内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

和泉式部の「つれづれ」、あるいは存在の空虚と共振する言葉(六)

2019-05-01 23:59:59 | 読游摘録

 『和泉式部日記』の中の「つれづれ」の用例を追ってきたが、日記の終わり近く、女が宮邸入りした後、最初に迎えた正月一日の出来事を記述する一節に出て来る用例が私にはことのほか意味深く思われる。まず、原文を引こう。

 年かへりて、正月一日、院の拝礼に、殿ばら数をつくして参り給へり。宮もおはしますを、見まゐらすれば、いと若う、うつくしげにて、多くの人にすぐれ給へり。これにつけてもわが身恥づかしうおぼゆ。上の御方の女房、出で居て物見るに、まづそれをば見で、この人を見んと、穴をあけさわぐこそ、いとあさましや。
 暮れぬれば、ことはてて、宮入らせ給ひぬ。御送りに上達部数をつくして居給ひて、御遊びあり。いとおかしきにも、つれづれなりしふるさとまづ思ひ出でらる。

 冷泉院御所での元旦の拝賀の式には大勢の廷臣たちが参上する。女はそのありさまを観覧する。宮は、参上する廷臣たちの中でも、抜きん出て若く美しい。女はそれが誇らしい。と同時に、我が身を恥ずかしく思う。宮の正妻北の方つきの女房たちの自分に対する好奇の眼差しもおぞましい。
 拝賀の式の後、大勢の上達部たちが邸に戻られる宮に付き添い、宮邸で管絃の宴が催される。それはまことに興趣溢れる遊びであった。
 まさにそのなかで、「つれづれ」なる無聊をかこっていた自宅のことが自ずとまず思い出される。このくだりについて、手元の数種の注釈書には特に注目すべき解釈は示されていない。唐木順三は『無常』の中でこう述べている。

宮の邸内のにぎやかな、趣のある集いとくらべて、里に独居でわびていた時の、つれづれであったことを思い出すのである。ここでは「つれづれ」は、ありきたりの日常生活をさしている。日々の、変化のない生活が「つれづれ」と思われている。[中略]然し、果たして、式部自身が里住まいで現にやってきた、さまざまな色恋沙汰をも、また「つれづれ」と感じていたかどうか。つれづれを逃れようとして、なぐさめごと、すさびごと、はかなしごとを求めるが、そのすさびごと、はかなしごとも、また、はかなきすさびにすぎぬという構造を自覚していたかどうか、つれづれを脱れんとして刺激を求めながら、その刺激自体によって、再び一層つよいつれづれに突き落とされるという構造を知っていたかどうか。知らなかったとはいえないが、自覚的に知っていたともまたいいかねる。そういうところに和泉式部はいると私は思う。

 私には、唐木がここでいうところの自覚がなければ、『日記』も数々の名歌も生まれなかったと思う。上掲の引用箇所での「つれづれ」も、単に里でのかつての「つれづれ」の回想ではないのではないか。眩いばかりに華やかな宮邸での暮らしの中で、まず思い出されるのが里での「つれづれ」であるのは、その「つれづれ」こそが人間の常態であり、今自分が暮らす綺羅びやかなる邸の生活はその自覚を深める契機にこそなれ、決して自分をほんとうには幸福にはしないということを女がわかっているからだと私には読めるのだが。