一日ジョギングを休んだことで随分脚の疲れは取れたようだ。今朝は、5時48分から7時26分までの1時間38分で16キロ走った。一昨日のように膝が笑うこともなかった。体組成計の数値もさらに良好になり、体脂肪率は12,9%まで下がった。
ジョギング後は、午前中にFNACに届いた注文書籍を取りに行った以外は、ずっと家で雑務と明日の授業の準備をしていた。
月曜日の授業の出席者名簿を確認していて、間違って出席した授業後に言いに来た一年生の女子学生以外に、もう一人、一年生の男子学生が出席していたことがわかった。そこで、本人に意図を尋ねるためにメールを送った。するとすぐに返事があって、自分は日本語既習者で、一年生の授業は簡単過ぎるだろうから、最初からもっとレベルの高い日本語クラスに出席したかったということだった。授業の内容にも興味をもったとも言う。自由聴講という形で出席を許可した。
間違って来た女子学生にも、同様に、授業内容に興味があるなら、自由聴講出席してもよいとメールを送ったら、やはり直ぐに返事が来て、出席を希望するとのことだった。彼女の入学願書を見てみると、高校時代の成績もきわめて優秀で、かなり高順位で入学していることがわかった。
3年前にも一人、同様なケースがあったが、一二回出席しただけだった。今回も、来る来ないは彼ら自由だ。
日本からの交換留学生の一人も来週から出席することになった。こちらは前期だけだが、できれば単位を取得したいというので、ティーチング・アシスタントという形で協力してもらうことで単位を与えることにした。学生たちにとっても同世代の日本人と話せる機会として貴重だ。
明日から始まる「近代日本の歴史と社会」の授業には、地理学部にやはり交換留学で来たという日本人学生から出席の希望が届いた。外国人によってどのように日本のことが学ばれているのかに興味があるという。自由聴講という形で許可した。
今日はジョギングを休んだ。前回、ジョギングもウォーキングもしなかったのは7月6日だから、約二ヶ月ぶりに運動を休んだ。体調が悪かったわけではなく、時間がなかったわけでもないが、午後4時からの修士の演習の準備に朝から時間をかけていたのと荷物の配達を待っていたのとで、演習前にジョギングに出るタイミングを逃してしまった。
演習を定刻の6時に終えて、自転車で帰路についたときは、夕食前にひとっ走りしようかという気もまだ少し残っていた。ところが、帰り道にオランジュリー公園を通り抜ける間にその気がすっかり失せた。今日もとても気持ちの良い天気で、まだ明るいということもあるからだろうが、そこら中をジョガーが走っている。散歩をしている人たちも多い。はしゃいでいる子どもたちの歓声もあちこちから聞こえる。自宅の周りでもジョガーを何人も見かけた。この時間帯に走ったことはなかったので気づかなかったのだが、夕方に走る人がこんなにいるとはちょっと驚きだった。
だからといって、それが走らない理由にはならないわけだが、私としては、まわりに誰もいない静かな時間帯に走りたいのだ。それがとてもかなわない人口密集地に居住しているならそんなことは思いもしないだろうが、ストラスブールでは時間帯を選べばそれが可能なのだ。とはいっても、深夜に走る気はしない。だから、いつも早朝に走っている。
一日休んだおかげで脚の怠さも取れた。明日はまた午前6時から走る。
6時16分から7時40分までの1時間24分で13,3キロ。今日はほんとうにトロトロ走りだった。それにもかかわらず、途中で何度か膝が笑ってしまった。
「膝が笑う」というのは実に言い得て妙だ。ちょっとググってみると、その原因の一つとして内側広筋の衰えが挙げられているが、私の場合はそれに該当しないだろう。夏休み中ずっと鍛えてきたのだから。おそらく、膝の安定にも働いている内側広筋に疲労が溜まり、膝の安定機能が低下してしまい、他の筋肉との連動も崩れ、スムーズな膝の動きがときどきできなくなっている状態なのだろう。年も年なのだから、脚の筋肉を少し休ませてあげたほうがいいのかも知れない。
