内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

哲学事始め、初心に帰る

2018-01-04 23:59:59 | 哲学

 元実家に残したままになっている私に関連する雑纂を整理していて、二十一年前に書いた博士論文資格審査論文の草稿が出てきました。当時、フランスの大学では、博士課程の第一学年はDEA(Diplôme d’Etudes Approfondies)と呼ばれ、その一年間に博士論文課程に進むために資格審査論文を書かなければなりませんでした。そのときの草稿類です。
 留学してまだ三ヶ月ほどたったばかりのころ、指導教授であるジャン=リュック・ナンシー先生に研究計画書を提出したところ、すぐに呼び出されて、「これじゃ、話にならない。もう一回基礎からやり直しなさい。まずはテキスト注釈から始めなさい。今後、三週間に一度、できたところまででいいから、草稿をもってきなさい」と一喝されてしまいました。
 そのころの私の情けないフランス語能力からすればまったく当然の結果でした。ですから、もちろんショックは受けましたが、むしろそれでようやく目が覚めたと言ったほうがいいでしょう。
 そこで、これからは先生に言われた草稿提出だけは何があっても実行しようと決意し、数カ月に渡って、三週間に一度、先生に数頁の草稿を提出し続けました。
 驚いたのは、当時ナンシー先生は学部長という激職にあり、しかも高名な哲学者でしたから、ものすごく忙しくされていたのですが、提出数日後にはコメントを書き込んだ拙稿を郵送してくださったことです。あるいは、電話がかかってきて、自宅まで取りに来るようにと言われたこともありました。
 合計九回草稿を提出しました。最初のうちは、もうほんとうにボロボロでした。私の書いた文章の脇に「意味不明」「こんな言葉を不用意に使ってはいけない」「書き直し」「稚拙」など毎頁に何箇所も記入されてあり、最後の頁には全体についての厳しいコメントが記されていました。その度に、それらの箇所を書き直し、さらに書き足した部分を加えて、提出しました。すると、徐々にですが、「ここはよく書けている」「そうだ!」「ここをもっと展開せよ」等、肯定的なコメントが記入されるようになり、総評でも「進歩している。この調子で前進しなさい」と激励されるようになりました。
 論文提出後の口頭試問のときは、残念ながらナンシー先生はご病気で欠席され、ラクー=ラバルト先生がナンシー先生のコメントを代読されました。口頭試問での審査員とのやりとりは惨めなものでしたが、なんとか合格、DEAを取得し、博士論文課程に進むことができました。
 その半年間に受けたナンシー先生からのご指導が、今私が学生の論文を指導するときのお手本になっています。もちろん、内容的には足元にも及ばないわけですが、このようにして自分が受けた学恩を私なりに返そうといつも心掛けています。
 そして、今、もう一度、二十一年前の自分のスタートラインに立ち戻りたいと思っています。虚心にテキストと向き合い、それが言わんとしていることを注意深く聴き取り、それを注解という形で書き記す。この基本的な作業から哲学の勉強をもう一度始め直すつもりです。