビを組み、数多くの作品を発表してきました。

 児童漫画の新時代を築き、第一人者となり、代表作は『ドラえもん』の他に『パーマン』『キテレツ大百科』『エスパー魔美』『21エモン』などがあります。

 作品の著作権管理は、生前に活動拠点としていた藤子・F・不二雄プロが担当しています。

 愛用していた鉛筆は三菱ユニのB、ペン先はゼブラのかぶらペンとこだわりがあり、整理された画面構成を好み、不必要な線が入りすぎることを極端に嫌いました。


  ちなみに、藤子・不二雄?のプロフィールを以下に挿入しておきます。

 ふじこ・ふじお・エー
 1934年3月10日 -

 日本の漫画家で、本名は、安孫子 素雄(あびこ もとお)です。大垣女子短期大学客員教授をしています(2020年5月22日現在)。

 座右の銘は「明日にのばせることを今日するな」で、血液型はA型です。

 藤本弘(藤子・F・不二雄)とともに、藤子不二雄としてコンビを組み、作品を発表してきたことはよく知られています。コンビ解消後は、本名で紹介されることも多いようで、筆名の「?」は「安孫子」の頭文字であることは、想像がつきます。

 曹洞宗49代目住職の息子として、富山県氷見郡氷見町(現:氷見市)の光禅寺という古刹に生まれました。

 大人になってもベジタリアン(卵と乳製品は食べる卵乳菜食)ですが、思想上の理由ではなく、子供の頃に精進料理ばかり食べていたため、習慣上の問題として肉や魚を体が受け付けなくなっていることが原因だといいます。

 1944年に父を亡くして高岡市に転居し、転入先の高岡市立定塚国民学校(現・高岡市立定塚小学校)で藤本弘と知り合いました。

 小学校時代から漫画家を志し、高校在学中に毎日小学生新聞でデビューしました。

『オバケのQ太郎』、『忍者ハットリくん』、『魔太郎がくる!!』などのヒット作にめぐまれています。

 2人の合作によるヒット作は『オバケのQ太郎』が最後であり、これ以降は藤子不二雄名ではあっても、そのほとんどはどちらかの単独作品です。

 


■ 二宮 尊徳 経世家、農政家、思想家

 

 にのみや たかのり
 天明7年7月23日(1787年9月4日)-安政3年10月20日(1856年11月17日)

 江戸時代後期の経世家、農政家、思想家です。自筆文書では、金治郎(きんじろう)と署名している例が多いのですが、一般には「金次郎」と表記されることが多いです。

 諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と読みますが、「そんとく」という読みで定着しています。

 経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導しました。

  四字熟語 経世済民
  http://www.glomaconj.com/joho/keieijoho.htm#17

相模国足柄上郡栢山村(現在の小田原市)に、百姓二宮利右衛門の長男として生まれました。

 尊徳は、まず生まれた堀之内村の中島弥三右衛門の娘・きの(キノ)を妻としますが、離縁、20歳も若い、貞淑温良ななみ(波子)と結婚しました。

 文化5年(1808年)、母の実家川久保家が貧窮するとこれを資金援助し、翌年には二宮総本家伊右衛門跡の再興を宣言し、基金を立ち上げるなど、成果を出しています。

 小田原藩で1,200石取の家老をしている服部十郎兵衛が、金治郎に服部家の家政の建て直しを依頼し、千両もの負債を償却し、頭角を現しました。

 文政4年(1821年)には、小田原藩主大久保家の分家であります宇津家の旗本知行所が荒廃していて、再興救済を藩主より命じられました。農民の抵抗で苦労しましたが、再建しました。

 晩年近く、天保4年(1833年)には、天保の大飢饉が関東を襲いましたが、金次郎の力を充分に発揮しました。


 二宮金次郎といえば、戦前には、どの学校にも銅像が建っていると言えるほど、一般的でした。背中に芝を背負い、本を読む姿は、子供達へのお手本でした。今日では、歩きスマホが非難を浴びていますが、当時は、むしろ誉められる行為だったのですね。
 

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。

 


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