今日は、鹿児島市から日本学科への訪問客が夕方に予定されていたので、それまでに日本古代史の答案の採点を済ませてしまおうと、各答案についてのコメントは後回しにして、採点を急いだ。コメントは今週末に書くことにした。学生たちにはその旨メールでさきほど知らせた。
44枚の答案中、吉備真備を選んだのが14、粟田真人が8、阿倍仲麻呂が5、山上憶良が同じく5,藤原宇合が2,栄叡が1,その他という結果だった。このうち問題の条件である留学生に当てはまらない粟田真人と藤原宇合を選んだ答案に対しては、いくらよく書けていても辛い採点にせざるをえなかった。
吉備真備を選んだ学生が多かったのは、その百科全書的な博識と帰国後の活躍を考慮すれば書きやすかったからだろう。
その中で特筆に値する答案を書いたのは、設問の要求をはるかに超えて、最終審査の面接試験への召喚状まで入念に創作した女子学生。この子、漢字テストが大の苦手で、一度は教室で泣き出してしまったほど。見た目は、中学生みたいなあどけなさが残る夢見る少女なのだけれど、なかなかの創造的思考力でこちらがびっくり。
最高点を獲得したのは、栄叡を選択した学生。井上靖の『天平の甍』を読み、さらに歴史書を数冊読んた上で答案を書いたと思われる。この学生、勉強熱心なママさん学生。いつも授業は最前列。模範生です。
阿倍仲麻呂らとともに717年に唐に渡った遣唐使の一員であった井真成の墓誌が2004年に西安で見つかったことは記憶に新しい。この発見がなければ、井真成の名は後世に伝わることはなかったであろう。一般に、遣唐使の一行の中で後世に名が伝わる人のほうが珍しかった。だから、その歴史上の実在が資料的に確認できる人物から選択することという条件は、答案作成上相当な制約だったはずである。
その点、もう一枚感心した答案は、702年の遣唐使について、その他の留学生にはすべて歴史上実在が確認されている人物を配しながら、主役はあえて無名の留学生とし、その他の優秀な留学生の中にあって自分が何を学ぶべきか煩悶するという実に巧みな状況設定をした答案である。この答案を書いたのは、いつもエレガントな身だしなみの美しき金髪のお嬢様。人は見かけで判断しちゃいけませんね。
今回の試験に関して言えば、男子学生の方は、そつのない答案はいくつかあったが、こちらをうならせるような見事な答案はなかった。男子諸君、奮起されたし。