空の〈青〉の純粋さを見ることができるのは誰か。
それは「純粋な視者」(« voyant pur » )である。虚空の無限に透明な鏡を前にして、純粋な視者は純粋視覚を現実化する。
空の〈青〉を前にした純粋視覚からは、すべての対象が追い払われている。そこでこそ表象と夢想との境界で相互浸透が起る。物象化によって隠されていた世界の無限の奥行の〈無〉がそこで回復される。そのとき、虚空の無限に透明な鏡の中の〈映り〉としてこの世界が立ち現れる。
D’abord il n’y a rien, puis il y a un rien profond, ensuite il y a une profondeur bleue (Bachelard, L’Air et les songes, op. cit., p. 218).
まず、何も〈無〉い。次には、〈深い〉無。そして、青い〈深み〉。