内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「この犬は、僕のだ」から、一切の争いの原理としての「僕のもの、君のもの」へと遡る

2018-12-01 20:16:37 | 読游摘録

 ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』(A Room of One’s Own, 片山亜紀訳、平凡社ライブラリー、2017年)をパラパラとめくっていて、その第三章に引用されているパスカル『パンセ』の一文に目が止まった。英語原文では、« Ce chien est à moi » と仏語のまま引用されている。
 『自分ひとりの部屋』の文脈では、男女間の名声欲への執着度の違いが問題になっているところで、女性の血の中には「匿名性」(Anonymity)が流れていると述べた直後に引用されている。『パンセ』の当該箇所(ラフュマ版64、セリエ版98、ブランシュヴィック版295)は、次のようなごく短い断章である。

 Mien, tien.
« Ce chien est à moi », disaient ces pauvres enfants. « C’est là ma place au soleil. » Voilà le commencement et l’image de l’usurpation de toute la terre.

 僕のもの、君のもの。
「この犬は、僕のだ」と、あの坊やたちが言っていた。「これは、僕の日向ぼっこの場所だ」ここに全地上の横領の始まりと、縮図とがある。(前田陽一訳、中公文庫)

 この断章には、セリエ版に大変興味深い脚注がついている。
 この断章中の « usurpation »(訳では「横領」)という言葉は、もともとは、誰のものでもない、つまりみんなのものであるものを(習慣的)使用によって取得する(usu rapere)ということであり、暴力に訴えたり奸計を弄したりして他人のものを奪い取る、という今日通用の意味はなかった。この点に関して、ラフュマが示唆的な指摘をしている。四世紀のギリシア教父聖ヨハネ・クリゾストモ(344 (7) -407)の説教の中に近接する思想が見出されるというのだ。

C’est parce que quelques-uns essaient de s’approprier ce qui est à tous que les querelles et les guerres éclatent, comme si la nature s’indignait de ce que l’homme, au moyen de cette froide parole : le mien, le tien, mette la division où Dieu avait mis l’unité. Voilà le principe des discordes ; voilà la source de mille ennuis.

幾人かの人たちがみんなのものであるものを自分のものにしようとするから、争いや戦争が起こるのです。それはあたかも、人間がこの冷たい言葉「私のもの、君のもの」を使って、神がただ一つにまとめておかれたものを分割することに自然が怒っているかのようです。ここにあらゆる不和の原理があるのです。ここに数えきれない厄介事の源泉があるのです。

 確かに、Internet Archive で全巻が自由に閲覧できる聖ヨハネ・クリゾストモ仏訳全集 Saint Jean Chrysostome, Œuvres complètes(1865-1873、全十一巻)で検索をかけてみると、 « le mien, le tien » という表現が数箇所に見出され、一切の争いの原理として聖ヨハネ・クリゾストモが説教中に用いることを好んだ表現であることがわかる。ただ、上掲のセリエ版『パンセ』脚注に引用されている « la XIIIe Homélie » と注記された説教は特定できなかった。
 聖ヨハネ・クリゾストムにおける争いの原理としての « le mien, le tien » について、全集から拾い上げた箇所に注釈を加えるかたちで明日以降の記事で何回か考察する。