内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日々の哲学のかたち(9)― 自己の(魂の)可塑性

2022-06-12 12:51:10 | 哲学

 ESP の第四章は « Apprendre le mode de vie philosophique » と題されています。「哲学的な生き方を学ぶ」ということです。前章が「離接」を主題としていたのに対して、本章では、さらに一歩進めて、哲学的な生き方とはどのような生き方であり、それを身につけるには具体的にどうするべきかが問題とされています。私見では、この章のポイントは「自己の(魂の)可塑性」という一言に集約できると思います。
 自己あるいは自己の魂は、生まれつきのもの、すでに出来上がったもの、もはや変えようのないものではありません。学派と時代によって、魂の本来の純粋な在り方を原初に認める場合もあれば、そのような理想形を原初的なものとして措定しない場合もありますが、いずれの場合も、この地上で肉体に縛りつけられている有限の生を送っている魂は、その肉体を介して外在的な刺激によって引き起こされる情念・情動・欲望などによって振り回され、本来あるべき姿から程遠い状態にあるから、そのような状態からいかに魂を純化していくかという課題を共有しています。
 本章にも多数のテキストが集められています。それぞれがかなり長いテキストです。その一つでも自分で訳出する気力も時間も今の私にはないので、著者名とテキストのタイトルを順に示しておきますね。「食欲」を唆られた方は、どうぞご自分でそのなかの一冊を手にとってお読みになってみてください。
 クセノフォン『ソクラテスの思い出』、ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』、エピクテートス『人生談義』、プルタルコス「老人は政治にたずさわるべきか」(『倫理論集』51)、マルクス・アウレリウス『自省録』、プロティノス「美について」(『エンネアデス』I, 6, [1])、モンテーニュ「経験について」(『エセー』第三巻第十三章)、デカルト書簡、カント『人倫の形而上学の基礎づけ』、エマーソン「自己信頼」、ソーロー『森の生活』、ニーチェ『喜ばしき知恵』(あるいは『愉しい学問』)、サルトル「存在するとは存在しないことである」(講演)、フーコー「倫理学の系譜学について」(対談)、ベルクソン「デカルト学会へのメッセージ」、ウィリアム・ジェームズ『プラグマティズム』『心理学』、ウィトゲンシュタイン『心理学の哲学』、フーコー「真理・権力・自己」、ヒラリー・パトナム『実在論の諸相』。
 頁数にすれば二四頁ですから、それほどの量でもないのですが、その中味となると、あたかも大きなテーブルに並べきれないほどの多種多様なご馳走を目の前にしているようで、とても一日では食べきれないし、無理に詰め込めば消化不良を引き起こしてしまうのがおちでしょう。
 今日のところは、これらの大ご馳走のお品書きに目を通すだけにして、明日から、少しずつ賞味していきましょうか。