内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

人の身に止むことを得ずして営むところ、衣・食・住・薬 ― コロナ禍の只中で読む『徒然草』

2021-01-21 12:10:46 | 読游摘録

 教育と研究のために読まなくてはならない文献のことは措くとして、自分ひとりの愉しみのために愛読書を繰り返し読むだけにするとしても、そしてそれを日本の古典に限るとしても、読みたい本の数は少なくない。これもまた憂き世に彷徨う者の消し難い煩悩であろうか。
 ただ、今置かれている状況の中で特にじっくりと読みたい一冊ならばすぐに挙げることができる。『徒然草』である。心に触れてくる章節はそれこそ枚挙に暇がないが、例えば、第百八段、百十二段、百二十三段など。各段からそれぞれ一節ずつ引用する(引用は、島内裕子校訂・訳のちくま学芸文庫版による)。

然れば、道人は、遠く日月を惜しむべからず。ただ今の一念、空しく過ぐることを惜しむべし。もし人来りて、わが命、明日は必ず失はるべしと、告げ知らせたらんに、今日の暮るる間、何事をか頼み、何事をか営まむ。我等が生ける今日の日、何ぞ、その時節に異ならん。一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その余りの暇、幾何ならぬ中に、無益の事を成し、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して、時を移すのみならず、日を消し、月を渡りて一生を送る、最も愚かなり。

人間の儀式、いづれの事か、去り難からぬ。世俗の黙し難きに従ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇も無く、一生は雜事の小節に障へられて、空しく暮れなん。日、暮れ、道、遠し、我が生、既に蹉跎たり、諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ、礼儀をも思はじ。この心を持たざらん人は、物狂ひともいへ。現なし、情け無しとも思へ。譏るとも、苦しまじ。誉むとも、聞き入れじ。

人の身に、止む事を得ずして営む所、第一に食ふ物、第二に著る物、第三に居る所なり。人間の大事、この三つには過ぎず。飢ゑず、寒からず、風雨に侵されずして、静かに過すを楽しびとす。ただし、人皆、病有り。病に冒されぬれば、その愁へ、忍び難し。医療を忘るべからず。薬を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ、欠けざるを、富めりとす。この四つの外を求め営むを、驕りとす。四つの事、倹約ならば、誰の人か、足らずとせん。

 百二十三段の「医療を忘るべからず」は、現在の状況の中でなおのこと深く首肯せざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


数奇に生きる美的な往生 ― 鴨長明『発心集』より

2021-01-20 23:59:59 | 読游摘録

 今朝、本棚に並んでいる本の背表紙を眺めていてふと目に止まった立川昭二の『日本人の死生観』(ちくま学芸文庫 二〇一八年 初版 一九九八年)を手にとって読み始めた。本書には、短絡的とまでは言わないが、いささか性急とも見える図式的な断定も少なからずあり、それらには承服できないが、引用されている古典本文には心惹かれるものが数多くあり、それらを拾い読みしているだけでも、いろいろと考えさせられる。例えば、鴨長明の『発心集』からの次の一節。

中にも、数奇と云ふは、人の交はりを好まず、身のしづめるをも愁へず、花の咲き散るをあはれみ、月の出入を思ふにつけて、常に心を澄まして、世の濁りにしまぬを事とすれば、おのづから生滅のことわりも顕はれ、名利の余執つきぬべし。これ、出離解脱の門出に侍るべし。(第六、九)

 この箇所について、浅見和彦は『新版 発心集』(角川ソフィア文庫 二〇一四年)の解説の中でこう述べている。

 長明にいわせれば、数奇は俗世間の付き合いもなく、身の不運も忘れさせ、花・月を前に心を澄ませるから、自然と「名利の余執」から解放されるというのである。
 長明のたどり着いた一つの解決策はこれであった。心にかかえる苦悩、煩悩が大きければ大きいほど、自然や芸術に身をゆだねる数奇は清澄な安寧を与えてくれるのである。
  心の師となるとも、心を師とするなかれ
                                                (発心集・序)
の『発心集』の冒頭に提起された命題はここにいたって、漸く答えらしきもの近づいてきたといえよう。ここにいたるまでの長明の苦悩はいかばかりであったろうか。