午前中は、学科関連の事務的処理にかかりきりだった。昨年度末、学科長を退任するにあたって、在任中も職責として行っていた学科内部の重要な事務処理を継続して担当することを申し出た。それは、新学科長が他学科との連携、学部内での日本学科の立場の主張、大学の他のセクション(特に就職相談室)との関係強化、日本総領事館との協力関係の発展、高校とのコミュニケーションの充実化など、いわば対外的な職務により積極的に取り組んでもらいたいからである。正直に言えば、学科長在任中の4年間、私はこれらの職責をほとんど果たしてこなかった。非力な私にはとてもできないことだった。そのことの反省が上に述べた申し出を私にさせたのである。罪滅ぼしという消極的な理由からではなく、学科の発展を願ってのことである。だから、時間割作成や教員たちの授業時間数計算などの事務仕事は少しも嫌ではない。それどころか、こういう仕事は得意としており、処理も早い。
午後から夜にかけて(途中、1時間半ほどの午睡を挟んで)、明日の修士一年の演習のためのパワーポイント作り。新渡戸稲造『武士道』の英語原文を仏訳二つと邦訳二つと比較しながら、重要箇所を紹介する。新渡戸稲造の生涯と思想については、角川ソフィア文庫版の大久保喬樹の解説に、『武士道』の歴史的な位置づけと日本文化論としての価値については、ちくま新書の山本博文の解説に、それぞれ依拠しながら要点を説明する。導入として、 Pierre-François Souyri 先生の Les Guerriers dans la rizière, Flammarion, « Au fil de l’histoire », 2017 から、武士とその関連語について解説している箇所と新渡戸に言及している箇所を引用する。明日午前中にもう一度パワーポイントを見直すことにして、零時前には就寝。
5時58分から7時4分までの1時間6分で10,7キロ。なかなかコンスタントに1時間10キロのペースで走れない。8月中は比較的簡単に維持できていたペースなのに、9月に入ってから、走っているときに体の重さ、特に脚に重さを感じて、軽快に走れない。
今日から大学の授業が始まった。私が担当する学部三年生の「日本の文明と文化」も今日が第一回目。出席者は、先週届いた履修者名簿に記載されていた23名より多く、30名。過去の留年者で再登録した学生が何人かいた。それに、授業終了後一人の女子学生が「自分は一年生なのに間違って出席してしまいました。でもとても面白かったです」と言いに来た。過去に上の学年の授業に出席する特別許可を求めてきた学生はいたが、一年生が間違って三年生の授業に来たのは、私にとっては初めてのことだった。別に出席してもらっても私は構わない。
登録学生数はこれで昨年とほぼ同数になったが、留年生の比率が例年に比べて高い。その要因の一つは明らかにコロナ禍である。昨年の前半、つまり学年度でいうと、一昨年度から、昨年後半と今年前半の昨年度にかけて、全面的に遠隔授業に切り替わってしまった期間に多くの脱落者が出た。今日の授業に来ていた留年生の多くはその途中脱落者たちだった。全面的に教室での対面授業で始まった今年度は、是非最後まで脱落せずに学部最終年を終了し、学士のディプロムを取得してほしい。ただ、昨年の三年生が例外的にアクティブで優秀な学生が多かったこともあるが、それと比べてしまうと、反応がかなり薄い。
今年度から新たに使用することになった教室は、地理学部と政治学院の本拠地内にあるが、昨年まで主に使用していたメイン・キャンパスの教室より快適だ。私が使う教室はサン・モーリス教会に通りを挟んで面しており、11時から13時までの授業の真ん中、正午になると鐘がなる。それがちょうどよい授業の区切りの合図になる。
雨が毎日のように降った8月とは打って変わって、9月1日から今日まで爽やかな快晴が続いている。明け方は12、3度まで下がるが、日中は25度前後ときわめて快適だ。
