経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

◆【経営コンサルタントの独り言】 自動運転が現実のものに近づいていますね 927

2023-09-27 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントのひとり言09

 

  【経営コンサルタントの独り言】 自動運転が現実のものに近づいていますね 927

 

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ 自動運転が現実のものに 927

 

「自動運転」が、現実のものになってきました。

 人間が運転操作を行わなくとも、自動で走行でき、目的地まで連れて行ってくれるのです。

 カーナビだけでもありがたいと思っているうちに、技術革新のスピードが上がっているのでしょうか。

 1970年代、アメリカに住んでいた頃、地方に行きますとレンタカーをしました。

 レンタルした車が、「オートドライブ機能つき」、今日の自動運転とは大違い。

 アクセルを踏まなくても、所定の速度で走行してくれる機能です。

 日本ではあまり必要性はないかもしれませんが、地平線の彼方までまっすぐ続く高速道路では、非常にありがたい思いをしました。

 ところが、人間というのは、微妙にアクセルをコントロールしているのですね。

 例えば、下り坂やカーブに入る前に、意識はしていませんがアクセルを緩めてスピードを落としているのですね。

 ところが、この機能が付いていると一定のスピードですので、坂やカーブではスピードが上がってしまう感覚を持ちます。

「自動運転車」は、その様なことはないと思いますが、始めはそのような違和感を持つこともあるかもしれませんね。

 因みに、自動運転車は、英語では下記のように言うそうです。(【Wikipedia】)

  autonomous car   Robot car   UGY (unmanned ground vehicle)」   driverless car   self-driving car

 まだ、ディファクトスタンダードになっていないのですね。

ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月26日 カシャリひとり旅 日光山大猷院

2023-09-27 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 



 【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月26日 カシャリひとり旅 日光山常行堂・大猷院 三代家光の墓所を見逃していませんか?


 


 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。


 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。


 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。



 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。


【 注 】


 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。


■【小説風 傘寿の日記】


  私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。


 


 岩手出張の際に寄った、奥州藤原氏の居館を基調に平安時代を再現したテーマパークである、岩手県奥州市の歴史公園「えさし藤原の郷」の写真の整理がようやくはかどり、映像化もようやくできました。23分にもおよび大作は久しぶりです。


 ここは、奥州藤原氏の居館を、推定復元したもので、いくつかのテーマがあるために、私としては長編になりました。


     https://youtu.be/_-24YNwtMFc
 


 一日中、特別なスケジュールもなく、ゆったりとした時間を持てましたので、以前に撮りためた名所旧跡・寺社仏閣の写真を見る時間も取れました。


 


 日光山常行堂・大猷院


 


 日光と言いますと「東照宮」、東照宮と言いますと「眠り猫」というように相場が決まっているようです。


 日光山には、東照宮の他に、輪王寺や二荒山神社があり、この3つを総称して輪王寺というのだそうです。


 しかし、それ以外にも忘れてならないのが常行堂・法華堂や大猷院(たいゆういん)ではないでしょうか。


  常行堂は、平安時代嘉祥元年(848年)慈覚大師円仁によって創建され、比叡山延暦寺の「にない堂」に模して建立されました。


  現在の建物は、慶安2(1649)年に再建されたものです。純和様の宝形造りで、隣の法華堂が唐様式と対照的で、両建物は歩廊により接続されています。まさに延暦寺の西塔のにない堂と同じような作りとなっています。


 


大猷院霊廟

 国宝大猷院(たいゆういん)は、徳川三代将軍家光の霊廟で、本殿・相の間・拝殿は、承応2(1653)年に造営されました。

 江戸時代に修理がなされ、塗装仕上げに一部変更がありましたが、創建当時と他には形式などに変更はありません。大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿は、東照宮と同様に「権現造」様式ですので、拝殿と本殿の間を渡り廊下ではなく相の間でつないでいます。


 


 



 


 


詳しくは、サイトでどうぞ


日光山常行堂・法華堂・大猷院 


 



 


 


■【今日は何の日】


 当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。


 この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。





 



■【経営コンサルタントの独り言】



 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。



 



■ 発展し続ける企業が辿る“秘密” の道 926

「経営に王道はない」

 経営コンサルタントの私がこのようなことを申し上げますと「それでは経営コンサルタントなど要らないのではないですか」と言われ続けてきました。
「経営者は、あたり前のことがあたり前にできるようにすることが大切です」
「それでは、ますます経営コンサルタントなど不要ではないですか」とも言われて来ました。
 その上に、さらに「経営コンサルタントが要らない企業作りをします」と言いましたら、「経営コンサルタントの仕事がなくなってしまうではないですか」と反論されます。

