辻本雅史著『「学び」の復権 模倣と習熟』(岩波現代文庫、2012年、初版1999年)の冒頭に、心理学者東洋らによって一九七〇年代に約一〇年間にわたってアメリカの研究チームと共同で行われた日米母子のしつけと教育の方法に関する比較研究の成果が簡単に紹介されている。
その結論を一言で言えば、アメリカの母親は「教え込み型」育児であるのに対して、日本の母親は「滲み込み型」である。
「教え込み型」とは、「言葉によって分類の要素を一つひとつ子どもに教え、それを子どもに言葉で確認しながら教えていく」「言葉による分析的で組織的な教え方」である。それに対して、「滲み込み型」とは、「まず母親みずからが子どもの目の前でやってみせ、次にその通り子どもにやらせてみる。できないとまた母親が自分でやってみせて、子どもに挑戦させ、その過程を繰り返すという」(同書2-3頁)。
この箇所を読んで、私は以下の四つのことを考えた。
一、この差異は母親によるしつけと教育には限らないこと。ニ、この差異は日仏にも当てはまること。三、なぜ日本とアジア諸国、少なくとも日韓中を比較しないのかということ。四、「教え込み型」と「滲み込み型」という二つの型とは異なったもう一つの型があること。
一について。言語による伝達を基礎とした教育と身体的模倣の反復を基礎とした教育との違いは、母子間に限らず、より広く観察される。
ニについて。これは私自身、フランスで娘を水泳教室に通わせていたときに、ほとんど呆れるほどに実感したことであるが、フランスの水泳インストラクターは自ら水の中に入ることがない。プールサイドで言葉であれこれ説明するだけである。日本のスイミングスクールでよく見かけるように、先生自らプールに入り、生徒の手足を持って指導するところを私は見たことがない。
三について。なぜ日本と「欧米」としか比較しないのか。少なくとも比較の第三項としてアジアの他の国の例とも比較すべきではないのか。そうでなければ、「東西比較思想」という、すでにうんざりするほど繰り返されてきた、当事者だけが盛り上がっているだけのなんら生産性のない虚妄のシンポジウムとどこが違うのか。
四について。書道教育は、少なくともその初期においては、上掲いずれの型でもない。先生が子供の手に背後から手を添え、筆で書くときの感触・力加減・腕の動きなどを、一緒に筆を動かしながら伝える。これを私は「包み込み型」と名付けることとしたい。