かくして、建物内でのマスク着用義務以外は、ほぼコロナ禍以前のように対面授業で新しい学年度を始めることができたことを素直に喜びたい。
5時48分から6時48分の1時間で10,3キロ走る。かろうじて目標をクリア。日曜日は普段より長く走ることが多いのだが、今日は、明日から始まる授業の準備など、今日中に終えておくべき仕事が三つ四つあるので1時間で切り上げた。コースは、直線路が多く、もっともスピードが出しやすいマルヌ・ライン運河沿いの遊歩道にした。ちょうど30分走ったところでターンし、同じコースを戻った。
9時から修士二年生の日本語読みのリモート・レッスン。テキストは、荒野泰典『「鎖国」を見直す』(岩波現代文庫 2019年)「3 近世日本の国際関係の実態」の「三 対馬口 ― 朝鮮との「通信」の関係」。この箇所を選んだのは、修士論文で対馬の近世外交史を研究対象としている彼女の希望。
声に出して読むと、一字一句をゆるがせにできなくなる。発音が間違っていたり曖昧だったりすると、それらの箇所は私がすべて指摘する。彼女が自分で読んでいて気づくこともある。例えば、同じ言葉に傍点が振ってある箇所とそうでない箇所があるがそれはなぜか、「タテマエ」が片仮名書きになっているのはなぜか、とか。難しい漢語も出てくる。例えば、「禅譲」「冊報」「交隣」など。「三浦の乱」(1510年)など、歴史的事件に言及されているところでは、歴史大辞典を画面共有して概要を確認する。1時間でたった3頁読んだだけだが、ただの日本語音読レッスンではなく、日仏チャンポンのディスカッションを含んだミニ演習にもなっている。
次回は来週日曜日。本人は週日毎日レストランでアルバイトをしている。週末は原則休みのようだが、土曜日はときどき急遽シフトに入ってくれと頼まれるらしい。
10時から1時間余り、事典の原稿の修正。編集担当者からやはり短くしてくれと頼まれた。なんとかスペース抜きで5000字以内に縮小し、その他指摘された点を修正し、一応原稿執筆は終了。即送信。
昼食後、来年3月の国際シンポジウムの発表要旨の微調整。この原稿そのものがどこかに発表されるわけではなく、どんな内容かシンポジウムの学術委員たちに分かればいいので、締め切りを待たずに原稿を送信する。すぐに委員の一人から受領のメールが届く。
15日が締め切りの学会誌掲載原稿「旧都崩壊 ―日本精神史における歴史認識の転回点としての近江荒都歌―」に少し手を入れる。後は、論文に引用した本が日本から届くのを待ち、注に引用箇所の頁数を入れれば原稿完成。
夕食前の最後の一仕事は、明日の授業のために作成済みのパワーポイントの最終確認。スライドを作り込み過ぎると、学生たちはそれを見て私の話を聞いてわかったつもりになってしまうから、あえて「多孔性」のテキストにしてある。そのテキストを口頭でのみ補っていく。授業の終わりに簡単な理解度テストを行う。
5時58分から7時10分までの1時間12分で12キロ走る。ぎりぎり1時間10キロのペースを守れたが、8月中旬に比べて体重が1,5~2キロ増えたせいか、その頃と比べてどうも体が重く感じられる。それでもBMIは20,4だから、数値的には問題ない。まあ、これは気分の問題だ。体調にどこも異常もないし、ジョギングを始めたころの前脛骨筋の痛みもまったくないし、他の筋肉痛もまったくない。それでよしとすべきなのだろう。
午後5時から9時まで、来年3月にストラスブール大学で開催される国際シンポジウムでの発表要旨を書いていた。一応書き上がったが、提出期限は今月15日なので、もう少し推敲する。仮タイトルは、「「みち」から「道」へ ―「もののふのみち」から武士道への倫理規範の変容過程の思想史的考察―」とした。要旨の後半は以下の通り。
「みち」がある分野で定式化され、成文化され、一定の論理にしたがって体系化されるとき、それは「道」となる。そのとき、「道」は、その教義の伝達方法の定式化・体系化・固定化をもたらす。
