一昨日の若尾教授の講演で私にとって特に印象に残ったもう一つの話題は、識字率についてのお話だった。
何か信頼に値する資料や研究に依拠することもなく、幕末期の日本人の識字率はかなり高く、それが日本の急速な近代化を可能にした一つの与件だと私は思い込んでいた。ところが、若尾教授のお話では、現在の研究者たちは、当時の識字率について大きく意見が分かれており、5,60%くらいと高めに見積もる派と2、30%と低めに見積もる派との間に激しい対立があるという。
そもそも識字率の定義が問題であると教授は仰っていた。確かに、例えば、仮に、自分の名前が漢字あるいはひらがなで書くことができ、簡単な文章を文法的誤りなく綴ることができ、子どもにもわかるような内容の漢字仮名交じり文を間違いなく声に出して読むことができる、それが識字だと定義してみたところで、どの程度の文章が書け、どの程度の文章を誤りなく読めることなのか、まだ甚だ曖昧なままである。それに、明治以前の識字率を全国一律で検証しうるような資料がそもそもない。こんな条件下で、一国の識字率を数値的に確定しようとすること自体に無理がある。
問題は他にもある。仮に識字率に関して一定の基準を確立できたとして、階級・性別・職業・地域などにおける差異を無視して、平均的識字率を算出することにどれほどの意味があるのか、という問題である。容易に想像できることだが、階級間、男女間、職業間、地域間などで無視できない開きがあったはずである。それに、識字率は、知能および学力の一つの指標ではありえても、自律的思考力の程度に対応しているわけでは必ずしもない。
これらの問題はさておき、私が教授のお話で最も驚かされたのは、識字率は、明治期に、たとえ一時的にであれ、江戸時代よりむしろ低下したと主張している研究者たちがいるということだった。
どこからそういう主張が出て来るのか。それは、初等教育が国家によって義務化されることによって、かえって学ぶ機会を奪われる子どもたちが増えたからである。江戸時代の寺子屋教育では、その村や町の子どもたちが自分たちの家庭の事情と必要に応じて、それぞれ可能な範囲で勉強に来ることができた。ところが、そうした事情を無視した一律的カリキュラム・時間割が適用されることで、自分たちの子どもを学校に行かせない家庭が少なからず出てきてしまった。農村地区の繁忙期などはとりわけそうであったろう。一言で言えば、地域特性・生活習慣などを無視した国家による国民皆教育政策が国家の未来を担う子どもたちを、たとえ一時的にであれ、教育から遠ざけてしまったということである。