教育と研究のために読まなくてはならない文献のことは措くとして、自分ひとりの愉しみのために愛読書を繰り返し読むだけにするとしても、そしてそれを日本の古典に限るとしても、読みたい本の数は少なくない。これもまた憂き世に彷徨う者の消し難い煩悩であろうか。
ただ、今置かれている状況の中で特にじっくりと読みたい一冊ならばすぐに挙げることができる。『徒然草』である。心に触れてくる章節はそれこそ枚挙に暇がないが、例えば、第百八段、百十二段、百二十三段など。各段からそれぞれ一節ずつ引用する(引用は、島内裕子校訂・訳のちくま学芸文庫版による)。
然れば、道人は、遠く日月を惜しむべからず。ただ今の一念、空しく過ぐることを惜しむべし。もし人来りて、わが命、明日は必ず失はるべしと、告げ知らせたらんに、今日の暮るる間、何事をか頼み、何事をか営まむ。我等が生ける今日の日、何ぞ、その時節に異ならん。一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その余りの暇、幾何ならぬ中に、無益の事を成し、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して、時を移すのみならず、日を消し、月を渡りて一生を送る、最も愚かなり。
人間の儀式、いづれの事か、去り難からぬ。世俗の黙し難きに従ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇も無く、一生は雜事の小節に障へられて、空しく暮れなん。日、暮れ、道、遠し、我が生、既に蹉跎たり、諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ、礼儀をも思はじ。この心を持たざらん人は、物狂ひともいへ。現なし、情け無しとも思へ。譏るとも、苦しまじ。誉むとも、聞き入れじ。
人の身に、止む事を得ずして営む所、第一に食ふ物、第二に著る物、第三に居る所なり。人間の大事、この三つには過ぎず。飢ゑず、寒からず、風雨に侵されずして、静かに過すを楽しびとす。ただし、人皆、病有り。病に冒されぬれば、その愁へ、忍び難し。医療を忘るべからず。薬を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ、欠けざるを、富めりとす。この四つの外を求め営むを、驕りとす。四つの事、倹約ならば、誰の人か、足らずとせん。
百二十三段の「医療を忘るべからず」は、現在の状況の中でなおのこと深く首肯せざるを得ない。