内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

水泳2000回達成

2018-03-10 09:45:41 | 雑感

 今日は、個人的に記念すべき日となりました。まだパリに暮らしていた2009年8月1日に健康維持のために始めたプール通いが今朝2000回に到達したのです。今晩、少し高めのワインで祝杯をあげます。
 8年7ヶ月と10日で達成したことになり、月平均19.4回、年平均233回。自己目標数値を若干下回っているのですが、この間、長いブランクもなく、規則的に続けられたのは幸いでした。総遊泳距離は、毎回の遊泳距離を記録するのを途中でやめてしまったので、おおよそですが、3600キロメートルくらいでしょうか。北海道宗谷岬から沖縄まで日本列島を泳いで縦断したくらいでしょうかね。
 水泳は、小学生のころにスイミング・スクールに通っていたこともあり、以来得意スポーツでしたが、高校以降は楽しみとしてときどき泳ぎに行くことはあっても、規則的にプールに通うということはありませんでした。
 始めるきっかけは、運動不足で体力低下が気になりだし、このままだと健康維持も難しくなってくるかもしれないと心配になり、なにか規則的に運動しなければと考え始めたことです。ともともと体を動かすことは好きでしたが、ろくに運動もしない期間が3年余りも続いていたので、最初は、負荷の大きいスポーツは避け、ウォーキングから始めたのですが、それではすぐに物足りなくなってしまいました。かと言って、お金も時間もかけるわけにはいかなかったので、教室に通う必要もなく、一人で始められる(実際は二人で始めたのですが)スポーツとして水泳を選んだのは私としては当然の帰結でした。
 幸いだったのは、パリには市営プールがいたるところにあり、全市営プール共通の3ヶ月間フリーパスを購入すると、一年で2万円程度の出費で済むことでした。当時住んでいたアパルトマンから歩いて行ける距離にプールが3ヶ所あったことも通い続けることを容易にしてくれました。時には、メトロやバスを使って少し遠くのプールに「遠征」するのも、それはそれで楽しみでした。
 2014年にストラスブール大への赴任が決まり、市内のアパルトマンを探していたときも、プールの近くというのが外せない条件の一つでした。幸いなことに、プールまで徒歩5、6分のところに今住んでいるアパルトマンを見つけることができ、プール通いの習慣をそのまま維持することができています。
 次なる大目標は3000回ですが、これまでのペースを維持できたとして、その達成には4年数ヶ月かかります。そこまで遠い先の目標のことを思うと挫けそうになるので、これまでどおり、月20回を最低ラインとし、できるだけ毎日休まずに通う、という基本方針でいくつもりです。












鉛直線上の〈孤悲〉のアリア、あるいは、大伴家持における〈雲雀〉と孤愁について(三) ― 雲雀についての哲学的考察断片(八)

2018-03-10 04:21:59 | 哲学

 昨日の記事で引用した『釋注』の通釈を読むとわかるように、第三句「ひばり上がり」という表現には、単に雲雀がまっすぐに空高く登っていくという視覚的イメージだけではなく、囀りという聴覚的要素もそれと不可分な要素として含まれている。「ひばりの習性から推して視覚と聴覚を兼ねた表現と見られる(春の光の中にひばりの声が空高く舞い上がって)。」(伊藤博『萬葉集の歌群と配列 下 古代和歌史研究8』塙書房、1992年、124頁)
 家持は、雲雀の飛翔を見つめているだけではなく、その囀りも聴いている。「うらうらに」という副詞が「ゆったりと明るい雰囲気の中におぼろげにふんわりと霞んでいるさま」(『釋注』)を示しているとすれば、やはり、その辺りは、穏やかな春の光の中、静寂に包まれていると捉えるのが自然だろう。その静けさの中にひばりの高い音域の声が宝玉のように際立って響く。『釋注』はそれを「つーん、つーん」という擬声語で通釈の中に織り込んでいる。
 それだけではなく、「うらうらに」という言葉自体の響きのやわからさと文字としては歌に表記されていない雲雀の甲高いさえずりとの間の対比もこの歌には込められているように私には読める。
 さらに、視覚世界においても、春の光に包まれた穏やかな大気のゆるやかな拡散性とその中を上空へと高速に一直線に上昇する雲雀の運動性との対比も見逃すわけにはいかない。
 かつてこのブログでも展開したことがある私の心身景一如論(2015年2月21日から5日感連続の記事)での所説に依拠するならば、上述のすべての要素が含まれた上三句は、家持の心の景色そのものであるということになる。