パスカル『パンセ』において多様性の相対的価値が端的に示されているのは、「表徴 Figures」と題された以下の断章である。
Dieu diversifie ainsi cet unique précepte de charité pour satisfaire notre curiosité qui recherche la diversité, par cette diversité qui nous mène toujours à notre unique nécessaire. Car une seule chose est nécessaire et nous aimons la diversité, et Dieu satisfait à l’un et à l’autre par ces diversités qui mènent à ce seul nécessaire (Lafuma 270 ; Sellier 301 ; Le Gerne 253 ; Brunschvicg 670).
このようにして、神はこの愛の唯一の戒めに多様性を与え、われわれを唯一の必要なものに常に導くこの多様性によって、多様性を求めるわれわれの好奇心を満足させてくださるのである。なぜなら、必要なものはただ一つであるが、われわれは多様性を好むからである。そこで神は、唯一の必要なものに導くこの多様性によって、両方の要求を満足させてくださる。(由木康訳)
私たちはなぜ多様性を好むのだろうか。画一性は私たちを退屈させるからだろう。しかし、なんらの統一性もない多様性は、やがて私たちを破滅へと導く( « la diversité sans uniformité, ruineuse pour nous », L987, S807, LG763, B892)。
同じ問題について複数の互いに相矛盾する解答がすべて多様性の表われとして容認されることは、多くの人たちを誤りあるいは臆見のうちに安易にとどまらせることになりかねない。もし、みんなこぞって多様性を肯定することが、自分の意見・立場を批判されたくないから相手の意見・立場も認めるという保身の裏返しに過ぎないのなら、そしてそのような相互容認がその共同体の唯一の「絆」であるのなら、全員がそれぞれに破滅への道を歩んでいながらそれに誰も気づかないということもありえないことではない。