 一切の欲心から離れ、仏道修行に一意専心、悟り澄ますことからは程遠い生涯を送った長明が度重なる煩悶を通じてようやく見いだした生き方は、数奇に生きる「美的な往生」(立川昭二『日本人の死生観』六四頁)であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


風景に対する感性の可変性について ― 「あたらしい世界のひらけ」としての明治大正期の鉄道

2021-01-19 18:04:59 | 読游摘録

 私たちはどうしても自分自身の感性に応じて風景を見てしまう。風景への眼差しは、しかし、感性のみに依拠するものではない。その風景にまつわる想い出や連想によっても、その立ち現れ方は違ってくるだろう。それだけではない。風景を構成する諸要素に関して私たちが持っている地理的・地質学的・考古学的・人類学的・歴史的知識等によっても私たちの風景知覚は左右される。したがって、同じ場所に立って同じ風景を前にしているからといって、「私たちは今同じ風景を見ている」と安直に言うことはできない。とすれば、今自分の眼前に広がる風景がたとえ百年前と少しも変わっていないと仮定しても、百年前の人たちが今の自分と同じようにこの風景を見ていたのだとは簡単には言えない。風景は時代とともに変わりうるものであり、それに応じてその風景に対する感性も変化する。自分が生まれる前の時代の風景に対する感性を再現することは厳密にはできない。ただ想像してみることならできるだろう。
 こんなことを昨日話題にした柳田國男の『明治大正史 世相篇』を読みながら考えた。明治大正期の日本人にとっての鉄道というものの意味についての次の箇所も、私たちはいったい何をどう見ているのかという根本的な問いを突きつける。

 いわゆる、鉄の文化の宏大なる業績を、ただ無差別に殺風景と評し去ることは、多数民衆の感覚を無視した話である。たとえば鉄道のごとき平板でまた低調な、あらゆる地物を突き退けて進もうとしているものでも、遠くこれを望んで特殊の壮快が味わい得るのみならず、土地の人たちの無邪気なる者も、ともどもにこの平和の撹乱者、煤と騒音の放散者に対して、感嘆の声を惜しまなかったのである。これが再び見馴れてしまうと、またどういう気持に変わるかは期しがたいが、とにかくにこの島国では処々の大川を除くのほか、こういう見霞むような一線の光をもって、果もなく人の想像を導いて行くものはなかったのである。(ちくま文庫版『柳田國男全集』第二六巻、一二五頁)

 この箇所を引用した後、見田宗介は『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』(岩波現代文庫 二〇〇一年)の中でこう書いている。

 あたらしいひとつの世界がひらけてくるときは、じっさいひらけてくる世界よりもはるかに以上の世界がひらけてくるもののように、わたしたちは思う。(三五頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


耳を澄ます、匂いを嗅ぎ分ける ― 柳田國男『明治大正史 世相篇』より

2021-01-18 11:46:47 | 読游摘録

 私が暮らしているのは、ストラスブール市北東部で欧州議会から徒歩数分のところにある住宅街である。いわゆる都会の騒音とは無縁な閑静な地区である。車の音も遠くにしか聞こえない。いささか閉口する騒音と言えば、春以降夏にかけて隣家が使う電動芝刈り機の音と、居住するアパートの敷地内の落ち葉を定期的に収集する業者の小型車両がベランダの下を通過するときくらいである。春から秋にかけては毎日鳥たちの歌声が早朝から夕方まで絶えない。
 気になる不快な臭いもまったくない。初夏から初秋までは、日中、書斎の硝子扉を開け放っていることが多い。特にいい香りが漂って来るわけではないが、樹木の緑を通り抜けて窓外から部屋に流れ込む空気は充分に清浄だ。
 それにもかかわらず、ストリーミングで音楽を流しっぱなしにして、外部から音を遮断し、エッセンシャルオイルの香りをアロマディフューザーで部屋に満たしているのは何のためなのだろうか。そうふと自問した。それらは自分で好きなものを選ぶのだから、心地よいには違いない。しかし、それは、外から到来するものに耳を澄ますこと、どこからともなく漂ってくる匂いを嗅ぎ分けることから自分を遠ざけ、それらに対して自分の感覚を鈍感にしていることでもあるのではないか。
 柳田國男の『明治大正史 世相篇』(初版 一九三一年)は、その当時の世相の諸相の具体的記述において今もなお興味尽きないだけでなく、現実のなにげない日常生活を観察するための方法論としてもきわめて示唆に富んでいる。聴覚と嗅覚について触れた箇所をそれぞれ一つずつ引いておく(引用は、ちくま文庫版『柳田國男全集』第二六巻から)。

