第四歌群 ― 天上の歓喜、あるいは地上の有限的人間存在の運命愛(1527-1529)
憶良七夕歌十二首の最後の三首を読もう。
この三首も、上掲の長歌一首・反歌二首からなる三首の歌群と同じ演劇的形式をに従って構成されている。つまり、まず、導入として第三者の観点が提示され、それに次いで、舞台上の登場人物の観点へと移動する。
彦星の 妻迎へ舟 漕ぎ出らし 天の川原に 霧の立てるは(1527)
この歌では、立ち上る霧によって彦星(牽牛)の悦びが象徴されている。
霞立つ 天の川原に 君待つと い行き帰へるに 裳の裾濡れぬ(1528)
この歌では、行ったり来たりするという身体的所作によって、待ち焦がれる気持ちが織女自身によって表現されている。
天の川 浮津の波音 騒くなり 我が待つ君し 舟出すらしも(1529)
彦星(牽牛)の到来を待ちながら、船出を告げる聴覚的徴表である波音を聴き、織女の悦びはいやが上にも高まる。年にただ一度の再会という、永遠に変わることのない運命をそれとして受け入れることによって急速に高まりゆく歓喜の中で、天空の二つの魂は輝きを増す。これまで無数に繰り返された再会が間近に迫っていることがもたらす悦びの前に、別離の悲しみは影を薄くする。たとえその別離がその日の終わりにはまた避けがたく課されるとしても。
憶良によるこの一連の七夕歌の終わりにおいて、無限に繰り返される別離を超えて、愛が永遠化される。それは、己の有限性を自らすすんで受け入れ、倦むことなく「もう一度」と叫ぶ人間存在における運命愛によってこそ可能になる。