 でも、これが、私の、経営コンサルタントとしての信条です。
 それをもとに、40年もの長きにわたって経営コンサルティング業に携わってこられました。
「経営コンサルタント不要の企業作り」をしても、クライアントはなくならないどころか、まだ、次々と顧問契約を希望して下さる企業はあるのです。

 昨今の世の中は、独りではやって行けない時代になってきています。
 経営コンサルタントも独りではやって行けない時代なのです。
 経営者も、「社長は孤独である」などとかっこ付けていてはダメです。
 外部ブレインを使っても、なかなか成長は難しい時代です。
 かといって、社長が孤独に、一人で経営をやっていては、石ころばかりの悪路に、さすがのベンツもくたびれてエンストを起こしてしまいます。
 ベンツから降りて、外部ブレインと二人三脚に切り替えてみてはどうでしょうか。
 その、泥臭いやり方に、はじめはベンツの乗り心地良さが懐かしく思えるかもしれません。
 でも、そのうちに、社員が加わってくれるようになり、次第に企業の前に平らな道が拓けてゆけます。

 ブログ「顧問契約で企業体力アップ」を読まれて、早速数人の社長さんから相談を受けました。
 わずか数行のブログでしたが、解って下さる方には、解って下さるのだと、改めて感謝をしています。
  http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a82a902a5c6e94358683189112cddc28



 





 



■【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業



 「【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記」から独立して、最初から発信していたします。


 


 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。


 


【これまでお話】


 エピローグは、主人公である竹根好助(たけねよしすけ)の人柄を知る重要な部分でした。
 親によるある教えで、超一流ではないものの上場商社に入社した竹根の若かりし、1ドルが360円の時代でした。
 入社して、まだ1年半にも満たないときのことです。アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。社内では、誰が派遣されるのか話題沸騰です。若輩の竹根は推理小説でも読むような気持ちで、誰が選ばれるか、興味津々で推理を働かせました。
 一方、竹根の信条のひとつに「サラリーマンとしての心得のひとつとして上司からの命令には逆らうなというビジネス書の教えをかたくなに守ってい」という頑固というか、意志堅固なところがあります。
 人事というのは、競馬の予想のような下馬評が走り回るのがサラリーマン世界の常です。そのような中、トップ間での人選は進みます。角菊事業部長は、自分の推薦順位の高いものから三名のリストを福田社長に提出するのですが、福田の顔はさえません。角菊には、福田の腹の内を読めないでいます。
 角菊事業部長は、次回の福田社長との人事ミーティングで、自分の考えをキチンと伝え、自分の提案が通るように、じっくりと考えた上で資料作成をしました。

    最新号
    https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/81fe333822b22a5c6af6e7ef64eb4a63

 次回をお楽しみに!


 


【バックナンバー】


  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950

【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑



■【老いぼれコンサルタントのブログ】



 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。





>> もっと見る



 



■バックナンバー
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■【きょうの人】 0927 ■ 了誉上人 伝通院開山 於大の方・千姫の墓 ■ 李 鴻章 清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力

2023-09-27 06:33:00 | 【話材】 きょうの人09月

 

  【きょうの人】 0927 ■ 高杉晋作 久坂玄瑞等とともに尊皇攘夷運動をした長州藩士 ■ 了誉上人 伝通院開山 於大の方・千姫の墓 ■ 李 鴻章 清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 高杉晋作 久坂玄瑞等とともに尊皇攘夷運動をした長州藩士

 たかすぎ しんさく
 天保10年8月20日〈1839年9月27日〉- 慶應3年4月14日〈1867年5月17日〉

 幕末長州藩の尊王攘夷志士として久坂玄瑞等とともに活躍した武士です。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を討幕運動に方向付けしました。

 文久元年(1861年)には、海軍修練のため、藩の所蔵する軍艦「丙辰丸」に乗船し、江戸に渡りました。神道無念流練兵館道場で剣術の稽古をしました。その年に、東北遊学を行い、加藤桜老や佐久間象山、横井小楠とも交友しています。

 文久2年(1862年)に、藩命で、五代友厚らとともに、幕府使節随行員として長崎から中国の上海へ渡航、清が欧米の植民地となりつつある実情などを見聞して7月に帰国しました。

