講義の準備として『雨月物語』巻之ニ第一話「浅茅が宿」をもう何度目かに読み直していて、またしてもその怪異の世界に引き込まれてしまった。『雨月物語』が今日でも少しも色褪せることのない怪しいほどに吸引力をもった物語世界を展開している作品であることを今一度再確認することになった。
私の手元には、四冊の文庫版『雨月物語』がある。文庫版とはいっても、いずれも専門家の手になる信頼の置ける校訂版である。初版の刊行年順に上げれば、角川ソフィア文庫版(1959年)、ちくま学芸文庫版(1980年)、講談社学術文庫版(1981年)、岩波文庫版(2018年)の四冊である。最新の校訂版である岩波文庫版は、本文・脚注・解説だけだが、それ以外の三冊は現代語訳付きである。そのうちもっとも詳細な注解が施されているのは青木正次訳注の講談社学術文庫版。
昨日の記事で引用した井上泰至著『雨月物語の世界』を読んでいるときにも懐いた感想だが、『雨月物語』にはそれを研究する者に何か哲学的とも言えそうな考察へと誘う魅惑があるようだ。
例えば、青木正次が「浅茅が宿」の宮木の遺した歌「さりともと思ふ心にはかられて世にもけふまでいける命か」(権中納言敦忠卿集に見える歌。『続後撰和歌集』には第三句が「慰みて」の形で見える)の注解を読んでみよう。
「さりともと思ふ心」は男が約束を果たさなかったけれども、なお望みをつないで帰り来る約束の果される日を期待する心で、それは男女関係の自然な情愛に発する。そういう自分の内なる自然心に、ついずるずるとひかれて、結果的に省みれば欺かれたことになった、と止むをえざる我が心の必然を嘆き諦めた歌である。自分の生をそういうふうに、内なる自然に引かれてきたわが心の軌跡として振り返り、認めたもの。(143頁)
ここまでは、文学作品中の歌の注釈として特に変わったところがあるわけではない。しかし、同注解の後半には何かそれを超え出るものがある。
そこには自分の、性的必然に対する関係意識だけに限って自分の個的な生を認める孤独な心が溢れている。性的な心(情愛)の動きは自分にとって内なる他者(自然)であり、その自然力の前に無力だった自己という発見があり、今日まで生けるわが命とはそういう自然的な(われならざる)生命であったといい、そういうふうに発見しえた判断の主体として、自分(我)の存在を証した歌。この孤独な心の背後には、事ここに至るまでの、他や自分に対する絶望と自己凝視の歴史が積まれてきていることを思わせ、またこの自己認識はもはや究極的などんづまりの姿であるという意味で、「末期の心を哀れにも展たり」といえる。(144頁)
この歌は秋成によって宮木の歌として創作されたのではないし、物語中の宮木の昔語りからここまでの解釈を引き出せるかどうかも疑問であるし、藤原敦忠の原歌の注解としてみてもその妥当性はにわかに認めがたい。
しかし、まさにそうであるからこそ、内なる他者としての自然を前にしての自己の生命の無力性を発見した判断主体がその制御し難い内なる自然を凝視している歌だという「哲学的」注釈(青木はこれを「考注」と読んでいる)がどこから来るのかと私たちに考えさせる。これを校注者の個性に帰することができる部分もあるであろう。しかし、それだけでもないように思う。秋成の作品世界自体に私たちをそこまで引き込む「奥行」があると言えるのではないだろうか。