記事のタイトルからありえそうな誤解をあらかじめ避けるために申し上げておきますが、米津玄師がモーツアルトに匹敵する作曲家であるという趣旨ではありません。
現在放映中の朝ドラ『虎に翼』をNHKオンデマンドで毎日拝見しています。先日もちょっと触れましたが、主題歌「さよーならまたいつか!」、ほんとうにいい曲だなって思うのです。で、どうしてそう思うのか、ちょっと考えてみました。
直前の朝ドラ『ブギウギ』の主題歌「ハッピー☆ブギ」と比べると、私個人にとってはその差は歴然としています。『ブギウギ』も全回視聴、回によって数回見直すほど楽しんでいました。いい作品でした。特にステージでの趣里さんの歌唱はどれも素晴らしく、とりわけ「娘とラッパ」を初めて福来スズ子が歌うシーンは何度見ても感動してしまいます。でも、主題歌は好きになれなかった。その日のエビソードに合っているときもあったけれど、まったくぶち壊しにしか思えない回も多々あって、主題歌はほぼ全回スキップしていました(これができるのがオンデマンドのよいところです)。
ところが、「さよーならまたいつか!」は毎回必ず聴いています。というか、自ずと聴きたくなるのです。完全にドラマと一体化していると言ってもいいです。その日のエピソードがどんな内容でもこの主題歌は違和感がないのです。それには水彩画タッチのイラストレーションも貢献していることは間違いありません。それも含めて、この朝ドラのオープニングは稀な傑作だと思っています。
と、ここまで考えて、ゆくりなくも(出ました! 昨日の記事で話題にした言葉です)、モーツアルトのクラリネット五重奏曲イ長調K.581の第二楽章のことを思い出したのです。
より正確に言うと、チェリストのヨーヨー・マがこの楽章について言っていたことを思い出したのです。もう三十年以上昔のことで、記憶には多分にあやふやなところもあるのですが、あるドキュメンタリー番組でヨーヨー・マがこの楽章について、結婚式にもお葬式にも使える「普遍的な」名曲だという趣旨の発言をしていたのです。それがとても印象に残ったのです。
喜びのときにも悲しみのときにもふさわしい曲というのはそうめったにあるものではないと思うのです。そのような曲のみが、喜びも悲しみもそこから湧き出して来る感情の源泉と言えるような深みから聴く者の心を動かすのではないでしょうか。
モーツアルトには、クラリネット五重奏曲だけでなく、ピアノソナタにも、弦楽四重奏曲にも、交響曲にも、協奏曲にも、喜びも悲しみもそこからという感情の深みと共鳴する作品があると私は感じます。
米津玄師の「さよーならまたいつか!」も、そういう心の深いところに触れてくる名曲なのではないかと私は思うのです。
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