ごっとさんのブログ

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明日元ギター部の仲間の忘年会

2014-12-13 11:53:51 | 音楽
明日元ギター部の忘年会があるのですが、皆の都合を合わせたところ、東京駅近くでの昼食会になりました。仲間の一人がやや遠くに行ってしまったのですが、8人集まりそうです。
私の音楽の原点はこのギター部にあるのですが、別の仲間ともいろいろやっていました。発端は大学に入ったころですので、もう半世紀も前の話です。

私の高校時代の仲間は、ほとんどが現役で大学に入ったのですが、一人浪人したのがいました。家で勉強しているというので、仲間で陣中見舞いと称して様子を見に行きました。この家はY医院という開業医で、お父さんのY先生は若い人が好きで大変歓迎してくれました。行くのは休診日ですので、Yさんを入れて麻雀をやったり、学生になったからと言って酒を飲んだりして遊んでくるのが普通になりました。これが私の仲間に広がり、6,7人の友人のたまり場になってしまいました。ですからY先生のうちに遊びに行くのであって、勉強しているはずの友人Yには会わずに帰ってくることも多かったようです。

次の年友人Yは無事地方の大学に入学し、引っ越してしまいましたが、私たちは関係なくY医院に行って遊んでいました。ここで音楽を聴いたりすることも多かったのですが、Y先生が皆で音楽をやったらという話になりました。このころ私はギター以外にクラリネットをやっていたのですが、皆でやるのであればとアルトサックスにしました。たぶんY先生が援助もしてくれたのだと思いますが、練習場は農家の友人の家に広い納屋があり、そこなら少々音を出してもよさそうとそこに決まりました。

結局メンバーは、私がアルトサックスで、農家の友人はウッドベース、ドラムス、ギター2人、パーカッションというメンバーになりました。本当はキーボードを入れたかったのですが、誰もやったことがなくあきらめました。しかしこのメンバーはほぼ素人の集まりです。たぶん毎週、集まれる人間だけでやるという感じで練習しましたが、音楽らしくなるのにずいぶんかかったような気がします。

こういうバンドは始めるまでに、楽器やアンプ・スピーカーとかなり金がかかりますが、かなりY先生の助けを借りたような気がします。実際に始めてからもいろいろ出費が多く、いつまでもY先生に頼るわけにはいかないと、ダンスパーティーなど企画するという、今から考えるとかなりズーズーしいことをやったりしました。

お世話になったY先生も奥さんも亡くなり、友人Yは帰ってきて飲み仲間になっています。
このバンドは、就職してからも何年かは続きましたが、自然消滅しました。今でもこのときの仲間とは会っていますが、よい青春の思い出でです。