耳を澄ますという機会は、いつの間にか少なくなっていた。過ぎ去ったものの忘れやすいは言うまでもなく、次々と現われて来る音の新しい意味をさえも、空しく聞き流そうとする場合が多くなった。香道が疲るる嗅覚の慰藉であったように、音楽もまたこれら雑音のいっさいを超脱せんがために、慾求せられる時代となっているがこれによって人の平日の聴感を、遅鈍にすることなどは望まれない。のみならずそのいろいろの音響にも、一つ一つの目的と効果があるので、それを無差別に抑制しようとするのも、理由のないことであった。[中略]都市のざわめきは煩わしいもののように思われているが、かつてはその間にも我々の耳を爽かにし季節の推移を会得せしめるものが幾つかあった。衢を馳せちがう車の轟や、機械の単調なる重苦しい響きまでも、人によってはなお壮快の感をもって、喜び聴こうとしているのである。(四八頁)

しかし我々が以前この鼻の感覚によって、いかに大切なる人生を学びまた味わっていたかは、今でも田舎を歩いてみればすぐにわかる。たとえばいわゆる日本アルプスなどの山案内人は、おねの曲り目に立ってこの沢には人が入っている。この沢には誰もいないということを、一言で言い当てる者がいくらでもいる。わずかな小屋の煙が谷底から昇って、澄み切った大気の中に交っているのを、容易く嗅ぎつけることができるからである。こういう鼻の経験を器械により、または推理や計算によって、補充することは不可能に近い。そうすると結局文明人のある者は、この点だけでは前よりも魯かになったと言えるので、静かに考えて行くと、これと類を同じゅうする喪失は、まだ他にも多くありそうである。(五二頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


風土的自己了解の要素としての都市の音と匂い

2021-01-17 23:59:59 | 講義の余白から

 修士一年生たちが口頭試問のために先週行った「風土と都市」というテーマでの個別発表はそれぞれに面白かったのだが、その中で特に私の印象に残ったのが、高校まではずっと小さな村に住んでいて、ストラスブールがはじめて住む「大都市」だという女子学生の発表だった。
 ストラスブールは、人口三十万弱、日本での行政上の定義に従えば中都市であるが、フランスでは人口規模からいうと七番目の都市であり、欧州議会はじめ多数のヨーロッパ国際機関が集まっているから、人口数百人の村の暮らししかそれまで知らなかった彼女にとっては、確かに「大都市」と感じられたのだろう。
 彼女がストラスブールの小さなアパートで一人暮らしを始めたとき、生まれ育った村とストラスブールとの間で最初に感じた大きな違いは、音と匂いのそれだったという。都会の騒音と匂いにすぐには慣れることができなかったそうだ。似たような経験をした人たちは、他にもきっといることだろうが、彼女はそれだけ聴覚と嗅覚が敏感なのかも知れない。四年間暮らして、今では都会の音と匂いにも慣れ、それらもまた都市の風土の形成要素であると感じる自己了解が自分の中に成立しているというのがその発表の結論であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


