内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

心の奥底で燃え続ける学問への情熱の火種 ― 福永光司『古代中国の実存主義』にふれて

2022-06-16 11:47:38 | 読游摘録

 講談社学術文庫の今月の新刊の一冊、中島隆博『荘子の哲学』(原本は『『荘子』――鶏となって時を告げよ』岩波書店 2009年)をあちらこちら拾い読みしていて、参考文献ガイドのなかに挙げられている福永光司『荘子 古代中国の実存主義』(中公新書 1964年)についての著者の評言に目が止まった。

『荘子 古代中国の実存主義』は、福永光司のパッションがほとばしる書物である。荘周が福永となったのか、福永が荘周となったのかわからないほどに、福永荘子の実存が痛いほどに迫ってくる。このような書を書きたいと人に思わせるほどの魅力であるが、福永でなければ決して書くことのできない唯一無二の書である。

 今から五十八年前に書かれたこの名著を私は不明にも知らなかった。この評言を読んで俄然読んでみたくなった。で、電子書籍版をすぐに購入した。序説を読んだだけで、実存の根本を探究する思考の熱量が充溢する文章に圧倒される。
 「あとがき」で、この本をよりよく読者に理解してもらうためには、それを書いた私という人間を『荘子』との関連において若干説明しておく必要があるとして、自分について語っている一節がある。その中に母の思い出が出てくる。それがとても印象深い。学問への情熱を燃やし続ける心の奥深いところにある火種とはこのようなものであるのかも知れない。

 私と『荘子』との関係といえば、私は私の母のことを思い出さずにはおられない。それはまだ私が小学校の四年生か五年生のころのことであった。ある日、学校から帰った私をとらえて母が奇妙な宿題を課した。「裏の氏神の境内にある曲がりくねった松の大木が、どのようにしたら真っ直ぐに眺められるか、考えてみろ」というのである。私がもしそのとき、「その松の木を伐り倒して製材所に運べば……」と答えるような思考をもつ子供であったなら、あるいはまた、母がそのような答を用意する性質の人間であったなら、私の人生と物の考え方とは、現在とは似ても似つかぬ方向をたどっていたにちがいない。しかし、私はこの問題を解こうと本気で考えつづけるような子供であった。ただしかし、問題は少年の私にはあまりにも高等すぎた。翌日まで考えつづけた私はついに屈服して母に答を求めた。「曲がっている木を曲がっている木としてそのままに眺めれば、真っ直ぐに見ることができる」――これがそのときの母の答であったが、分かったような分からないようなこの答を聞いて、私はあっけにとられた記憶がある。しかし、この言葉は今もなお私の脳裏に生きている、私と『荘子』との結びつきが、このころからすでに約束されていたともいえる。