本発表は、「みち」から「道」へのこの変容過程を、古代・中世における「もののふのみち」のエートス(倫理的な心情)・行動様態から戦国末期・近世初期の成文化された「武士道」への変容過程と近世における武士道そのものの変容過程との二つの問題場面に絞って考察する。前者の変容過程に関しては、エートスと行動様態の言語による定式化の過程に特に注目する。後者の変容過程に関しては、近世における武士道が倫理規範として内面化される諸契機、その内面化と当時の経済社会との動的な関係、そして、その内面化の結果としての倫理規範の普遍化という三つ論点を特に重視する。考察対象となる主な文献は、『甲陽軍鑑』と『葉隠』である。
これらの変容過程の思想史的考察から引き出される結論として、倫理規範そのものの変化がその伝達・伝播・普及の方法の変化と相互媒介的な関係にあることを示す。
6時15分から7時55分までの1時間40分で15,7キロ走る。走り始めから体がずっと重く感じられ、最後までペースを上げることができなかった。かといって、脚に疲れを感じたり、息が切れたりということはなく、同じペースでなら2時間走り続けることもできそうではあった。
8月中旬に見られた体組成計の数値の興味深い乱高下は下旬にはおさまり、ここのところ数値がきわめて良好なレベルで安定している。5月半ばに立てた目標数値はすべて達成してしまい、体組成計を見るのはそれらの数値が維持されているかを確認するだけになってしまった。ちょっとつまらない。
午後、今月25日に日本へと旅立つ学生とカフェで2時間ほど歓談した。来週にはストラスブールのアパートを引き払うので、その前に会ってお礼が言いたいというメールを先週受け取っていた。彼はJETプログラムに採用され、ある県の職員としてフルタイムで働く。契約は一年だが、仕事ぶりによっては更新もありうる。
学部一年生のときから成績は常に断然トップで、私が指導教官だった卒業小論文も学部の水準を完全に超えており、修士論文として発展させるに値する出来だった。日本で暮らしたことがあるわけでもなく、家族に日本人がいるわけでもないが、日本語能力はずば抜けて高い。特に文章表現力は卓越している。
それにしても、JETプログラムに採用されるのは、ほとんどが修士以上であり、今年は7つのポストに対して60人の応募者があった中で学部卒業生が採用されたのは珍しいことである。
採用面接の準備として、遠隔での論文指導などはすべて日本語で行った。面接日前日に彼からメールが来て、助言がほしいと言う。面接は遠隔で行なわれるので、それに応じて事細かに注意事項を書き送った。以下はその要点。
自分が話すときはカメラを見る。相手の話を聞くときは画面を見る。実際に面接会場にいるときと同じように、姿勢はよくし、声は大きく、明瞭に話す。質問が聞き取れなかったときは、躊躇うことなくもう一度繰り返してくれるよう礼儀正しくお願いする。答えるのが難しい質問に対しても、正直にそう応え、難しい理由を説明する。自信を持て。そして謙虚であれ。
別れ際に、「もし私がこの年末年始に一時帰国することができたら、どこかで会おう」と約した。彼の日本での活躍を心から祈念する。
昨夜は就寝が例外的に午前2時と遅かったので、さすがに4時起きは無理で、目覚めたのは6時過ぎだった。すぐにはジョギングに出かける元気もなく、メール処理など雑用を片付けるのにしばらく時間を費やす。
しかし、昨日9月1日から続いている雲ひとつない快晴がジョギングへと誘う。10時3分にスタートして12時10分までの2時間7分で20キロ走る。シューズは昨日と同じアシックスの GEL-NIMBUS 23。他の三足はそれぞれ十数回すでに履いているので、だいたい同じ使用頻度で交互に履き続けられるように、10日ほどは GEL-NIMBUS 23 を履き続けるつもり。