背徳の香りさえ漂う雪あかり ― 遠隔寺僧房異聞

2021-01-16 19:55:30 | 雑感

 一昨日、フランス北東部の広範囲に渡って一日雪が降り続き、ストラスブールでも積雪量は場所によって三〇センチに達しました。昨日は日中晴れましたが、気温はわずかに零度を超える程度。今日は零下六度まで冷え込み、日中も零度を下回ったままでした。今日の午前中、徒歩で買い物に出かけたとき、車が比較的よく通る道路は路面が見えていましたが、そうでないところは路面が一部凍結し、歩道も人通りの少ないところはアイスバーン状になっていました。とても自転車で買い物に行ける状態ではありませんでした。
 これだけ雪が降り、すぐには溶けずに凍結してしまったのは、いつ以来のことかと思い出そうとしました。ストラスブールに関しては、私自身の記憶では、フランスで過ごした最初の冬である一九九六年から一九九七年にかけての冬以来のことです。一月に降った雪が二月まで一ヶ月以上に渡って凍結したままで、歩道で転んで怪我した人たちが多数出たことを覚えています。リル川の支流も凍結し、舟が航行できなくなるほどでした。そこまでの積雪と寒さはストラスブールでも珍しいことでした。そのときはフランスに来てまだ四ヶ月程度だったので、こんな寒さが毎冬来たらどうしようといささか怯えてしまったほどでした。ところが、その後、それほど長期に渡って寒波に襲われることはありませんでした。それが地球温暖化のせいであるとすれば喜んでもいられませんが。
 そのときの大寒波と比べれば、今回の寒波はたいしたことはありません。おそらく数日で路上から雪はあらかた消えてしまうでしょう。ストラスブールでは現在午後六時から午前六時までの外出禁止令が施行されていますが、こんな寒さの中、日が落ちてからわざわざ外出しようという人も、特に週末は、多くはないのではないのでしょうか(実際確かめたわけではありませんが)。
 老骨に鞭打ち午前中に買い物を済ませた後、人生に青息吐息の老生は、神の許しも乞わずに、しばし休息させていただきました。昼食時から書斎窓外の雪景色を肴に不謹慎かつ非道徳的にワインを飲み、午後から夜にかけて映画鑑賞三昧です。背徳の香りさえ漂う雪あかり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


風土と都市 ― 前期最終口頭試問を終える

2021-01-15 23:59:59 | 講義の余白から

 今日が実質的に今年度前期の最終日でした。私が前期に担当した学部最終学年の三つ授業は、昨年十二月はじめにすべて終え、試験も予定通り年内に行い、提出期限を年末としてあった最終課題レポートの採点と合わせて一月十日に学部の授業についてはすべての採点作業を終えました。修士二年の小論文もノエル前が提出期限、年内に採点済でしたので、残るは修士一年の最終口頭試験でした。それを昨日今日と五人ずつに分け、ZOOMを使って行いました。
 「風土と都市」というテーマでの発表原稿を年内に提出させ、それを私が添削し、さらに学生本人が推敲した第二稿を先週もう一度私が確認し、それをもとに学生たちは各自パワーポイントを使ってスライドを準備した上で試験に臨みました。発表時間は十分、質疑応答十~二十分としておきましたが、実際は発表が十五分から二十分、質疑応答も長い場合は三十分を超えました。それだけ内容豊かでヴァライティに富んだ発表でした。
 昨年九月に和辻の『風土』を読み始めたとき、学生たちは多大な理解の困難を覚え、仏訳に多用された新造語に対しては拒否感さえもち、教室での演習は不活発なまま、十一月からは遠隔に移行してしまいました。それ以降、学生たちは何度かZOOMを介して発表する機会があり、少しずつ彼らなりに風土概念の理解を深め、自分たちの問題意識を明確化していくことができ、昨日今日の発表はその最終的な成果を示すものでした。
 和辻の『風土』のテキストそのものからは離れてしまいましたが(それは私自身が途中から意図したことでした)、自分たちが現に生きているフランスあるいはヨーロッパにおける風土とは何かという問いにそれぞれに真剣に取り組んだことは、自分たちが生きている世界をよりよく理解するために無駄ではなかったとは言えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


心が渇いたときに読む藤沢周平 ―「山桜」

2021-01-14 23:59:59 | 読游摘録

 喉が渇きを覚えたときに水分を欲するように、心が渇きを覚えたときに読みたくなる文学作品が皆さんにもあるのではないでしょうか。それは、詩歌あるいは散文作品、古典あるいは近現代の作品、日本語あるいは外国語など、さまざまでしょう。
 それらの作品に関して、私にとって屈指の作家の一人が藤沢周平です。特に短編を好みます。どれか一作に絞ることはできませんし、またその必要もないわけですが、昨日、本棚からふと手にとったのが『時雨みち』(新潮文庫)でした。その中に収録されている「山桜」を私は偏愛しています。わずか二十四頁の小品ですが、何度読んでも胸に迫るものがあります。特に最後の二頁が素晴らしい。
 この作品を原作とした篠原哲雄監督の『山桜』もとてもいい映画ですね。主役野江を演じた田中麗奈は実に役柄によくあっていたし、東山紀之はじめその他の役者さんたちの演技も見事でした。現在、DVDでしか観られないようですが、アマゾンの prime video か Netflix で視聴できるようになることを期待しています。画質をあまり気にしなければ、Dailymotion で視聴できるのですが、やはり高画質で鑑賞したいですから。


