内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日々の哲学のかたち(5)― 人を形作る

2022-06-01 23:59:59 | 哲学

 Exercices spirituels は、それが実効性をもつためには一人の人の全面的かつ持続的な修練を必要とする。 « exercice » という言葉は、ラテン語の exercitium から来ており、それは「誰かを何かに向けて訓練する」あるいは「自らを養成する」という意味をもっている。それは、働き、訓練、反復、学習と密接な関係にある。その他のすべての実践と同じように、exercices spirituels もまた一定の意味と目的をもっている。訓練を始めるまえに、最終的な意味、それを実践する理由、訓練を通じて自分がなりたいと思うものをはっきりさせておく必要がある。何らかの職業においてプロになるためには、一定の目的を定め、その目的に適った訓練を行わなくてはならないのと同じように、exercices spirituels にもそれらが必要である。
 しかし、最初から自分だけでそれらのことがわかり、正しく実践できるくらいなら、exercices spirituels はたいして難しいことではない。実際は、何が最終目的なのか、そのためには何をどう訓練すればいいのか、よくわからないままに実践に取り組みはじめなくてはならない。exercices spirituels を目的に適った仕方で実践するには、だから、自分を導いてくれる師としての哲学者を必要とするのだ。
 フランス語の « former » という言葉はとても示唆的な言葉だ。「形作る」というのが基本義だが、目的格補語が人である場合、その人を「養成する」という意味になる。つまり、一定の目的に適った「形を身につけさせる」ことである。Exercices spirituels はまさにこの意味で「人を形作る」ことである。 再帰動詞 « se former » は「自らをある形に成す」あるいは「ある形が成る」ということである。
 人(あるいは自分)を「ある形に成す」、人が「形に成る」とはどういうことか。それは、現実の試練を受けることを通じてはじめて可能になる。現実の試練を通じてはじめて、人は徐々に形に成っていく。その形成がうまくいくには、形成過程における進歩の度合いを評価する基準も必要だ。
 Exercices spirituels としての哲学は、人としての形を成すための実践的かつ持続的な訓練のことである。