12月6日の記事で引用した『パンセ』の断章(ラフュマ65、ル・ゲルン61、セリエ99、ブランシュヴィック115)の原文をもう一度ここに引き、その後に前田陽一訳を付す。
Diversité.
La théologie est une science, mais en même temps combien est‑ce de sciences ? Un homme est un suppôt, mais si on l’anatomise, que sera‑ce ? la tête, le cœur, l’estomac, les veines, chaque veine, chaque portion de veine, le sang, chaque humeur du sang ?
Une ville, une campagne, de loin c’est une ville et une campagne, mais à mesure qu’on s’approche, ce sont des maisons, des arbres, des tuiles, des feuilles, des herbes, des fourmis, des jambes de fourmis, à l’infini. Tout cela s’enveloppe sous le nom de campagne.
多様性。
神学は、一つの学問である。しかし同時に、いったい幾つの学問であろう。人間は一つの実体である。しかしもしそれを解剖すれば、いったいどうなるだろう。頭、心臓、胃、血管、おのおのの血管、血管おのおのの部分、血液、血液のおのおのの液体。
都市や田舎は、遠くからは一つの都市、一つの田舎である。しかし、近づくについて、それは家、木、瓦、葉、草、蟻、蟻の足、と無限に進む。これらすべてのものが、田舎という名のもとに包括されているのである。
Sellier 版(Le Livre de Poche, « La Pochothèque », 2004)には、« suppôt » について次のような脚注が付けられている。
En philosophie scolastique, le suppôt est la substance comme sujet de ses attributs. Appliqué à l’homme, ce terme l’identifie comme personne, unité substantielle d’une âme et d’un corps. Cependant, la filiation montaignienne et le registre nominaliste de la dernière phrase du fragment invitent à référer le suppôt pascalien au suppositum d’Ockham, sujet sans substance, dont l’unité se réduit à celle de sa dénomination.
スコラ哲学の伝統に従えば、 « suppôt » は「実体」と訳してもよいことになる。確かに、前田訳も塩川訳も「実体」を訳語として採用している。しかし、パスカルがそれに連なるモンテーニュからの系譜とこの断章の最後の文に表された唯名論的な文脈を踏まえるならば、パスカルの suppôt は、オッカムの suppositum と関連づけて考えるべきだろうとセリエは言う。つまり、パスカルにおける suppôt とは、「実体なき主体 sujet sans substance」であって、その統一性は、したがって、実体性を有するものではなく、命名の統一性に過ぎない、ということである。
今仮にこの sujet を「主体」と訳したが、この訳もまた不適切である。なぜなら、この sujet は、無限に分割可能な相異なった多様な要素からなる集合体を一つの全体として呼ぶための名称であって、それらの上位概念ではなく、それらの実在を前提としてはじめて意味を持つ、いわば「下位」概念であって、それ自体で独立に存在するような実体性はまったく有していないからである。
日本語で漠然と実に様々な分野で使われている「主体」という言葉は、もともとがその訳語であった sujet の語源的意味(「下に置かれたもの」)を覆い隠し、ついにはそれを忘却し、それ自体で独立に存在しているものという意味、あるいは、そこまではっきりと強い意味を持っていない場合でも、責任能力があり自発性を有した行為主という意味で使われるのが普通であろう。ところが、このパスカルの断章の suppôt には、そのような意味はない。 人間は、実体でも主体でもなく、suppôt であり、無限に分割可能な諸要素の束に与えられた名に過ぎない。