内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

私を手助けしようと声を掛けてくれた少女への感謝の言葉

2018-01-30 23:21:00 | 雑感

 昨日、昼の話し合いの後の帰り道、こんなことがありました。
 スーパーでちょっと買い物をしようと、自転車を駐輪用の柱に施錠をしようとしていたときのことです。見つけた柱には、すでに施錠してあった別の自転車がありました。その自転車は、私がそこに来る前に横倒しになっていたのです。それは無視して(倒したの私じゃないもんねー)、同じ柱の別の側に私は自分の自転車を施錠しようとしました。
 そのときのことです。そこを通りかかった、おそらくは下校途中であろう小学校四年生くらいの女の子が、その誰のものとも知れない自転車を私が倒してしまったと思ったのでしょうかね、「あのー、倒れた自転車起こしましょうか」と声を掛けてくれたのです。
 予想外のことで、ちょっとどきまぎしながら、「あっ、ありがとう。でも、いいよ、自分で起こせるから大丈夫だよ、うん」と私は答え、その倒れた自転車を引き起こし、柱に立てかけました。
 倒れていた自転車は大人用のけっこうごついやつで、華奢な少女に手伝ってもらうような代物ではなかったのです。でも、通りすがりのその少女の一言がなければ、私はその自転車を倒れたままにしておき、自分の自転車だけを柱に施錠し、買い物を済ませ、涼しい顔で帰宅していたことでしょう。少女に声を掛けられたからこそ、その誰のものとも知れぬ自転車を私は引き起こしたのです。
 彼女はなぜ私に声を掛けたのでしょう。家庭で、あるいは学校で、困っている人がいたら手助けの声を掛けなさいと教わり、それを実践したのでしょうか。それはわかりません。
 私の目をまっすぐ見ながら声を掛けてくれたその少女は、きっと勇気を奮って、仏語を解するかどうかもわからない貧相な異国人である私に声を掛けてくれたのでしょう。「ああ、ありがとう。じゃぁ、ちょっとこの自転車起こすの、手伝ってくれるかなぁ」、そう私は答えるべきだったのかもしれません。そして、少女といっしょに倒れた自転車を起こすべきだったのかも知れません。そうしていれば、今日こんなことがあったよと、彼女は嬉しそうに夕食の席で家族に話せたのかも知れません。
 ごめんね、鈍感で。でも、少女よ、ありがとう。君の一言は、確かに私を動かしたのだよ。君の一言がなければ、私は何もしなかった。君の一言で私がしたことは、確かに、してもしなくてもどうでもいいような、ほんとうに取るに足らない些細なことに過ぎません。
 だけれど、些細なたった一言が人を動かしうるということを、そういう一言を発する勇気をもつことの大切さを、君は私に教えてくれたのです。