今日午後、堀川惠子『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』を読み終えた。今朝、堀川惠子の本書に先立つ出版のうち死刑に関係する二冊『死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの』『永山則夫 封印された鑑定記録』(いずれも講談社文庫、それぞれ2016年、2017年刊。初版はそれぞれ2009年日本評論社刊、2013年岩波書店刊)をヨドバシ・ドット・コムに注文した。都内二十三区に関しては、アマゾンよりヨドバシ・ドット・コムの配送システムのほうが配送が速いからだ。実際、午後2時頃届いた。その前に注文してあった『教誨師』(講談社文庫、2018年。初版2014年講談社)は、朝9時過ぎには届いていた。
2009年8月に裁判員裁判が始まり、一般市民が死刑制度に直接当事者として関わることがありうるようになってから、関連書籍は目に見えて増えた。死刑制度を存置する法治国家に生きる国民の一人として、死刑を国家による合法的な殺人として認める制度について自分の考えをはっきりさせるための一つの手立てとしてそれらの書籍を真剣に読まなくてはならないと思っている。それは、さしあたりの知識を得るためだけではもちろんなく、人が人を裁くことを正当化する根拠は何なのか、罪と罰はいかに定義され限界づけられなければならないのか、という根本的な問題を自らの問題として考えるためにほかならない。
いわゆる先進諸国の中で死刑を極刑としている国は極少数であり、その一つが日本であることは繰り返しメディアでも取り上げられてきているし、いわゆる国際世論はこの点について日本を批判してやまない。しかし、言うまでもなく、その「外圧」それ自体は、理性的・自律的判断の根拠ではありえない。人道的見地からの原則的廃止論も、被害者およびその遺族に配慮した心情的存置論も、一個の主体によって理性的に十分に根拠づけられた立場たりえない。
上掲四書およびその巻末に付された参考文献を読み、さらには仏語での参考文献をも参照しつつ、死刑制度についての自分の立場をはっきりさせていきたいと思う。