先々週の試験の答案の採点がまだ終わっていない。その理由は二つある。一つは、先週一週間の万聖節の休暇中、採点作業を一切行わなかったからである(休みは休みってことです)。もう一つの理由は、そしてこちらのほうが大事なのだが、こちらが出した試験問題(10月24日の記事で紹介した)の要求水準に応えるべく学生たちが書いてくれた答案が実に読み応えがあるからである。27名の受験者のほとんど全員が、授業外で自主的に参考文献にあたってよく調べた上で、私がいつも学生たちに期待している歴史的想像力を駆使して、面白い答案を書いてくれている。だから読むのに時間がかかるのである。
というわけで、今日の記事は短いし、ほとんど川口論文の引用に尽きる。「秋の花」と題された節から引く。
この期[天平勝宝三年(751)]になってまったく新たに「秋の花」(巻第十九・四二五四)の語が登場し、また「秋の時花種にあり」(同反歌)というふうに、花を秋に即してとらえる美意識が生まれてきた。この「秋の花」の登場は、「春花秋葉」に対して「春花秋花」という美的意識を開拓した意味において画期的である。[中略]家持自身の意識がどうあろうとも、万葉集の“花の流れ”の客観的把握において、この語の登場が、秋の花々に対する愛好の、いわば、一種の決着であったことは、これを認めていいであろう。[中略]家持以後、日本文学史は、安んじて「秋の花」を歌うことができるようになったのである。(川口前掲書、36-38頁)
ただし、引用文中の反歌の川口の訓みは取れない。西本願寺本本文は「秋時花 種尓有等」で、伊藤博『釋注』、岩波新古典文学体系本、いずれも「秋の花 種々にあれど」(「種々」は「くさぐさ」)と訓んでいる。
ともあれ、家持が万葉集における美意識の最終的な到達点を示すと同時に、平安時代以降の和歌の美意識の開花を準備したことを「秋の花」という一語がよく示しているという川口論文の結論は動かないだろう。