『建礼門院右京大夫集』の序にあたる部分をまず引く(本文は新潮日本古典集成版による)。
家の集などいひて、歌よむ人こそ書きとどむることなれ、これはゆめゆめさにはあらず。ただ、あはれにも、かなしくも、なにとなく忘れがたくおぼゆることどもの、あるをりをり、ふと心におぼえしを思ひ出でらるるままに、我が目ひとつに見むとて書きおくなり。
この歌集は、いわゆる家集などというものではなく、忘れがたいさまざまの過去の出来事や経験が折々思い出されるままに書き留めたもので、人に見せるためのものではなく、自分一人で見るためのものだという。日々の物思いを「つれづれなるままに」記すというのではなく、折々思い出される忘れがたいことを自分のために書き留めた記録だという。なぜそうするのか。書くことで、思い出を生き直すためだろうか。そうだとして、なぜそうせざるをえないのだろうか。
跋文にあたる部分を引く。
かへすがへす、憂きよりほかの思ひ出なき身ながら、年はつもりて、いたずらに明かし暮らすほどに、思ひ出でらるることどもを、すこしづつ書きつけたるなり。[中略]これはただ、我が目ひとつに見むとて書きつけたるを、後に見て、
くだきける 思ひのほどの かなしさも かきあつめてぞ さらに知らるる
七十歳を越えていたであろう晩年に、いわば思い出の記であるこの歌集のあとがきとして右京大夫はこのように記している。憂きことしか思い出のない身ながら、年をとって、何のなすこともなく、むなしく日を明かし暮らしているうちに、おのずと思い出されることを少しずつ書き溜めたもので、これは自分一人のために書きつけたものであるという。それを後日見て、「昔心を千々に砕いた、わたしの物思いの悲しさの程度も、こうやってその折その折の歌草をかき集め、書いてみると、改めて知られるよ」(新編日本古典文学全集版の久保田淳訳)、と詠む。
なぜ過去の辛い思い出を書き留めることで、改めて悲しみを感じる必要があるのか。