内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

氷のように冷たい言葉「僕のもの、君のもの」

2018-12-03 23:59:59 | 哲学

 聖ヨハネ・クリゾストムは、ギリシア教父の中でその説教の雄弁さにおいて際立っており、今日でも崇拝の対象になっているようである。説教の言葉であるがゆえに、書かれた文章としてそれらを読むと、繰り返しが多いと感じざるを得ないが、実際に肉声で説かれる説教を聴いた聴衆にとっては、その具体的なイメージを伴った表現の繰り返しによって、クリゾストムが熱を込めて説く教えが心に染み込んできたのであろう。
 最近になって仏訳全集が復刊されたり、関連書籍の出版も活発であることから見て、正教会においてばかりでなく、カトリックの世界でも今日新たな注目を集めているようである。全集の大半を占める説教群は、高度な神学的内容を説くというよりも、民衆教化、異端者たちとの対決、奢侈に傾く権力者批判など、当時の現実世界の情況に即しつつ、かつ自在に聖書を引用しながら展開されている。
 「僕のもの、君のもの」という表現も、民衆にわかりやすく教えを説こうという配慮から繰り返し使われていると思われる。異端者たちに向かって「闘技場に立って」説教するときも、単純な表現で論点を明快に示しながら、厳しく彼らの逸脱を指摘する。

Si, dans ce monde où les maladies, les persécutions, les trépas prématurés, les calomnies, les jalousies, les chagrins, les colères, les convoitises coupables, des pièges sans nombre, des soucis quotidiens, des maux continuels et successifs, fondent sur nous de toutes parts et nous soumettent à mille tortures diverses, Paul déclare une joie sans interruption possible à celui qui élèvera un peu sa tête au-dessus des flots des choses du siècle, et réglera sa vie selon l’équité ; à plus forte raison nous sera-t-il facile de goûter ce même bonheur au sortir de la vie présente, alors qu’il n’y aura plus ni maladies, ni souffrances, ni occasions de péché, ni le mien et le tien, ce mot glacial, principe de tous les maux qui nous affligent, et de guerres sans fin (op. cit., p. 427).

 現世にありうる災厄の数々を数え上げた上で、パウロに依拠しつつ、それらから解放され、絶えざる歓喜を享受することは、世俗の雑事より少し上に頭を上げ、生活のすべてを公平さにしたがって律するものには可能であると、相対的な可能性を述べた上で、現在の生から超脱する者は、なおのこと、いとも容易にこの同じ幸福を味わうことができ、もはやいかなる苦しみもなくなるであろうと畳み掛ける。「氷のように冷たい言葉」である「僕のもの、君のもの」が、諸悪と果てしない戦争の原理としてその締め括りに置かれている。