今日の授業は、前半は順調、後半も永原慶二著『戦国時代』を主軸とした展開までは、読ませたいテキストはほぼ予定通り提示できた。残り四十分となったところで渡辺京二著『バテレンの世紀』に移る。この時点で、大橋幸泰著『潜伏キリシタン』に依拠した展開は、今日は無理、来週以降に送り込もうと判断し、『バテレンの世紀』からの抜粋とそれについてのコメントに残り時間すべてを割くことにした。
以下は、パワーポイントでスクリーン上に投影した引用箇所そのままを再現する。授業では、それぞれの表現あるいは文章について、留保や疑義も含めたコメントを付しながら進めた。そのやり方は、キーノートだけもらって、後はその場のインスピレーションに応じて即興で展開していく演奏に似ているかも知れない。
ファースト・コンタクト
最初の出遭いのとき、両者の関係は対等であった。
この一世紀の間、日本人と西洋との関係はキリスト教の受容という一面に限られていたわけではない。これは両者の最初の出遭いであり、しかも長期かつ濃密な接触であったから、貿易はいうまでもなく、文化全般にわたる交渉と相互浸透がみられた。
だが、両者の関係を主導した貿易自体、少なくともポルトガル、スペインの場合、キリスト教宣教という強力な動機の支配を免れるものではなかった。
近代世界の幕開け
カトリシズム海外宣教は世界のヨーロッパ化の旗印
広範な世界観的・思想的意味合い
日本人はキリスト教という姿見に映ったおのれを発見した。
西洋人に対して何らの劣等感も先入見も持っていなかった。
この出逢いの特徴は、非対称的なものではなかった。
ポルトガルは、アジア海域という世界経済の中心に、世界の周辺から馳せ参じた新参者にすぎなかった。
「キリシタンの世紀」は、日本が世界有数の銀産出国であった時代と重なる。
ここまでで時間切れ。続きは来週金曜日に。