昨日までの五日間の考察から導かれる帰結とその帰結を起点としたこれからの考察の方向を手短に示そう。
身体的であれ精神的であれ、苦痛(douleur, mal)に対して取るべき措置は、その解消か、それが不可能ならば緩和である。それに対して、受苦(souffrance)は、人間存在の有限性がその本来的な源泉であるかぎり、その解消あるいは緩和は不可能である。
哲学的であれ宗教的であれ、受苦からの解放あるいは解脱は、それが受苦そのものの意味の無視あるいは否定であるかぎり、本考察では問題の埒外である。受苦を救済の可能性の条件とする宗教的教義も差し当たり考察対象から外す。有限な生命にとって本来的な受苦そのものの意味の探究が本考察の目指すところである。
明日以降は、受苦を主題とした二十世紀に書かれた比較的短い仏語の哲学的テキストの読解という形でしばらく考察を進めていく。この選択は、時代・言語を問わず受苦の問題を何らかの仕方で扱っている哲学的テキストまでいきなり考察対象の範囲を広げてしまうと、それこそ収拾がつかなくなってしまうので、まずは取り掛かりやすいところから始めたいという意図からである。