「八重の桜」の項で書きました、会津藩の家老について、貴重な御意見をいただきました。
コメントの項でご紹介させていただこうかと思いましたが、御署名がありましたの、そのままでは御迷惑になってはいけないと思い、御名前を伏せてここで御紹介させていただきます。
以下、御指摘いただきました内容です。
会津藩の主席家老は家老になった順序で決まるという研究があり、謹慎を何回もした西郷頼母は城を出るまでの三日間になる。
幕末の主席家老は田中土佐、次席家老は神保内蔵助になるのでしょう。萱野権兵衛は三番目でした。戦争の指揮を執った梶原兵馬は主席家老ではないという研究もあります。
貴重な御意見ありがとうございます
数年前必要があり、幕末・戊辰戦争について調べたのですが、その時に、筆頭家老は継承制で代々、西郷家(当時は頼母)、首席家老は、幕末の動乱期とあり、他藩との折衝などで対外外交が必要とされる為に、京都守護職時に若さを買われ、梶原平馬が任命されたといった資料を読みそう認識しておりました。
こちらの認識不足だった部分も含め、更に調べていきたいと存じます。
コメントの項でご紹介させていただこうかと思いましたが、御署名がありましたの、そのままでは御迷惑になってはいけないと思い、御名前を伏せてここで御紹介させていただきます。
以下、御指摘いただきました内容です。
会津藩の主席家老は家老になった順序で決まるという研究があり、謹慎を何回もした西郷頼母は城を出るまでの三日間になる。
幕末の主席家老は田中土佐、次席家老は神保内蔵助になるのでしょう。萱野権兵衛は三番目でした。戦争の指揮を執った梶原兵馬は主席家老ではないという研究もあります。
貴重な御意見ありがとうございます
数年前必要があり、幕末・戊辰戦争について調べたのですが、その時に、筆頭家老は継承制で代々、西郷家(当時は頼母)、首席家老は、幕末の動乱期とあり、他藩との折衝などで対外外交が必要とされる為に、京都守護職時に若さを買われ、梶原平馬が任命されたといった資料を読みそう認識しておりました。
こちらの認識不足だった部分も含め、更に調べていきたいと存じます。
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