内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日々の哲学のかたち(23)― アリストテレス『ニコマコス倫理学』のフィリア論 ③ フィリアの恒常的再生可能性

2022-06-29 18:31:15 | 哲学

 すぐには得心できなくても、どうにも納得できないところがあっても、とにかくまず読んでみましょう。そういう辛抱が必ず報いられるのが古典というものだと私は思っています。古典にこだわっていると、だから、たくさんの本は読めません。それでいいではないですか。そのこと自体が古典の効用の一つではないでしょうか。
 ほんの少しだけ、アリストテレス『ニコマコス倫理学』第八巻の続きを読みましょうか。

貧困や、ほかのさまざまな不運において、人々は友人だけが自分の避難所となると考えている。また、若者にとって友人は、自分の過ちを防ぐために役立ってくれるし、年老いた者にとっては、世話をしてもらい、衰えのゆえに自分がうまくできずしくじる行為の手助けをしてもらうために必要なのである。そして、壮年期の者にとって友人は、美しい行為をおこなうために必要なのである。「二人がともにあゆめば」ともいうとおりである。なぜなら、二人ならば一人でいるより、考えることも行為することも、いっそうよくできるものだからである。

 結婚式のスピーチでちょっと使ってみたくなるような一節のようにも思えなくありませんね。それはともかく、フィリアは、アガペーでもなくエロスでもなくカリタスでもなく、もっともっと普通にあっていいはずのことなのだということがこの一節からわかります。この一節を読んで、私はこう思いました。私たち現代人は、「神の死」後を生きているとしても、フィリアはいつでも再生可能なのだ、と。なぜなら、フィリアは、何かの到来を待機することなく、私たち自身で今すぐに始めることができるのですから。