日中はときどき届くメールの処理を随時行いながら、15日締め切りの原稿の推敲。今日一日でほぼ完了してしまった。何日か「寝かせて」からまた見直す。
推敲していて困ったのが電子書籍からの引用だ。頁数を示せない。フォントサイズを調整して紙版とまったく同じ総頁数にできればこの問題はほぼ解消するが、そうはいかないことのほうが多い。電子書籍の場合、選択したフォントサイズに応じて総頁中何頁という示し方はできるが、これは読み手が電子書籍版を持っていなければ意味がないし、論文ではこの表示方式はスタンダードではない。
結局、今回の論文のためだけに何冊か紙版も買うことにした。仏語文献の場合、あまり躊躇うことはないのだが、邦語の文献は相当に躊躇う。なぜなら、送料が高くつくからだ。それに、本の価格より送料のほうが高くなるのがあまりにもバカバカしく、ついでにと関連書籍も購入したりするから、なおのこと出費が嵩む。
論文で引用することが書き始める前からわかっている文献に関しては、すでに電子書籍版を持っていても、紙版も購入する。逆もまたしかり。頁数の問題だけでなく、それぞれに一長一短があるからだ。主要な文献は両方同時に購入することがここ数年多くなった。出費はそれだけ嵩むが、作業効率は両者を併用するとき最も良くなる。
電子版では、複数の色のラインマーカーとコメント機能と検索機能を縦横に使う。集中して何時間も読むときは紙版でないと難しい。他方、走り読みのときや複数の本を同時に参照するときも紙版を使う。ただ、その際も、電子版の上掲機能を使う。そうすれば、ちょっと気になってマーカーを引いた箇所やコメント機能を使ってメモした箇所を後日瞬時に呼び出せるからだ。
いずれにせよ、これは本を道具として使うときの話で、愉しみの読書についてはおのずと別の話になる。後者に関しては、私はいまだに紙の本をこよなく愛する。
8月31日までの夏休み中によくジョギングした自分へのご褒美として購入したアシックスの GEL-NIMBUS 23 が昨日届き、今朝早速履いて走った。1時間 35分で15,2キロ。7月に買った GEL-1090 とは明らかに設計思想が異なっており、宣伝文句通り、長距離走により適していることが走り出してすぐにわかった。衝撃緩衝性に特に優れている。ミズノ WAVE INSPIRE 17 もナイキの PEGASUS 38 も衝撃緩衝性に優れていると思うが、GEL-NIMBUS 23 を履いた最初の印象は、それらよりもさらにしっかりと足全体が保護されている感じがすることだった。ジョギングを始めて2ヶ月あまりの初心者に過ぎない老生は、シューズによってこれほど履き心地が違うものなのかと今更驚いている次第である。でも、その違いを確かめながら走るのも楽しい。一足増えて、楽しみも一つ増えたということである。
今日9月1日から新学期開始。大学はもっと遅く始まるのがかつての慣習であったが、十数年前から徐々にカレンダーが前倒しされるようになり、とうとう小中高と同じ日どころか、大学のほうが一日早く始まるのが今年度である(すべての大学がそうだというわけではない)。今日の午後、日本学科新入生向けのオリエンテーションに出席したが、過去4年間は学科長として新入生を前にして挨拶をし、学科の全般的説明をしていたのが、今年度からはその役目から解放され、他の教員と並んで座っていればよくなった。
オリエンテーションの直後、学科の教員会議があり、それが終了したのが午後7時少し前。その後、都合のつく教員たち5名で会食。私にとって、レストランで食事をするのは実に一年振りのことであった。スマートフォンに取り込んであった衛生パスのQRコードを提示すると、店の人がそれに読み取り機をかざして確認する。私のパスは今日から有効になったばかりで、それを早速確認したことにもなった。久しぶりに同僚たちと歓談できてとても楽しかった。その楽しさを皆で分かち合えたこと、それがまさに convivialité にほかならない。