【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月17日 江戸っ子の上方コンプレックス 29
平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。
この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。
日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。
紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。
【 注 】
日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。
■【小説風 傘寿の日記】
私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。
当ブログで、今年は蚊が少ないと記述しました。
今朝は、例年ほどではありませんが、10匹ほどの蚊軍団の襲撃を受けました。
二本の脚に4匹が止まり、両手で脚をパチリ
一発で3匹を仕留めましたが、一匹に逃げられました。
殺生に、南無阿弥陀仏
アッ、私は浄土宗ではありませんでした。
今日は、ゆったりとした時間を持つことができました。
かねてより江戸っ子から学ぶことの多さを実感していましたので、紐解いてみました。
杉浦日向子女史の江戸塾は、江戸時代のエコ生活から飽食時代を迎えている我々に大きな示唆を与えてくれます。
■ 江戸っ子の上方コンプレックス 29
江戸の人たちには、上方コンプレックスがあったようです。
例えば、京都の人は、昔から「都」であったことに誇りを持ち、プラス思考を強く持っていました。
ほこりの裏返しがコンプレツクスで、江戸っ子は、否定的要因を肯定し、開き直おるのです。
例えば、江戸の住宅事情は、上方に比べてよくありませんでした。
それを、狭くて何も持たず、こざっぱりしているのが粋というのです。
その代表的な存在が、「薄着」です。江戸っ子は、冬でも木綿の布子一枚でいました。しかも尻からげで裸足という出で立ちで走り廻っていたのです。家に閉じこもって火鉢を抱え込むような行為は「恥」なのです。
寒いのが粋というのはおかしな話ですが、江戸にもそのようなことをする人を「やせ我慢」といって、笑う人もいました。
要は、「滅びの美学」といいますか、「Simple is beautiful」なのです。それは上方コンプレックスに繋がっていることを、わかっている江戸っ子も多かったといえます。
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■【今日は何の日】
当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。
この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。
■【経営コンサルタントの独り言】
その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。
◆モノレールなのに一本ではない?? 917
日本最初のモノレールは、上野公園(動物園)に、1957年に建造された「上野懸垂線」と呼ばれるモノレールです。
しかし、わずか300mと短いのですが、動物園を訪れた子供にせがまれて乗るお客様が多いのですが、2020年現在は休止中です。
モノレール(monorail)の「モノ」とは「ひとつの」という意味です。
すなわち、一本のレールというのがもともとの意味で、一般の鉄道のように二本のレールなどと区別するために、このように呼ばれるようになりました。
しかしモノレールにも懸垂式と跨座式をはじめ多数の方式があり、最近ではレールではなくタイヤを使った方式など、都市モノレールと呼ばれる交通手段をモノレールと広義に呼ぶこともあるようです。
「路面電車の高架化」という考えで区分しているようです。
因みに狭義のモノレールとしての営業路線は、2020年1月現在14路線が営業中です。
■【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業
私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまでお話】
エピローグは、主人公である竹根好助(たけねよしすけ)の人柄を知る重要な部分でした。
親によるある教えで、超一流ではないものの上場商社に入社した竹根の若かりし、1ドルが360円の時代でした。
入社して、まだ1年半にも満たないときのことです。アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。社内では、誰が派遣されるのか話題沸騰です。若輩の竹根は推理小説でも読むような気持ちで、誰が選ばれるか、興味津々で推理を働かせました。
一方、竹根の信条のひとつに「サラリーマンとしての心得のひとつとして上司からの命令には逆らうなというビジネス書の教えをかたくなに守ってい」という頑固というか、意志堅固なところがあります。
人事というのは、競馬の予想のような下馬評が走り回るのがサラリーマン世界の常です。そのような中、トップ間での人選は進みます。角菊事業部長は、自分の推薦順位の高いものから三名のリストを福田社長に提出するのですが、福田の顔はさえません。
<続く>
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ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。
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