内的自己対話-川の畔のささめごと

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「女歌の根源にある悲しみの世界」あるいは「文芸作品が生まれる原点」―『建礼門院右京大夫集』を読む(七)

2019-05-10 20:28:03 | 読游摘録

 『建礼門院右京大夫集』についてはまだまだ書きたいことがあるが、そろそろ来月の研究発表の準備として、これまでに集めておいた「受苦」(souffrance) に関する仏語文献を読んでいきたいので、今日の記事で連載「『建礼門院右京大夫集』を読む」は打ち切ることにする。
 現代の作家・詩人たちの中には、『建礼門院右京大夫集』に深い関心と愛着を示し、建礼門院右京大夫を主題とした作品や評論を書いている人たちが少なからずいる。それらのうちで目に触れたものについて摘録しておく。
 中村真一郎が筑摩書房の叢書『日本詩人選』の一冊として『建礼門院右京大夫』を出版したのは昭和四十七年(1972)である。この叢書には優れた作品が多いが、この一冊については未見なのでなんとも言えない。ただ、新潮日本古典集成版『建礼門院右京大夫集』の糸賀きみ江による解説の終わりの方に、中村書からの引用があり、是非読んでみたくなり、アマゾンで古書を注文した。見るのは夏の一時帰国の時までお預けだが。その引用はおそらく後書きからであろう。

私がこの家集に最初にふれたのは、あの不幸な戦争中であった。そして当時の若者たちは争ってこの本を愛読した。今日にして思えば、青年たちは自らを資盛になぞらえ、少女たちは右京大夫の運命のなかに自分の未来を占っていたのだった。

 中村書の二年後の三年後の昭和五十年(1975)には、大原富枝の小説『建礼門院右京大夫』が出版されている。これは電子書籍版を先日購入し、今読んでいるところである。とても美しい日本語で建礼門院右京大夫の生涯が哀切に描き出されている。この本の「あとがき」にも、上掲の中村真一郎の言葉と符合する一節がある。

資盛の運命は第二次世界大戦に死を覚悟して出陣した学徒兵たちの心情に重なり合い、彼女の歌集は彼らに愛読されたと申します。右京の思いはこの戦争で愛する人を戦死させたたくさんの女たちの思いと重なるものでもあるでしょう。[中略]私自身、ある人の戦死をいまも胸に刻んで生きており、それがこの作品を書くモチーフともなっています。

 大原作品は単行本刊行後二度文庫化されている。まず単行本を出版した講談社から講談社文庫として昭和五十四年(1979)に出版され、平成八年(1996)には朝日新聞社から朝日文芸文庫として出版されている。私が読んでいるのは前者の電子書籍版である。紙の版には大岡信の解説が付いているのだが、電子書籍版ではそれが省かれている。でも、それが読みたくて、古書を注文した。後者には、竹西寛子が巻末エッセイ「定めなき人の世を」を寄せていて、これも読みたくて、古書を注文した。
 大岡信の『名句 歌ごよみ〔恋〕』(角川文庫、二〇〇〇年)には、「建礼門院右京大夫―かえらぬ昔への悲歌の結晶」と題されたエッセイが収録されている。二首右京大夫の歌を引いた後、大岡はこう記している。

これらの悲歌に、右京大夫の抒情の真髄がみられる。この世を幻とも哀れとも、もはや何とも言い表しようのないものと見てとった心に、切羽つまって噴き上げてくる嘆きの世界がこれらの歌にはあり、より広くいえば、日本の女の歌が、久しいあいだそれによって結晶の鋭さと透明さを得てきた、女歌の根源にある悲しみの世界もあった。

 歴史の転換期に生き、運命に翻弄されながら、壇ノ浦の戦いで朽ちた恋人資盛のことを半世紀以上に渡って想起し続けるほかなかった右京大夫の深い悲嘆は今もなお私たちを動かす。新潮日本古典集成版の解説はこう結ばれている。

恋と追憶に情熱を捧げ尽した生命の証として作品集を遺すという発想は、文芸作品が生まれる原点に関わるものである。したがって『右京大夫集』は、時代を越えて、自らの人生を大切に考える人々の共感をよび起す。『建礼門院右京大夫集』はそういう魅力をそなえた歌集なのである。