『遠隔寺職掌日誌断片』より ―「自己の必然的なる没落を認識するためには勇気がなければならぬ」

2021-01-13 19:55:02 | 雑感

 昨日、学部長会議において、少なくとも二月半ばまでの遠隔授業が決定される。向後、十人以下の少人数の実習及び補習のみ対面が許可される。
 同日、弊学科会議において、後期開始を原則二週間遅らせることを決議する。後期後半での対面授業の回数が増えることを期待しての決断。
 後期開始を遅らせたことで、教師にとっては授業の準備に余裕ができ、学生たちにとっては前期期末試験後に若干の休息と復習の時間ができた。一定の積極的効果を期待したい。
 後期私が担当する三科目のうち、一科目は二月の第一週から開始。残りの二つは来週から開始。これは履修者の一グループが後期後半に研修が必修であるための措置。開始を遅らせるわけにはいかない。
 本日、修士一年後期の「現代思想史」のテキスト選びに時間を費やす。決定に至らず。
 本日、参照した本(断りがなければ、仏訳あるいは仏語本)。川田順造『聲』(La voix. Études d’ethno-linguistique comparative, Éditions de l’École des hautes études en sciences sociales, 1998)、ショーペンハウエル『意志と表象としての世界』、「自殺について」、ミルチア・エリアーデ『世界宗教史』、ルイ・ラベル Morale et religion, アラン・コルバン Historien du sensible、三木清『人生論ノート』『哲学ノート』『読書と人生』『三木清教養論集』『三木清文芸批評集』『三木清大学論集』(この三論集はいずれも講談社文芸文庫)。以下、『大学論集』所収の「真理の勇気」(一九二八年一二月)からの引用。この勇気が私にはあるか。

「真理の勇気」という言葉はヘーゲルの有名な言葉であるが、私のもっとも好きな言葉だ。本当の勇気が事物の客観的な認識から出て来るのはもとよりである。しかし事物の客観的な認識を得るためにはなによりも勇気を必要とする。簡単な例をとれば、老人が青年によって打ち克たれるということは当然過ぎることである。そうでないならば一般に歴史に発展がないはずでなければならぬ。それ故に老人はまさに自己の没落の過程を認識すべきであるに拘らず、多くの場合彼等はあたかも自己が永遠の存在であるかの如く振舞う。自己の必然的なる没落を認識するためには勇気がなければならぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


声とは何か

2021-01-12 22:10:46 | 雑感

 竹内敏晴の『教師のためのからだとことば考』(ちくま学芸文庫 一九九九年)の中の「人が人へ話しかけるということ」と題された節にこう書かれています。

わたしたちは、音は、科学的にいえば空気の振動であることを知っています。この場合、声は音としてはすべて聞こえてはいるわけです。にもかかわらず、声が届かない、と感じたり、ふれたと感じたりする。話しかける、声をかける、という行為は単なる音の伝播ではなく、こちらのからだがまるごと相手にぶつかってゆくような全くジカなナマな重さと熱さをもったふれ合いであることがわかります。(六七頁)

 同じ部屋の中で話しかけるべき相手に向かい合っていたとしても、声が届かないということが実際ありうるわけです。これは誰しも多かれ少なかれ経験があることではないでしょうか。これは声というものの本質に触れる大切な問題だと思います。機械を介した遠隔で声を届かせることは、言うまでもなく、なおのこと難しい。
 他方、生中継の音声ではないどころか、何十年も前に録音された肉声が再生装置から流れてくるのを聴いて心を動かされるということも私たちにはあります。このことは、今同一空間内で向かい合っていることが相手に声が届くことを保証しているわけではないし、その必要条件ですら必ずしもないということを示しています。
 声が単に情報伝達の手段であるのならば、それに替わりうる様々な代替手段を今私たちはもっています。しかし、私たちが生きるために必要としているのは情報だけではありません。声がなければ生きていけないとまでは言えません。しかし、そもそも声とはいったい何なのでしょう。声が届く、あるいは声が触れるとは、どういうことなのでしょう。