内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

鉛直線上の〈孤悲〉のアリア、あるいは、大伴家持における〈雲雀〉と孤愁について(一) ― 雲雀についての哲学的考察断片(六)

2018-03-08 05:17:21 | 哲学

 昨日の記事まで、間に一回スピンオフを挟みつつ、四回に渡って「雲雀についての哲学的考察断片」のタイトルの下、西洋近代文学において〈雲雀〉が象徴する文学的価値について、ガストン・バシュラール『空と夢』に依拠しながら見てきた。
 その読解作業によって得られた知見を対比的要素として援用しつつ、今日から何回かに渡って、日本古代文学における〈雲雀〉の表象の価値についての考察を試みる。
 考察対象は、すでに予告したように、大伴家持の傑作の一つ、『万葉集』巻第十九巻末の春愁三首の最後の一首(4292)である。あまりにも有名な歌ではあるが、まずはその歌そのものを掲げる。

うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば

 この歌の通釈を手元にあるいくつかの辞書・注釈書等によって見てみよう。

うららかに照っている春の日に、ひばりが高く舞いあがってさえずり、悲しい気分になることだ。一人で物思いにふけっていると。(旺文社『古語辞典』第十版)

うららかに照る春の日、ひばりは囀り高く舞い上がる……。私の心は悲しみに閉ざされる、独り物思いに沈んでいると。(『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 万葉集』角川書店)

春の日はうららかに照っている。その中にひばりがあがる。うらがなしいことだ、独り物思いをしていると。(大岡信『私の万葉集』)

のどかに照っている春の日中にヒバリが舞い上がり、心が悲しい。一人で思っていると。(新版『万葉集(五)』岩波文庫)

 これらの通釈を見て、わかること、いや、わからないことは、上三句と下二句との内容上の関係である。うらうらに照れる春日にひばりが空に高く舞い上がるのを見ているからこそ、心に悲しみがつのるのか。あるいは、そんな明るくのどかな光景にもかかわらず、独り物思いに沈んでしまうことを避けられないから心が悲しいのか。
 上掲のいずれの通釈も、その前提となっている注釈や解釈も、この歌の詩的世界についてなにか肝心な点を取り逃がしているのではないか、という、どこかしっくりこない気持ちをしこりのように私に残す。その理由を自分に問うてみるとき、いくつかの問題点が浮かび上がってくる。
 今日のところは、「うらうらに」という副詞に関わる問題を指摘するに留める。
 「うらうらに」とは、どのような様態を意味しているのか。一見、現代語の「うららか」と形が似ているし、多くの古語辞典も訳語としてこの現代語を挙げており、その用例としてこの家持の歌を挙げている。ところが、「うらうらに」は、万葉集にはこの家持の一例しかなく、他の上代の文献にも見あたらない「孤語」(伊藤博『萬葉集釋注』)なのだ。だから、どの辞書もこの家持の歌を用例として挙げざるをえないわけだが、一例しかない以上、その意味するところをこの歌に即して内在的に理解することを試みなくてはならない。
 もっとも、中古以後、「うらうらと」となり、これには、『土佐日記』『枕草子』『山家集』『愚管抄』等、いくつもの用例を挙げることができるから、そこから遡源的に上代における意味を推測することができないわけではない。しかし、そのような遡行方法には、核心から逸れてしまう危険がつねに伴う。
 それに、「うらうらに」と「うらうらと」とは、どちらも副詞として機能している点では同じだが、「に」と「と」は意味論的にまったく等価ではない。現代日本語では、前者においては状態性がまさり、後者においては動作性がまさる。しかし、この意味論的差異を古代日本語にそのまま当てはめることもできない。
 「うらうらに」については、当然、数多の先行研究がある。残念ながら、今それらを参照する手立ても時間もない。それに、仮にそれらが手元にあったとしても、そもそも素人が簡単に手出しできる問題でもない。
 これらの制約にもかかわらず、今回の一連の記事を通じて私が試みてみたいことは、一つの詩語によって開かれ、一つの詩的形象がそこで生動する詩的空間の中から、一つの哲学的含意を引き出すことにほかならない。
 明日以降も、毎日、細々とだが、この「哲学演習」をしばらく続ける。