昨日の記事の終わりに引用した詞書の中に「思ひのほかに物思はしきことそひて、さまざまに思ひみだれし頃」(「思ってもみなかったことなのに思い悩むようなことが加わって、あれやこれやと思い乱れていた時分」日本古典文学全集版久保田淳訳)という表現があった。
自分の心のうちで、思いが意志や理性の制御を逃れ、いわば自己触発的に生成してしまい、それに翻弄され、そのことがさらに苦悩を深めてしまうが、自分ではどうしよもない、といった心の状態に右京大夫はしばしば陥る。後半生ではそれがほとんど心の常態と化しているかのようだ。この思いの自己触発(auto-affection)が受苦(souffrance)として経験され、そのことが作者の生の証となっているところにこの作品は成り立っていると私は思う。本人は、「契りとかやは逃れがたくて」と、前世から定められた運命としてこの受苦を受け入れていたとしても、である。
「常よりも思ふことあるころ」と始まる詞書に続く、二首のうちの第二首「物思へ嘆けとなれるながめかな頼めぬ秋の夕暮の空」について、糸賀きみ江は、新潮日本古典集成版の当該歌の頭注で「頼みにならない恋人と、晴れ曇りの定めやらぬ変わりやすい秋の空が重なっている。[中略]秋の夕暮の空を眺めて待っていても、あの人はあてにならず、物思いと嘆きが深まるばかり。それでつい秋の夕暮の空が「物思へなげけ」と勧めるように思ってしまう。これも作者のなかにある感情を、夕暮れの空に投影して見ているのである」と述べている。
解釈として穏当だと思う。が、右京大夫にとっては眺める景色への感情の投影などという生やさしいことではなかったように私には思われる。自己触発する感情が眺める景色として逃れようもなく身に迫ってきてしまうとでも言おうか。