空の〈青〉に本来的な無限の奥行きは、想像力による非物象化過程を経てはじめて捉えうるようになる。というよりも、その奥行によって私たちが捉えられる、と言ったほうがよい。
私たちは青空を見ていると信じている。ところが、突然、青空こそが私たちを見ていることに気づく。そのとき、青空と私たちの間には何もない。その何もないという純粋さを、詩人は、「詩的意識に直接与えられたもの」(« donnée immédiate de la conscience poétique », Bachelard, op. cit., p. 216)として捉える。
〈青〉の純粋さの中では、形あるものは何の役割も果たさない。鳥も雲もそこからは追い払われる。そこには影も形も音もない静かな力が働いている。見えるものと見えないものという区別もそこでは意味を失う。〈青〉空は、無限に透明な鏡にほかならない。
詩人の夢見る想像力は、表象化される前の世界の詩的認識が、諸対象に分節化された表象の理性的・合理的認識に先立っていることを私たちに教えてくれる。
Le monde est beau avant d’être vrai. Le monde est admiré avant d’être vérifié (ibid.).
世界は真である前に美しい。世界は検証される前に賛美される。