内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日々の哲学のかたち(7)― 自己自身を構築する

2022-06-04 08:39:15 | 哲学

 ESP の第一章には、プラトンの後に、古代代表として、エピクロス、セネカ、エピクテートス、プルタルコス、マルクス・アウレリウス、古典・近世代表(中世は飛ばされている)としてはスピノザ一人、近現代代表はエマーソン、ソーロー、ヒラリー・パットナムが選ばれています。
 ちょっと乱暴な話ですが、プラトンを第一章の「総代」とすることで、これらの哲学者のテキストの紹介は省略します。どうしても気になる方は、それぞれの哲学者の著作に直に当たられてください。どのテキストでも読んで損することはありません。
 ここで、このパヴィの本 ESP について一言小言を言っておきます。誤植がかなり目立ちます。出版を急いだせいなのか、初歩的な校正漏れが少なくありません。内容の理解に支障をきたすほどではありませんが、読んでいて気持ちの良いものではありません。
 さて、気を取り直して第二章に移りましょう。タイトルは、 « Apprendre à se connaître, prendre soin de soi et s’améliorer » となっています。己を知ること、己の世話をすること、己をよりよきものとすること、これらのことを学ぶためのテキストが集められています。
 古代から順に著者名と書名(作品名)を挙げると、ホメロス『オデュッセイア』、プラトン『ソクラテスの弁明』、プルタルコス『教育論』、エピクロス(に帰されている箴言)、アレクサンドリアのフィロン「神聖なるものを誰が継ぐのか」、エピクテートス『語録』、ルソー『エミール』、カント『人倫の形而上学』、フィヒテ「道徳意識」、エマーソン『運命』、フッサール(若き学徒の一人に宛てた手紙の一節)、ルイ・ラベル『ナルシスのあやまち』、スタンリー・カヴェル『アメリカ哲学とは何か』、ジョン・デューイ『経験としての芸術』です。
 またしても中世は無視されています。これはキリスト教的教説が含まれたテキストを排除するためだと思いますが、exercices spirituels と呼べる実践が中世にはなかったとは言えないと私は思います。その点、このアンソロジーに不満があります。
 それはさておき、どのテキストを引用しましょうか。長さに大きなばらつきがあり迷います。プラトンとルソーは一頁半、ラベルが一頁強、カント、フィヒテ、エマーソンが一頁と長めの抜粋であるのに対して、エピクロスに帰された箴言はたった一文です。「人間の情念の上手な取り扱いのために役に立たない哲学者の御託は空疎である」(私訳)。長いテキストは訳すだけでも結構時間がかかるので回避します。比較的入手しにくいテキストで短めな文章ということで、フッサールがアメリカの哲学者ドリオン・ケアンズ(Dorion Cairns 1901-1973、1924年から二年間フッサールのもとで学んだ)に宛てて1930年3月21日に書いた手紙の一節を私訳で引用します。

私の諸著作は、形式的に学ぶべき帰結を提供するものではないと心得てください。そうではなく、自己自身を構築することができるための基礎、自己自身に働きかけるための方法、自己自身で解決すべき問題を提供するものです。この自己自身とは、あなた自身です。もしあなたが哲学者でありたいのならば。しかし、人は、哲学者になることによってしか、哲学者になろうとすることによってしか、けっして哲学者にならないのです。