ごっとさんのブログ

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年賀状 雑感

2014-12-23 12:26:39 | 日記
毎年年賀状の準備を早くしようと思っているのですが、今年も今やっています。これまでに何通かの喪中欠礼ハガキが来ました。ほとんどが知人の親が亡くなったというもので、80代後半から90歳以上と大往生です。しかし今年は、従兄弟が二人亡くなりました。少し上の70代前半と私と同い年でした。従兄弟は葬式にもいきましたので、それなりのお別れができました。残念だったのは、大学時代の同級生がなくなったことです。もう10年以上もあったことがなかったのですが、医者の不養生だったのかもしれません。

私の同年代の知人の親は、さすがにほとんど亡くなってしまいましたが、一人103歳のお母さんがいます。この世代は大体が長生きだったようで、私の母も89歳まで生きました。
この親の世代は、戦争前後を生き、栄養が不十分な時代を経ていますし、我々団塊の世代も子供のころ戦後の食糧難の時代に生きてきました。このようにある時期に、飢餓とまでいかなくても不足の状態を過ごすことが、健康で長生きできる要素のような気がします。

私の持論は、「人間は健康な状態を保つようにできている」ですが、これはいつ来るかわからない飢餓状態に備えて、必要なものを備蓄するシステムが基本です。ですからどこかの時期で実際に不足する状態があってこそ、このシステムがしっかり構築され、その後健康な状態が保たれるのだと思います。私より20歳ぐらい下から、私の子供たちの世代は、いわゆる飽食の時代に育っており、このような経験は全くないはずです。ある意味、健康な状態に保つシステムができる機会がないわけです。

私の親の世代の戦争の犠牲にならなかった人たちが、平均寿命を延ばすことに貢献してきました。それも我々の世代までのような気がします。つまりあと20年ぐらいは、平均寿命は延びていくかもしれませんが、そのあたりで止まるような気がします。これからは、医療・延命の進歩と、健康な状態を保つシステムが不完全な人たちのどちらが強いかになってきそうです。なんとなく高齢化問題は、自然に解決しそうな気もします。

以上のことは単なる私の妄想ですし、他の要素が非常に多いため予想できないと思います。
書いているうちに、内容が違ってきてタイトルの意味がなくなりました。今日はこれから年賀状を仕上げようと思っています。