 尊王攘夷(尊攘)派が台頭しますと、晋作も桂小五郎(木戸孝允)や久坂義助(久坂玄瑞)らとともに尊攘運動に加わり、江戸・京都において勤皇・破約攘夷の宣伝活動を展開し、各藩の志士たちと交流しました。

 文久2年12月12日には、幕府の違勅に抗議するため、同志とともに品川御殿山に建設中の英国公使館焼き討ちを行いました。

 文久3年(1863年)、幕府が朝廷から要請されて制定した攘夷期限が過ぎますと、長州藩は関門海峡における下関戦争で外国船砲撃を行い、惨敗します。晋作は下関の防衛を任せられ、身分に因らない志願兵による奇兵隊を結成します。

 文久4年(1864年)、長州藩は禁門の変で敗北して朝敵となり、久坂玄瑞は自害しました。英仏米蘭4か国連合艦隊が下関砲台を占拠、晋作は和議交渉を任され、ギリギリの線で交渉を成立させました。

 幕府の権威が失墜し、慶応3年(1867年)に大政奉還、高杉晋作は、下関市桜山で肺結核の療養中、慶応3年4月13日(1867年5月16日)深夜に享年29(満27歳8ヶ月)で死去しました。
 

 

 了誉上人 伝通院開山 於大の方・千姫の墓


 了誉(1341~1420)は、現在の茨城県那珂郡に、城主白石志摩守宗義の子として誕生しました。

 著作は百巻を越え、特に「選択伝弘決疑鈔直牒」十巻は、佐竹氏の乱を避け阿弥陀山の洞穴に身を隠し撰述されたものです。

 浄土宗は、独立した宗派として認められてはいませんでしたが、現在の浄土宗の基礎を築くことに貢献しました。

 東京文京区にある伝通院の開祖でもあります。


 伝通院(傳通院、でんづういん)は、東京都文京区の高台にある仏教浄土宗のお寺さんです。正式名称は、「無量山傳通院寿経寺(むりょうざん・でんづういん・じゅきょうじ)です。

 徳川将軍家の菩提寺で、家康の生母「於大の方」や二代将軍秀忠の娘「千姫」の販売管理システムがあることでも知られています。

 応永22(1415)年に、、無量山寿経寺という名で。浄土宗了誉が開山しました。

 慶長18(1613)年に増上寺の学問僧300人を傳通院に移して、関東の十八檀林(僧の学問修行所)の上席としました。

 その流れとして、明治24(1891)年には、浄土宗学本校(現大正大学の前身)をこの地に移転したり、境内に淑徳女学校を設立したりと檀信徒のみならず、地元住民参加の布教伝道方式をとるなどの貢献をしています。

 第二次世界大戦では建造物すべて灰燼と帰し、昭和24年に本堂の再建が始まり、今日に至っています。

 鐘楼や山門は大変立派なものです。

 

■ 李 鴻章 清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力

 

 り こうしょう
 1823年2月15日(道光3年1月5日)-- 1901年11月7日(光緒27年9月27日)

 

 中国清代の政治家で、字は少荃(しょうせん)。洋務運動を推進し清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力しました。

 日清戦争の講和条約である下関条約で、清側の欽差大臣(全権大使)となり、調印を行ったことで知られています。

清朝末期に起こった反乱・太平天国の欄で、政府軍に降伏した敵軍を吸収しながら、西洋式軍事訓練も施して、自軍強化に努め、蘇州・常州を奪回するなど、活躍しました。

 李鴻章は、その手腕を買われ、清朝の重臣筆頭となり、さらに同治帝の母・西太后の厚い信任を得ました。

 日本の朝鮮出兵などの動きに驚異を感じ、日本との関係を模索しました。同治9年9月、清を訪れた柳原前光ら日本使節団と天津で会談、日本との提携を記した草案の作成を担当し、伊達宗城・柳原前光ら使節団と日清修好条規を結びました。

 大久保利通他とも交流を持ち、西欧やロシアの圧力に対抗を試みるなど政治的手腕を発揮しました。しかし、日本は、日清戦争に走ります。日本側は列国の干渉をおそれ、休戦条約を調印し、日清講和条約(下関条約)の調印を行います。

 この条約で朝鮮・台湾・遼東半島などの喪失と賠償金支払いなどで、清の威信は大きく低下し、李鴻章は失脚します。しかし、西太后の意もあり、復権します。

 波乱の人生でしたが、李鴻章の意志は、袁世凱に引き継がれます。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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