本日より、無所属・自由人・暇人。
(かすかに6時間の講師があるけど。)
何とも所在ないお目覚め。
「所在なし。」というのは
このことかと思ったりしまして。
あの人は、この人は
本日の転勤先で辞令をもらって、
どうしてるやろう?
と、何故か人のことが気になります。
まだまだ現世離脱の境地は
難しいということでしょうか。
それに加えて、
職場を片付けたのは良いものの、
自宅は置き場のない荷物の山。
かなり捨てたとはいえ、
やっぱり捨てきれなかった
物の持ち帰りです。
(ちょっとうんざりですが。)
とまあ、あれこれと ぐだぐだしながら、起きあがり、
それこそ所在ないままのお散歩。
もうお昼前、
春うららのお天気です。
近所の家の桜が咲いています。 ↓
こちらは、公園の桜。 ↓
まあ、そのうち、
この生活リズムにも
慣れることでしょうか。
(自宅へ戻って
少しお荷物を片付けだしたら、
ゴミのような荷物が一面に広がり
収拾つかなくなりました。あらら。)
東北の大震災の時に、何をのんきなと、叱られそうですが、7日間ローマ、1日ナポリ、1日エルコラーノ、1日ポンペイを歩いてきました。
同じ地震国ながら普通のイタリア人は日本のことは他人事のようです(政治家達は原発復活を目論んでいたので必死のようですが)。
何かが起こるまで、人は日常をさほど変えたくないのでしょう。2000年以上地震や火山と共生してきた人々は、ベスビオの大噴火が何度あろうと、起こった時はその時で、生き残った人々が再びその地を耕し、家を建て、再生してきたようです。
人々は火山灰や溶岩が埋め尽くしたナポリの、エルコラーノの、ポンペイの町の上に、再び家を建て、街を造り直して生きてきた姿を目の当たりにすることができました。天災は防ぐことができなかったのです。
だからなのでしょうか、人々は天災を受け入れ、陽気に日常を生活しているように見えました。
もちろん東北の人々がまだそんな気持ちになるはずもないのですが。地震と津波の自然災害を受け入れることはいつかできるのだと思います。
ても、人々は、原発という嘘で塗り固められてきた人災とどのように向き合うことになるのでしょうか。いろいろな言い訳がこれから次々と出てくるのでしょうが・・・・。
もっとも日本の日常生活は原子力発電により30パーセントが賄われており、原発を持たないイタリアでも2パーセントの電力は原発で作られたフランスから買っているとか。
原発を否定する以上、そろそろこんな夜中に電気をつけて、パソコンを打つ日常から離れなければいけませんね。暗くなったら寝、明るくなったら晴耕雨読。
北海道埋文で発掘三昧の生活だった西田が、定年退職して、故郷九州でそんな生活に戻るという宣言文が帰国した机に置いてありました。
あくせく「働く」からエネルギーがいるのですものね。もう一度鎖国をして、身に合った生活をすべきなのかもしれませんね。
3.11から3週間もたつと色々見えなかったことも見えだしてきたり、議論も騒々しくなったり、足の引っ張り合戦も起こったりしてきます。復興議論の中で連立の話があって、森、麻生、古賀、安倍などの色めき立った怪しげな動きが出てくるとおぞましい気がしてきますね。そう思えば、だらしない今の政府だって、彼らよりはましだという気がしてきます。
3万には達するだろう死者。(それ以上になるかもしれません。)生き残った人たちの映像からその悲しみのほんの一部が伝えられてきます。生き残った人たちが亡くなった人たちのことを悲しみつつ、記憶している限り、死者もまた生きているのだと思うほかありません。慰めにもなりませんが。